Temporary Love3

第二章


「あれ? 誰か家の前で花火している」
 なゆみは不思議そうに暗闇に薄っすらと浮かぶシルエットを見つめていた。
 凌雅が手前で車を止め、なゆみが車から降りると、岩のような影がむくっと立ち上がった。
 すごく大きな人影がゆっくりと近づいてきて、不安がにじみ出たような声で「なゆみ」と名前を呼ばれる。
「えっ、氷室さん?」
 なゆみが半信半疑でボーっと突っ立っているところを、氷室は罪を償うように思いっきり抱きしめた。
「ごめん。ほんとにごめん」
 なゆみは抱きしめられるままに、じっとしていたが、次第に胸にじーんと氷室の気持ちが届き無意識に手は氷室を包み込んでいた。
 こうやって来てくれたことが素直に嬉しかった。
 不安が一度に拭い去る。
 凌雅は車から降りて、二人の姿を面白くなさそうに見つめていた。
「兄ちゃん、いつの間にここに来てたんだよ」
 凌雅はまた邪魔をするかのように声を掛ける。
「お前こそ、なんでなゆみを連れさらっていくんだ。しかもこんな時間までどこへ行っていた」
「ちょっと気晴らしにカラオケ」
「勝手なことするな」
「そんなこと言ったって、兄ちゃんが悪いんじゃないか。俺は関係ないよ」
 二人が言い争うので、なゆみは止めに入る。
「氷室さん、私が一番悪いの。ごめんなさい。凌ちゃんは私のために気を遣ってくれただけ」
 氷室と凌雅は黙り込むも、お互いの気持ちがくすぶりいがみ合ったままだった。
「あのー、お取り込み中すみません。ここではなんですので、家に入りません?」
 竜子が後ろから声を掛けた。
 その時氷室は母親の前でなゆみを抱きしめたことにはっとして、慌てて離れてしまった。
「あら、そんなことしても遅いですよ。もうばっちり見ちゃった。そしたら私も凌雅君と……」
「お母さん、何を言うの、それ寒すぎる」
 なゆみに言われても懲りずに、竜子はおどけて笑いながら手招きして、家の中に入っていった。
「んもう、いつもあの調子だから、恥ずかしい。とにかく、皆さん、狭い家ですけど、入って下さい」
 なゆみに案内され、氷室も凌雅も家の中に入っていった。

 ダイニングのテーブルに氷室と凌雅は並んで座り、竜子が流し台の前で容器に入った冷たい麦茶をグラスに注いでいる。
 なゆみも何か食べられるものはないかと戸棚を開けてごそごそしていた。煎餅を見つけ封を開けながら呟く。
「お母さん、だけどなんで、氷室さんと家の前で花火なんかしてたの?」
「血相変えて突然氷室さんが家に現れて、話聞いたらなゆみと喧嘩したとか言うのよ。それなら家の中に入って待ってって言ったのに、外で待つって言い張っ て、 だからなゆみが帰ってくるまで一緒に付き合ってたの。喧嘩の理由も聞きたかったし、でも氷室さん絶対言わないのよ。つまんない」
 なゆみもそれは絶対言えないと少し恥ずかしくなり俯いてしまう。
 氷室もまた自分の失態を思い出し羞恥心がこみ上げて、苦虫を噛んだような顔になっていた。
 凌雅は先ほどの言い合いでイライラしていたので、氷室がやった行いを暴露してやろうかと冷たい目つきで氷室を見ていた。しかしなゆみが困るだろうと察し てぐっと言葉を呑んだ。
 竜子はグラスを氷室と凌雅の前に置き、二人は軽く会釈する。
「凌雅が送ってくると思ったから外で待ちたかったんだ。俺がしょぼくれて立ってたら、見かねて花火でもしましょうってなゆみのお母さんが持ってきてくれ た」
 氷室がその後を説明する。
「お母さんもよくそんなもの用意してたわね」
「なゆみが帰国するから、歓迎の意味を込めての花火として買ってたの。本当は打ち上げ花火でもあげてどーんと迎えたかったわ」
「はいはい」
 なゆみはいつものことだと相手にするのをやめて、お菓子をお皿に入れてテーブルに置いた。
「ナユのお母さん、やっぱり面白い」
 凌雅はにこっと竜子に笑顔を向けた。
 竜子は素で喜んでいた。
「あのさ、さっきから気になってるんだけど、あそこに飾ってある写真……」
 氷室が指を指した先には、ハリウッドスターが写っている例の写真が飛び出して見えるくらいに存在感を出していた。
 スコットが氷室に地位を見せ付けてるようでもあり、また斉藤家にすっかり馴染んでいるスコットに危機感を感じて落ち着かない。
「あれ、スコットの友達だって。たまたまハリウッド俳優になっちゃったんだって」
 自分もびっくりだったと言いたげに、なゆみもスコットの凄さを氷室に恐々と知らせる。
「スコット、すげー。兄ちゃんやっぱり負けてるな」
「おい、凌雅」
「あっそうだ、写真と言えば、なゆみの小さい頃の写真でも見ます?」
「お母さん、やめてよ」
「俺、見たい」
 凌雅が催促する。
 母親は用意していたというくらい、すぐ近くからアルバムを取り出した。
「なんですぐにこれが出てくるのよ」
「なんかさ、なゆみが留学中で寂しかったから昔の写真とか見てて色々思い出してたの」
「お母さん……」
 なゆみは母親の気持ちにしんみりとなった。そして氷室もその姿をじっと見ていた。
 しかしすぐになゆみが抱いた気持ちが飛び去る。
「ほらほらこれ見て見て、このとき悪い子だったのよ」
 幼児のときとはいえ、オムツだけの姿の写真を氷室たちに見られるのはなゆみは恥ずかしかった。
「もう、そんな写真見せないでよ」
「いいじゃないか。じっくり見せてくれ。俺の知らないなゆみの姿見たい」
 氷室は楽しそうにアルバムをめくった。
 成長していくなゆみの姿に微笑んでいた。
「うわ、これナユ? かわいいじゃん。髪の毛こんなに長かったんだ」
 セーラー服を着た、背中くらいにまで髪が伸びているなゆみの写真を見て、凌雅が声を上げた。
「うん、中学生の時はなんか伸ばしてたんだ」
「そうそう、このとき片思いだった人が髪の長い女の子が好みだからって、一生懸命伸ばしてたんだよね」
「お母さん!」
 なゆみは氷室の前で暴露され、慌てふためく。
「どんな奴が好きだったんだ」
 氷室は好奇心から聞かずにはいられなかった。
「あっ、この人、この人。 矢嶋由貴斗君」
 竜子は面白がってクラスの集合写真に写っている人物を指差した。
 そこには黒い学生服を来たスポーツマンタイプの背の高い男の子が写っていた。
 氷室はそれをじっとみる。
「なかなかかっこいいな」
「だからかなりモテてた人だった。私なんて遠くから見てるだけで精一杯」
「あら、席が隣になったとか言って、すごく近いところから見てたときもあったじゃない」
「お母さん、なんでそんなことまで覚えているの。もう何もしゃべらないで」
 なゆみは苦笑いになりながら氷室がどう思っているのかちらりと見ると氷室は微笑んで写真を見ていた。
「ナユはこのときモテなかったのか。すごくかわいいんだけど、俺だったら放っておかない」
 凌雅はこのとき、意味ありげに氷室を一瞥していた。
「全然モテなかった。このときは皆でわいわいしてた感じだった」
「モテてたかは別にして仲のいい男の子は一杯いたよね」
 竜子はまだ話のネタを提供したいとばかりにニタついていた。
「だから、お母さん、もういいから」
「それが、いっちゃ悪いけど変な男の子も寄って来てね、それで困ったこともあったね」
 母親がさらに暴露する。
「お前、このときから変なものを引き寄せていたのか」
 氷室が驚く。なゆみの問題を抱え込む性質は筋金入りだったと唖然としていた。
「もう、勘弁してよ。そんな昔のこと忘れた」
 なゆみは自分の過去を氷室にこれ以上知られるのは嫌で、アルバムを無理やり閉じて取り上げてしまった。
「いいじゃん、ナユ。ナユのこともっと知りたい。ナユのお母さん、もっと面白い話ないの?」
 凌雅が竜子に聞く。
「あるわよ。この子ね……」
 なゆみは母親の口に手を当てて遮った。
「お母さん、それ以上言ったら、私出て行くから」
 竜子はふさがれた手を払い、素知らぬ顔で「どこへ?」と落ち着いたもんだった。
 なゆみの方が却って困ってしまった。
 氷室は心の中で「俺のところだろうが」と一人突っ込んでいた。
 その後、過去の話は落ち着き、凌雅がなゆみの部屋を見たいと言い出す。
 なゆみは困りながらも、渋々と案内した。
 階段を上りながら後ろを向く。
「氷室さんのようなあんな綺麗な部屋じゃないので、恥ずかしい」
 そう言って部屋の前で覚悟を決めてドアを開けると、氷室も凌雅も好奇心向き出しにして中を覗き込んだ。
 ベッドと机、本や小物が入った棚があり、壁には星条旗が飾られ、アメリカンな雰囲気がする部屋だった。
 二人は中に入って辺りを見回す。
「アメリカ好きな感じがする」
 凌雅がナユらしいと笑っていた。
「おっ、やっぱりキティちゃんのグッズが所々にあるな。俺もまだ持ってるぞ」
 氷室はズボンのポケットからキティのキーホルダーを取り出す。
「やだ、氷室さん、それ真っ黒」
 そのキーホルダーは薄汚れて黒ずんでいた。
「いつも持ち歩いて、癖のようにしょっちゅう握ってた。黒くしてごめん」
 なゆみは首を横に振って、氷室が常に大切に持っていてくれたことが嬉しいとにっこりと微笑んだ。
 凌雅は二人にしかわからないやり取りに少しぶすっとした表情を見せつつ、なゆみのベッドの上にどさっと座り込んだ。
「へぇ、ここでナユは寝てるんだ。俺も一緒に寝たい」
「凌雅! お前なんてことを言うんだ」
「いいじゃん、男だもん。正直な気持ち述べたって」
 凌雅は悪びれもせずに粋がって喋っていた。
「氷室さん、いいんです。凌ちゃんはカラオケで歌ってるときも、ずっとこんなんでした。わざとこういうこと言うのが好きなんですよ。なんかもう慣れちゃっ た」
 なゆみは鈍感なこともあり全然気にしていないが、氷室は凌雅の取る行動が鼻についた。
「凌雅、そろそろ帰るぞ。先に車に乗っておけ」
「ちぇっ、またかよ。はいはい、邪魔者は消えます。じゃあな、ナユ。また遊びに行こうな」
「凌ちゃん、本当にありがとうね」
 凌雅はなゆみの頭をくしゃっとするように撫ぜて、顔を近づけてにっこりと微笑み、そして階段を下りていった。
 氷室は凌雅が取る行動がさっきからどうも腑に落ちない。それに気を取られていたが、なゆみが抱きついてきてはっとする。
「氷室さん、今日は本当にごめんなさい」
「それは俺の台詞だ。すまなかった。あんなところ見せてしまって俺、情けない」
「もういいんです。原因を作ったのは私だから。それに今度こそは絶対に」
「おいっ」
 なゆみは自分が意味したことに少し頬を赤らめ、そして必死にこの日の起こったことを打ち消そうと踏ん張っていた。
 凌雅から聞いた氷室のモテていた話がいつまでも頭に残っていたからだった。
 自分がいつまでも氷室と結ばれないことで、氷室との関係が崩れていくことを恐れている。
 しかし、あの時の氷室の姿を思い出すと怖い感覚も蘇り、寝るということがとても大きな課題に感じていた。
 なゆみの体に力が入り固くなると、なゆみが無理をしているとひしひし伝わってくる。氷室は自分がしでかしてしまったことでトラウマにならないか心配に なった。少しでも安心させようとなゆみの頬を優しく両手で包み込み、かがんでそっとキスをした。
「なゆみ、もう無理するな。本当にすまなかった。もう二度と感情任せにお前を抱こうなんて思わないから」
「でも私を愛して抱きたいと思ったなら、抱いて下さい。そしたら私もきっと応えられると思います」
「なゆみっ!」
 氷室はぐっときてひしっとありったけの力を込めて抱きしめてしまった。
「ヒィー、氷室さん、それは、く、苦しいです。感情任せに抱き過ぎです」
「あっ、ごめん」

 氷室が車に乗り込み、なゆみと竜子は玄関の外で見送っていた。
 クラクションが短く一度鳴らされると、車は去っていった。
 見えなくなるとなゆみは夜空を見上げ、息を吐く。
「なんか、長い一日だった」
「でも、氷室兄弟はいつ見てもかっこいいわね。なゆみと結婚したらどっちかが私の息子になるのね」
「お母さん。なんでどっちかって二つの選択になるのよ」
「あっ、そっか、ごめん。スーさん入れるの忘れてた。三つの選択だったわね」
「訂正するとこ違うでしょ!」
「さあて、お父さんもそろそろ帰ってくるわ」
 竜子は笑いながら家の中に入っていった。
 なゆみは最後にどっと疲れて背中が丸まってしまう。だがこの後ももっと疲れることになるのだった。
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