Temporary Love3

第三章


「父さん、なんで俺が弟の恋路の邪魔をしているんだよ。なゆみの恋人は俺だ」
「コトヤ、年取ってきて焦る気持ちはわかるが、何も弟の恋人を奪おうとすることないじゃないか。嘘つくのはやめなさい。まあなゆみさんがあれだけかわいい と嘘をつきたくなる気持ちもわからんでもないぞ」
 京は呆れていたが、同情する気持ちも持ち合わせていると自分の息子を庇う気遣いも見せていた。
 何かが狂っている。もやもやする感情で心かき乱された氷室は体を震わせる。
「なんでそうなってるんだ? 俺はちゃんと敦子さんにも電話で、なゆみは俺の恋人だって言ったぞ」
 氷室は敦子を探しに慌てて一階へ下りていった。
 敦子は嬉しそうに笑みを浮かべ、居間のソファーでレース編みに夢中になっている。
 「敦子さん」と氷室が呼ぶと、一度手元を止めてにこっと幸せそうに微笑んだ。
「コトヤさん、お帰りなさい」
 そしてまた忙しくレース編みをしだした。
「どういうことだ。なゆみは俺の恋人だって電話で説明したじゃないか」
「えっ、そんなこと聞いてませんよ。凌雅がなゆみさんを彼女だって直接紹介してくれましたけど」
「だから、凌雅が嘘をついていて、俺からなゆみを奪おうとしてるんだってば」
「でも、なゆみさんも、凌雅の恋人と言われても否定しませんでしたけど」
「それは、凌雅が勝手にここにつれてきてしまったから、俺抜きで自分の紹介ができなかっただけです。なゆみもどうしていいのかわからなかったんですよ」
 氷室がどんなに間違いを訂正しようとしても、敦子は自分の世界に入り込んだように、微笑んでひたすらレース編みを続けていた。その様子が氷室には不気味 に映った。
「敦子さん、俺の話聞いてます?」
「えっ? はい、もちろん」
「だったら、何か言って下さいよ」
「凌雅ね、今日、私のこと『母さん』て久し振りに呼んでくれて、そして一緒にお昼を作って食べて、後片付けまでしたんですよ。楽しかった。凌雅となゆみさ んも息ぴったりで見てて微笑ましかった」
「敦子さん……」
「コトヤさん、お願い、なゆみさんと凌雅のお付き合い認めてあげて」
 敦子は手元を止めて氷室を見つめお願いする。
「認めるって、何を言うんですか。だから、なゆみは俺の恋人だってさっきから言ってるじゃないですか」
 敦子は氷室が主張しても聞く耳持たず、氷室を無視してまた忙しくレースを編みだした。
 氷室は呆然として、もう何も言えなくなった。
 そこに京が現れた。
「敦子、生姜湯作ってくれないか。なゆみさんが熱を出して、寒いと震えている。それから風邪薬もだ。今、凌雅が看病しているよ」
「あら、それは大変。すぐに生姜湯作ります。それと熱を冷やすもの用意しなくっちゃ」
 編み掛けのレースをコーヒーテーブルの上に置き、慌てて台所へと向かった。
 ヤカンに水を入れ火を掛けると、次は入れ物を引っ張り出して水を入れタオルを用意した。
 それをもって二階に駆けつける。
 氷室ははっとして、後を追いかけていった。
 
「凌雅、これでこまめになゆみさんの額を冷やしてあげてちょうだい」
「ああ、わかった」
 凌雅は素直に言うことを聞いていた。それも敦子には嬉しいことだった。
「なゆみさん、すぐに温かい生姜湯作りますからね。もうちょっと待っててね」
「お母さん、すみません」
 なゆみが凌雅の母親を躊躇いもなく”お母さん”と呼んだことに、氷室は驚いていた。
「おい、凌雅、ちゃんと説明しろ。敦子さんに本当のことを話せ」
「コトヤさん、邪魔をしないで下さい」
 敦子は忙しいと氷室を突き飛ばして下の階に下りていった。氷室はよろめいていた。
「兄ちゃん、何焦ってるんだ。なんか面白くなってきたね」
「凌雅、いい加減にしろ。我慢の限界だ」
 氷室の怒りは頂点に達してきた。
「氷室さん、どうしたの。落ち着いて」
「なゆみ、それが落ち着いてもいられない。敦子さんも、俺の父も、お前の恋人は凌雅だと思い込んでいる」
「えー、氷室さんが来てもまだ誤解解けてないんですか。どうして? それじゃ私が」
「おい、なゆみ無理するな」
 起き上がるなゆみを支えるために氷室が近づこうとすると、凌雅が腕を伸ばして遮った。
「ナユ、寒いんだろ。布団から出るな。ほら、寝ろ」
 なゆみはこの騒ぎと熱でなんだか朦朧としてきた。震えは一層強まる。
 凌雅はタオルを水で絞ってなゆみの額にあてた。
 氷室はその様子を苛ついて見ていたが、とにかくなゆみが良くなるまで待つしかないと暫く我慢することを決め込む。
「凌雅、後で覚えていろよ」
「さあね」
「氷室さん…… 今日もダメでした」
 なゆみは熱にうなされながら口走る。
「ナユ、何がだめだったんだ?」
 凌雅は聞き返したが、氷室にはなゆみがアレを覚悟していたことがしっかりと伝わっていた。 
「なゆみ、気にするな。早く元気になってからだ」
「はい。でも今日は危なかったんです。凌ちゃんに襲われるところでした。もうそんなの嫌です」
 なゆみはついポロっとこぼしてしまった。
「えっ、どういうことだ? 凌雅に襲われるところだった? 凌雅、お前、なゆみに何をしたんだ」
 血が沸騰するように体の中から怒りが湧き上がり、氷室の息が突然早くなりだした。
「何をしたって言われても、結局は何もしてねぇよ」
「でも襲われるところだったって、どういう意味だよ」
「その通りの意味に決まってるじゃないか。他にどんな意味があるんだよ」
「お前、ほんとになゆみを襲おうとしたのか」
「言っただろ、俺は力ずくでも兄ちゃんからなゆみを奪うって」
「凌雅! それはレイプじゃないか」
「何を言ってんだ。自分もこの間同じことしてたくせに」
 凌雅は悪びれることもなく軽々と皮肉った。
 氷室のこめかみに血管が浮き上がるくらい怒りに震え、喉元からも煮えくり返った怒りが押し上がってくる。
 凌雅は面白いと、氷室を冷めた目つきで見ていた。
「殴りたいんだろ。やってみろよ。受けて立つよ」
「凌雅!」
 そこに、敦子がまた部屋に戻ってきたために、氷室は怒りを飲み込む。部屋の端に寄り何度も肩を上下に揺らしながら、必死に堪えていた。
「生姜湯と薬持ってきたわ」
 マグカップに入った生姜湯と薬と水を盆に乗せて敦子が運んできた。それを凌雅に渡す。
「なゆみさん、少し起きられますか」
 すでにうとうととしていたなゆみは、敦子に優しく触れられながら朦朧とした中で体を起こした。
「凌雅、熱いから、ゆっくりと彼女に飲ませてあげるのよ」
「ああわかった」
 敦子は凌雅に笑顔を見せて満足そうな表情を浮かべる。
「凌ちゃん、私一人で飲めるから」
 弱弱しい声でなゆみがぼんやりと伝える。
「ダメダメ、俺が手伝ってやる。ほら、先に薬飲め」
 その二人のやり取りを敦子は微笑ましいと見てるが、氷室は部屋の隅で発狂しそうになっていた。なんとか怒りを押さえ込み、一人耐えている。
 外はかなり風が吹き荒れ、窓を殴るように雨が降り注いでるが、氷室の心の中も荒れ狂う天候と同じように渦を巻いていた。
「ああ、台風酷くなってますね。私の家大丈夫かな」
「なゆみさん、今日はここに泊まっていらして。その体では却って体力を消耗して熱が高くなるわ。お母様には私からお電話差し上げますわ」
「えっ、でも」
「いいじゃん、ナユ、泊まっていけよ。そんな体で帰したら俺も心配だ」
 凌雅が生姜湯をなゆみに飲ませながら言うと、それを睨みながら氷室も静かに助言する。
「なゆみ、今日は泊まっていけ。その方がいい」 
 凌雅は氷室を一瞥すると、二人はまた無言で睨みあっていた。
 氷室に言われたのでなゆみはうんと首を縦に振ったが、二人の様子がおかしくなっていることに不安を感じてしまう。
「あの、本当にすみません。なんか私が来たせいでご迷惑かけているみたいで」
 ここへ来てから何かが狂っている。なゆみは不穏な雰囲気を感じられずにはいられなかった。
「そんなことないわ。なゆみさんが来てくれて本当に嬉しいわ。ゆっくりして下さっていいのよ。ねぇ、凌雅」
 敦子は優しい笑みを浮かべて、凌雅に相槌を求めた。
「ああ、そうだな」
 凌雅も普段見せない顔を敦子に見せていた。
 氷室はその様子を黙ってじっと見ていた。

 なゆみは母親の勤務先の電話番号を教えると、凌雅が早速携帯に打ち込んで電話を掛ける。
「あっ、ナユのお母さん。こんにちは。凌雅です」
 電話の向こうから「キャー」という喜びの声が携帯から漏れた。
 なゆみはまた恥ずかしくなって、首をうな垂れた。
「今、ナユ、俺の家に居るんです」
 そこまで言うと、氷室が凌雅に任せられないと横から電話を取り上げた。
「もしもし、氷室です。今、俺の実家なんですけど、今日なゆみはここで泊まることになりました。いえ、その」
 今度は氷室に任せられないと敦子がその電話をひったくった。
「もしもし、初めまして、氷室の母親の氷室敦子と申します。どうもうちの息子がお世話になってます。いえいえ、そんなことないです。あの、それで、なゆみ さん熱が出まして、台風ということもありますし、このままで帰るよりかは、今日は泊まって頂く方がいいと思いまして、ご連絡いたした次第です。全然迷惑で はないです。こちらこそ、なゆみさんに来てもらえて嬉しかったです。はい。あっ、わかりました。ちょっと待って下さい」
 敦子は受話器をなゆみに渡した。
「もしもし、お母さん。台風大丈夫? 私は大丈夫。うん、そういうわけで一晩お世話になることになりました。うん、わかってる。心配しないで。大丈夫だか ら。うん。それじゃ切るね」
 電話は忙しく回されてそして凌雅に返された。
「これで、大丈夫ね。それじゃ、なゆみさんゆっくりして下さいね。凌雅もしっかりと看病するのよ」
「わかってるよ」
 敦子は嬉しそうに部屋から出て行った。
 氷室はもう何も言えなくなっていた。
 敦子が進んで凌雅となゆみをくっつけようとしている。
 その理由も敦子を見ていたら大体わかってきた。
「ほら、ナユ、沢山生姜湯飲め。どうだ、美味しいか」
「うん、甘くて、それでいて生姜のスパイスがピリッとしてそれがなんか快感。体が温まる」
「俺も子供の頃、風邪引いたとき、これを飲まされたよ」
 なゆみと凌雅のやり取りを見てると、自分は一体なんなんだと氷室は情けなくなってくる。
 そして凌雅がここまで敵対意識を持って挑発してくるとは思わなかった。
 凌雅は昔から、からかいと称して嫌がらせを試み、氷室を困らすことを楽しむ傾向があるだけに、これも凌雅のゲームの一種と見なして、氷室は乗せられては いけないと落ち着こうとする。悔しいが暫く黙って大人しくしていた。
 その様子を気にしながらなゆみが「氷室さん」と声を掛けると、氷室は精一杯の笑顔をなゆみに向けた。
「なゆみ、何も心配するな」
 氷室は落ち着きを払った様子を見せていた。
 凌雅はそれが面白くないと、氷室をまたかき乱したくてよからぬことを企んでいた。
 生姜湯を飲んで体が温まったなゆみは、再び横になると薬の副作用もあってか、あっという間に眠りに陥った。
 時差ぼけも大いに影響し、暫く起きそうもないくらい深い眠りに入っている様子だった。
 凌雅は冷たい水で絞ったタオルをなゆみの頭にのせ、暫くなゆみの寝顔を見つめていた。
「なあ、兄ちゃん」
 凌雅は氷室に声を掛け、そして不敵な笑みを突きつけた。
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