Temporary Love3

第四章

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 未紅は思ったことをずけずけと口にしてまだ油断はできないが、一緒に食事をして話していると、そんなに悪い人だとなゆみは思えなくなってくる。
 未紅はどこかで自分を制御して、無理にヒールの高い靴 をかっこよく履こうとしているように見えた。
 本当はスニーカーを履いて、自由に走り回りたいような人なのではないかとも感じていた。
 自分に自信があるために、プライドが高くなり、自分はこうでなければならないと無理をしているように見えたからだった。
 でも食事の後半から徐々に見せた笑顔で、未紅の心の中のものが表面に出てきて未紅が少し身近に感じられた。
 それとも未紅はなゆみに合わせようとしていたのかもしれない。
 なゆみを見つめる目が急に温かくなり、それは心を開いて受け入れようとしている様子にも見えた。
 なぜ急にそのような態度を取るのかなゆみにはわからなかったが、未紅はなゆみを知ることで長年抱いていた氷室への思いと決着をつけようとしているよう だった。
 なゆみを受け入れれば入れるほど未紅の気持ちが楽になっていったからだった。

 食事は残業を償うことで未紅の奢りだったが、店を出てからなゆみは何度も割り勘を強調し、最後は未紅が切れてしまった。
「あんた、しつこいわね。そんなに私に奢られるのが嫌?」
「いえ、その高かったし、私の気がすまないというのか」
「だったら次、あんたが私に奢ってくればいいじゃない」
「えっ、また一緒に食事ですか?」
「ちょっと、それどういう意味よ。それも嫌ってことなの?」
「いえ、その、はい、わかりました。今日はどうもご馳走さまでした。ありがとうございます」
「あんた、やっぱり変わってるわ」
 未紅は呆れがとおり過ごして、最後に負けたと思いっきり素で笑ってしまった。
 その笑顔を見て、なゆみははっとした。
(あっ、この笑顔、そうだ氷室さんのアルバムにあった写真に写ってた女性だ)
 ピントが一気に合い、未紅に初めて会ったとき、見たことがあると思った謎が解けた。
 まさかと思ったが、なゆみは動揺しながら確認する。
「あら、どうしたの?」
「いえ、なんでも。あの、小山課長の好きな人なんですけど、いつから思い続けてたんですか?」
「また、その話?」
 街の喧騒の中、二人は駅に向かって歩いていた。未紅は都会の明るさであまりはっきりと見えない星を見つめて呟く。若き頃の自分を懐かしそうに思い出し、 その頃の自分と決別するような覚悟を持って回顧する。
「高校生のときからよ。彼は生意気で負けず嫌いで傲慢だったわ。でも家庭内で問題があって悩んでいたの。そしてそれに耐えられなくなって私に弱い部分を一 度だけ見せてしまった。あの時、彼に近づくチャンスだと思ったわ。でも彼は私 を受け入れなかった。私は癒してあげたかったの。彼が弱音を吐ける場所を与えたかった。でもそれはなんの助けにもならなかったのを彼自身わかっていたのか もしれない。だから私は友達として側でずっと見守っていた。いつか自分を見てくれるようにって淡い期待を抱いてね。だけどダメだった。そしてこの間同窓会 があってね、また彼に会ったの。あの時の思いも蘇って彼にアタックしたんだけどダメだったって訳」
 やはり氷室のことだとなゆみは思った。その瞬間、レストランで語った話の内容も突然もう一つの意味を成してしまった。
「ああ……」
 なゆみは衝撃でわなわなしていた。
「でもあなたと話していたら、なんか吹っ切れたわ。私も次に進む。今ね、私に結婚を申し込んでくれている人がいるの。その人のこと考えてもいいかなって思 えるようになってきた。どんなに断っても、決して諦めない人なのよ。ずっと待っているとか言って。女はそれくらい愛されなくっちゃね。あなたの彼の様に」
「小山課長……」
 最後の未紅の一言でなゆみの胸が一杯になった。
「私、正直、斉藤さんみたいな子が苦手だと思っていたわ。でもあなた、面白いわ。時々虐めたくなっちゃうけどね」
「あの、お願いです。もう虐めないで下さい。仕事だけはきっちりとしたいし、きっちりやったものがなくなったりするのは困るんです」
 なゆみは震えながら正直に訴える。氷室と付き合ってることで恨まれていると感じた。
「はっ? 何を言ってるの。食事してる時も仕事に差し支えあるようなことだけは…… とか言ったわよね。一体どういうこと?」
 なゆみは覚悟を決めて未紅のゴミ箱からなくなった書類が出てきたことを話した。
「ちょっと待って、それ私じゃないわ。私は上司よ、仕事に支障があるような意地悪するわけないでしょ。責任は私に回ってくるんだから」
「えっ、それじゃ誰が」
 未紅は暫く考えこんだ。
「今の段階では何も言えないけど、少し様子を見ましょう。必ず原因を突き止めるわ。あなたも自分の仕事をするときは回りに気をつけて。そして何か気がつい たことがあったらすぐに私に報告して」
「はっ、はい。わかりました」
 入ってすぐにいきなりの会社内のトラブルになゆみは怖くなる。
「大丈夫よ。必ず力になるから、私を信じて」
 未紅が見せた笑顔は清清しくかっこよかった。なゆみは信頼できる人だと未紅を憧れの眼差しで見つめる。
 そして元気よく「はい」と答えていた。

 その晩もなゆみは氷室に電話を掛ける。
「氷室さん、私、課長の下で頑張れそうです。今日一緒にご飯食べたんですけど、話してたら良い人だって思いました」
「えっ、あの女課長と食事したのか。何話したんだ」
 氷室は動揺して声が上擦る。
「その、色々ですけど、課長の過去の引きずった恋とか……」
 なゆみも言いにくそうにしたが、氷室もごくりと唾を飲む。
「で、詳しい内容は?」
「いえ、なんか吹っ切れたとかいってて、特に別に何も」
「ああ、そうか」
「でも、課長の話聞いてたら、私、氷室さんと出会ってよかったなって感謝の気持ちが湧いてきました。氷室さん、早く会いたいです」
「すぐ会えるじゃないか。約束の土曜日は明日だ」
「そうなんですけど、私はもっと二人だけで会いたいんです」
「その次の日、俺んちで会えばいいじゃないか」
「はい!」
 二人の顔は電話越しでは見えなかったが、お互い微笑んでいるのがわかっていた。
 なゆみは最後まで未紅が氷室の友達であることに気づいたことは言わなかった。
 ずっと知らないフリを決め込む。
 スコットが偶然隠し撮りした携帯の画像を思い出し、あの時の女性が未紅であることにも気がついたが、やはり氷室は何もしてなかったと再認識する。
 自分の思ったことは正しく、なゆみは益々氷室を好きになっていく。今すぐにでも氷室に飛び込んで行きたい気持ちになっていた。

 なゆみと電話を切った後、氷室の携帯に未紅から電話が入った。
「氷室君、元気?」
 どこかからかうような弾んだ声に、氷室はなゆみが何か変なことを言ったのではと推測する。
「なゆみと食事したんだってな」
「あっ、やっぱりもう聞いたのね。さっきの話中は彼女との電話だったのね」
「それで、何の用だ」
「そうね。別に用はないけど、でも氷室君、ほんと純愛やってるね。あの氷室君がね」
「何がいいたいんだ」
「ううん、二人はお似合いだと思って冷やかしよ。あの子はほんと抜けたところあるけど、いい子ね」
「抜けたところは余計なお世話だ。だか、否定はできないのが悔しい」
「だから、命がけで守ってあげたくなるんでしょ」
「一体なゆみから何を聞いたんだ?」
「全部よ、全部!」
「何が全部だよ。ほっといてくれ」
「それはいいんだけど、あの子、やっぱり社員から虐められていたみたいだわ」
「なんだって、そんなこと一言も聞いてない。あいつ大丈夫なのか」
「もちろん、大丈夫。私がなんとかする。虐めたのは私じゃないってことだけははっきりさせたくてね。私は氷室君にそう思われる節があるからね」
「すまない。あの時はついそんなことを言ってしまったが、よく考えれば、小山はそんな卑怯なことはしない奴だ。お前は常に曲がったことが嫌いだった」
「そうよね、私たち本当にお互いのこと良く知った、友達だもんね」
「ああ、そうだな」
「それから、氷室君、この間のことごめんなさい。それだけ言いたかった。私もお陰で目が覚めた。あなたにはっきりとふってもらえてよかった。斉藤さんとお 幸せにね」
「そんなこと言われなくてもわかってる。それじゃもう切るぞ」
 最後は照れ隠しのようにして電話を切った。未紅が最後に言った言葉で、氷室もまた過去の自分が浄化されていく。
 なゆみを幸せにする。それが過去にもう惑わされないこれからの自分の姿だと自信が漲るようだった。
「なゆみ、お前はやっぱりエンジェルだよ」
 氷室は壁に掛けてあったジェイクの絵を見つめていた。
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