Temporary Love3

第二章


 凌雅が一曲歌い終わると、なゆみは思いっきり拍手せずにはいられなかった。
 心に響く声としっかりとした音程は耳に心地よく、さらに容姿も加わると絵になるかっこよさだった。
「凌ちゃん、ほんとにプロになれるよ。感動しちゃった」
「お褒め頂き、ありがとう」
 凌雅は片手を仰ぐように上下に動かして大げさなお辞儀を披露する。
「ナユもなんか歌え」
「でも私、歌得意じゃないし、凌ちゃんの後に歌うの恥ずかしい」
「だったら一緒に歌おう」
 凌雅はさりげなくなゆみの隣に座り、なゆみが真剣に曲目を見ている間、その横顔を見つめてしまう。
「凌ちゃん、これ、これなら知ってる」
「あっ、そ、それか。わかったわかった」
 急に振り返ったなゆみにドキッとしてしまい、慌てて凌雅はその番号を入力した。
 イントロはすぐに流れ、二人でテレビ画面を見つめて一緒に歌いだした。
 凌雅は講師になったつもりでなゆみの顔を時々見つめ、その調子とばかりに首を縦に振って励ます。
 なゆみも恥ずかしいながらもマイクを握って一生懸命歌っていた。
 次第に慣れてきて、緊張感がほぐれるとなゆみは気が楽になってきた。曲を歌い終わると、ふーと息を吐き、凌雅に向けて笑顔を見せていた。
「ナユ、なっ、ちょっと気分良くなっただろ」
「うん。凌ちゃんが歌うまいから、一緒に歌ってくれて楽しくなってきた」
 「その調子だ」とかわいがるように、凌雅はなゆみの頭を軽く撫ぜてやった。
「あっ」
 なゆみはまた驚く。店に入る前にも同じ事をされていたので、この時はそれを無視できなかった。
「どうした?」
「凌ちゃん、やっぱり氷室さんの弟だ。氷室さんと同じことしてくれる。何かあると、氷室さんもあの大きな手で頭に触れていつも私を慰めてくれるの。やっぱ り似ているなって思っちゃった」
「そ、そうか」
 凌雅は相槌を打ったが、兄と似ているといわれぐっと胸に突っかかってしまった。どこか比べられている感が拭えない。
 このときはその気持ちを抑えた。
「ナユ、もっと歌え」
「次、凌ちゃん歌ってよ。もっと凌ちゃんの歌聴きたい」
「じゃあ、俺の今の気持ち歌おうかな」
 凌雅はミスチルの”抱きしめたい”を選んだ。
 イントロが流れるとなゆみをちらりと見つめる。そこには気持ちが入り、一瞬だけ本気の表情を覗かせた。
 そしてそれをすぐ隠すためにおどけた笑いをわざと作り、そして歌い始めた。
 なゆみはそれがラブソングとは知らず、凌雅の歌の上手さを楽しんでいる。
 サビの部分で”抱きしめたい”というフレーズが出たとき、凌雅はなゆみの肩に手を回した。
 一度だけ強くぎゅっと自分に寄せ、そしてすぐに手を離したので、なゆみは楽しませる演出だと思って全く気にしなかった。
 だが凌雅はなゆみを思いながら歌っていた。
 このまま兄の氷室からなゆみを奪えたらどんなにいいだろうと安易に考えてしまっていた。
 凌雅が歌い終われば、無邪気になゆみは拍手をして喜んでいる。
「凌ちゃん、これだけ歌上手いのに、どうしてバンド辞めたの? プロになってたかもしれないのに」
 なゆみが何気なしに言った質問で凌雅の笑顔が消えた。しかしすぐに作り笑顔を見せる。
「実際そんな話が舞い込んだよ。音楽プロデューサーが契約しないかってね」
「えー、だったらなんで、続けなかったの?」
「そんな話があっても簡単にデビューできるもんじゃないんだぞ。ああいう世界は厳しいんだ。売れるか売れないかのどっちかしかない」
「でもやってみないとわからない」
「えっ?」
「夢を叶えるって失敗を恐れずになんでもやらないとそこに到達できないんだよね。そしていつかチャンスが訪れるかもしれない。でもやらなかったら絶対に チャンスは訪れない。大きな差だと思う」
「だったら、やってもし失敗したらどうすんだよ」
「失敗? 夢を追いかける人はそんなの最初から頭に入ってないと思う。それにその時にでた結果はその時判断すればいい」
「後悔してたらどうすんだよ」
「でもやらなかったとしても、あのときやってたらよかったって後悔するときもあるし、やっぱりやってから判断した方が得なような気がする」
「ナユ、結構怖いもの知らずなとこあるだろ」
「えっ? そりゃ、無茶することはある。アメリカでバスジャックに巻き込まれて危機一髪だったし、自分でも抜けてるって自覚も持ってる」
「その話、兄ちゃんから聞いた。最初聞いたとき作り話だと思ったよ。だけど夢に向かって突っ走るって話はナユだからそう考えられるんだよ。俺は夢を追いか けることよりも、くだらないプライドで自分を縛り付けてしまった」
「どんな?」
 凌雅はその後答えるのを躊躇った。
「なあ、ナユは一人っ子なんだろ」
「うん、そうだけど」
「だったら兄弟のことなんてわからないだろうな。しかも血が半分しか繋がってない異母兄弟のことなんて特に」
「えっ? どうしたの? それとプライドがどう関係あるの?」
「別に意味はないんだ。忘れてくれ。さあもっと歌おう」
「うん……」
 なゆみはなんだかすっきりしなかった。凌雅は本当は何か言いたかったように思えた。
 その後も交代で歌を歌い合う。
 声を出して発散するとなゆみの気分も落ち着き、時間が経つのも忘れていた。不意になゆみが時計を見て驚き、それでお開きとなり帰ることにした。
 凌雅はとことんなゆみのために付き合い、支払いも凌雅が済ませた。
 なゆみが恐縮していると、凌雅はまた気遣う。
「気にすることはない。昨日料亭でナユのお父さんに奢ってもらってるし、それに比べたらこんなの安い」
「ありがとう、凌ちゃん」
 凌雅はデート気分でこの後もなゆみを家まで送る。
 車の中でなゆみはすっかり凌雅に慣れて会話が弾んでいた。
「ねぇ、氷室さんって高校生の頃はどんな感じだった?」
「兄ちゃんが高校生の頃って、俺まだ小学校に上がった頃だったから、すごい偉大に見えた」
「偉大か。それは私も思う」
「とにかくかわいがってくれた。勉強も教えてくれたし、宿題なんかいつも手伝ってくれた。俺には優しかったけど、あの時兄ちゃんは荒れてた」
「荒れてた?」
「ああ、俺の母親、兄ちゃんにとったら継母だから、馬が合わなかったのもあったんだろうけど、父ともよく喧嘩してたよ。多感な思春期のころだから、兄ちゃ んも苦しんでたと思う」
「そっか大変だったんだ。でも苦境に負けないで頑張ってたんだろうな」
「それは俺も認める。兄ちゃん勉強ばっかりしてたよ。だけど一方で自棄になってとっかえひっかえいつも違う女の子と付き合ってたりもした」
「えっ」
「あっ、ごめん。これは聞かなかったことにして」
「ううん、き、気にしてないから。そ、そんな昔のことだし。それに氷室さんかなりもてたんだろうね」
 口ではそう言っても、声は上擦り、なゆみの本心は全く正反対だった。そして怖いもの見たさでもっと聞きたくなる。
「それは本当にその通りだった。兄ちゃんは俺の目からみてもあの時憧れるくらいかっこよかったもん。バレンタインデーのときなんてすごいチョコレート貰っ てた。お陰で子供の頃はチョコレート一杯食べられた。鼻血も一杯でたけどね」
「そ、そう。でもそんなにもててたのに、どうして30過ぎても結婚しなかったんだろう」
「兄ちゃんの場合、付き合っても長続きしないんだ」
「長続きしない?」
「うん、いつも相手からアプローチされて、見かけがそんなに悪くなかったら兄ちゃんは拒まない人だった。だから自分から好きになることなかったんじゃない かな。それに兄ちゃん傲慢な性格 だろ、飽きるのも早かったけど、兄ちゃんの中身を知った女性も愛想尽かすの早かったみたい」
「でも、氷室さん、今は全然そんなんじゃないよ」
「ああ、兄ちゃん変わったと俺も思う。ナユと出会って変わったんじゃないのか。今はナユに捨てられること本気で心配してるもん」
「私が捨てる? そんなの反対だよ。私の方が愛想つかれちゃいそう。だってまだ一度も寝てないんだよ」
「おいおい」
「あっ、また言っちゃった。でももういいや。ちょっと聞いて。私も全部が初めてなの」
「全部? 初めて?」
「だから、何も知らないから、全てが不安なの」
「それって、アレってこと?」
「アレでもソレでもなんでもいいんだけど、とにかく正直言えば怖いの。今日の氷室さんは本当に怖かった。どうしたらいいんだろう。私このままでちゃんと氷 室さんの相手できるのかな。やっぱりあの時我慢すべきだったのかな」
「えっ、お、俺にそんなこと聞かれても」
「帰ってきてそうそう、こんなことになってしまって辛い」
 なゆみは氷室がモテて過去に沢山の女性との付き合いがあると知ってしまい、動揺のあまり暴走していた。
 目の前にいるのが氷室の弟ということも忘れ、とに かく思ったことを誰かに聞いて欲しくて仕方なかった。
「ナユ、気にしすぎだよ。ナユは俺の目から見てもいい女だぜ」
「えっ? でもお世辞でもちょっと嬉しいかな」
「なんでそんなに自分に自信がないんだ。もったいないよな。一回りも離れた男なんかと付き合うから、もう結婚のこと視野に入ってるんだろ。ナユはもっと恋 愛経験積んどくべきだったんだよ」
「恋愛経験って、結構人を好きになったよ。初恋は幼稚園の頃だったし」
「だからそういうことを言ってるんじゃなくて、もっと色んな男と付き合うってこと。一度兄ちゃんと別れて他の男と付き合ってみたらどうだ?」
「えー、そんな」
「俺なんかどうだ。兄ちゃんより若いぜ。それに俺、ナユが好きだし、兄ちゃんから奪いたい。俺のところに来いよ」
 凌雅は声のトーンを落として真剣に語った。真面目な顔つきで、前をじっと見つめてハンドルをぎゅっと握る。
「もう本気で悩んでいるのに冗談は止めて。そういえば氷室さんも言ってたけど、凌ちゃんはいたずら好きだから、よくふざけるんだよね」
「おい、そこは『えっ』って驚くところだろ。少しくらいは真面目に受け取れよ。それに俺、本当に本気だぜ」
 凌雅はムキになったが、なゆみの鈍感さなど全く知らない。この状態で告白しても全然効果なかった。
「でも凌ちゃん、ありがとう。そうやっておどけて元気つけてくれてるんだよね。困ったときに助けてくれるところ、やっぱり氷室さんに似てる」
 気持ちが伝わらないどころか、兄を引き合いに出され凌雅の顔が歪んだ。
「俺は、兄ちゃんとは全然似てない!」
 凌雅は突然叫んでしまった。なゆみは驚いて凌雅を見つめる。
 凌雅もはっとしてすぐに取り繕うと躍起になった。
「あ、ごめん。兄ちゃんって先に生まれているだけに、後から生まれたものは比べられてどうしても似ているとか言われるの嫌なんだ。俺は俺だから」
「私こそごめん。そうだよね。凌ちゃんは凌ちゃんだ」
 なゆみはなんだか、凌雅の心に秘めたる何かを見たような気がした。
 そしてカラオケで凌雅が言った言葉を思い出す。
『だったら兄弟のことなんてわからないだろうな。しかも血が半分しか繋がってない異母兄弟のことなんて特に』
 凌雅には氷室との間で何かあるとなゆみは気がついてしまった。
 凌雅は真っ直ぐ前を見て運転しているが、何かに葛藤して歯を食いしばっている。
 さっきまでは楽しく語り合っていたが、急に静かになりなゆみも凌雅も落ち着かなくなってきた。
 沈黙を破ろうと、なゆみは車に備え付けられていたカーナビを見つめ自分の家が近づいてきたことを凌雅に告げた。
「そろそろ私の家につく頃だ。凌ちゃん、忙しいのに私に付き合ってくれてありがとうね。とても楽しかった。凌ちゃんの歌聴いたら、私もファンになった」
「そっか、俺も楽しかった。またカラオケ行こうな」
「うん。凌ちゃんの歌が聴けるなら喜んで。ギターも得意なんでしょ。よかったら演奏聴きたいな」
「OK、いつか聴かせてやるよ」
 また凌雅の調子が戻ってきてなゆみは少しほっとした。
「あっ、そこの角を左に曲がったら、すぐ家だ」
 車は左折する。
 その時前方右側を見れば、自分の家の前に黒い岩のような影が二つあった。誰かがしゃがんで花火をしているようだった。
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