Temporary Love3

第四章


 氷室は辺りが寝静まった街の中、夜空を仰ぎながら、遠い過去の記憶を必死に打ち消そうとして家路に向かっている。
 時が経てば過去のことは懐かしいという気持ちだけで処理できるものではなかった。
 思い出したくないことまで蘇り、過去の自棄になっていた自分と再び再会して落ち込んでしまう。
 自分が犯してきたことだが、目を逸らしてしまいたい。
 未紅にあのような態度を取られて氷室の心は重苦しく、それはずっと持続する。
 時計を見れば時刻は日付が変わっていた。
 なゆみのことを思いつつ、未紅と二人きりになったこの日の夜のことを振り返る。
 ため息が出るが、未紅と一緒に部屋に入り込むしかなかった。
 自分がやったことは間違っていると思っていても、過去の罪滅ぼし、自分で自分の始末をするかのように覚悟を決めてのことだった。
「なゆみに知られたら、ただではすまないな」
 氷室は星に問いかけるように呟いていた。
 その頃、なゆみは氷室がどこで何をしてどう思っているのかも知らず、その時すでに眠りについていた。

 そして日曜日、すっきりしない気分でなゆみはアルバイト先へと向かい、気が重いながらも、これで終わりだと言い聞かせて、再びコスプレのような服を着て 仕事に励む。
 仕事開始の前にまた引き締めて頑張って欲しいと、きつい目の責任者らしき男性に号令を掛けられる。
 一同「はい」と返事をして持ち場についた。
 A子はなゆみが前にいるのが気に入らず、わざとどしんとぶつかってきた。
 なゆみはよろめいたが、何を言ったところで無理だと諦め我慢していた。
 A子は他の女性アルバイトとは親しく話すが、なゆみだけは完全に見下していた。
 なゆみも何をそんなに嫌われるのだろうかと不思議だったが、世の中こういうものだと納得に努めた。
 いちいち理由を考えていたらやっていけない。一期一会 のような人に何を思われてもどうでもよかった。
 とにかく早く終わることを願い、こんなこと二度とするもんかと心で嘆いていた。
(氷室さん、早く会いたいです)
 氷室のことだけを思って、とにかく笑顔で踏ん張る。
 そこにスコットが現れたから、なゆみは絶叫しそうになった。
 しかもいつもよりご機嫌の笑顔をなゆみに向けている。
「ハーイ、ナユミ」
「(スコット! 何しに来たのよ)」
「(うーん、その姿もいいね。なんか萌えちゃう)」
 じろじろとニヤケながら見つめられ、なゆみは嫌だとばかりに体が反れかえる。
 その時ブースの奥からダブルのスーツを着た貫禄のあるおじさんが現れた。
「よっ、スコット」
「あっ、スズキ部長!」
 スコットが部長と呼んだにふさわしく、目の前の人物は落ち着きを払った態度を備え持っていた。威厳が溢れていて大い なる力をもった悪役お代官のようにも見える。見かけが怖い。
 なゆみは側に来た鈴木部長に緊張した。
 スコットが手を差し伸べ、二人は握手を交わす。スコットの親しみある笑顔はその場がなごみ、鈴木部長もつられて優しい笑顔を見せていた。
 スコットはなゆみの肩に手を回し鈴木部長の前でなゆみの存在をアピールする。
「僕が紹介したナユミはガンバッテますか?」
「ああ、よくやってくれてるよ。英語も話せるし、役に立ってる。いい子紹介してくれてありがとう」
 思った通りの言葉を引き出してスコットは満足し、ついでになゆみにも良くやったと褒めるようになゆみの背中を軽く叩いた。
 それもまたスコットの気遣いなのはなゆみには気がついていた。お陰で緊張してた気持ちが和らぐ。
「いいえ、どうイタマシテ。ところでスズキ部長、その後あの話は上手く行ってますか」
「ああ、なんとかな」
 鈴木部長は照れた笑いを向け、スコットと話が弾む。
 なゆみは何のことかわからないままも、合わせるように笑顔を見せていた。
 ハンサムな外国人と、この会社のお偉いさんとなゆみが話している姿はA子には気に入らない。
 なゆみがまた持ち場に戻ったとき、A子はさりげなく業務連絡をするように近づいた。
「あんた、一体何者?」
「何者と言われましても、ご挨拶遅くなりましたが斉藤なゆみと申します」
「ふーん。名前聞いた訳じゃないわよ。あんた舐めてるの?」
「いえ、そんなつもりじゃ」
「とにかくど素人の癖して生意気になってんじゃないわよ」
「そんなに私のこと嫌いなんですね。私は一体何をしたんでしょうか」
「そういう態度が鼻につくのよ。こういう世界はもっと謙虚になって先輩を立てないといけないのよ」
 A子がなゆみを毛嫌いする理由は、自分がちやほやされないからであった。
 周りの者は何かとA子に気を遣っていたらしく、なゆみはそんなことなど気づくはずもなかった。A子はこの世界では結構知られている存在だったらしい。
(そんなこと言われても、ここはどういう世界なのよ)
 なゆみは場違いなところに来たと、背筋がぞーっとしてきた。
 そこにスコットが入って来る。
 普段からニコニコしているが、このときの笑顔はよほど良い事があったのかと思わせるくらい機嫌が良かった。
 自分の着ている露出した服を見て喜んでいるんだろうか。
 なゆみが引くくらいスコットの浮かれた気持ちは度を越えていた。
「(スコット、何かいいことでもあったの?)」
「(ああ、ちょっとね。なゆみ、仕事終わったらディナー行こう。会場のエントランスのとこで待ってる。それじゃ後で)」
「スコット、ウエイト!」
 なゆみが氷室と待ち合わせしていると言う前にスコットは去っていってしまった。
「何、今の外国人、彼氏?」
「いえ、その違うんです。ちょっと訳ありの友達なんです」
 A子は益々気に入らないと露骨な嫌な顔を向けてなゆみを威嚇した。
 なゆみはひたすら耐えて、この日を乗り気切った。
 そして仕事が終わり、後は片付けとなったとき、なゆみもこの仕事から解放されるのが嬉しくて積極的に手伝っていた。
 これでもう終わりだと言うとき、鈴木部長がなゆみに声を掛けてきた。
「お疲れ様。スコットが言ってた通りだった。一生懸命頑張ってくれたね」
「いえ、その、どうもありがとうございます」
 鈴木部長は名刺を取り出し、なゆみに渡した。
「仕事探しているんだってね。スコットから聞いたよ。うちも今度募集しようかと思っているんだ。英語も話せる人材が欲しいから、一度私宛に履歴書送っても らえないか。私の一存で 決定できないから面接させてもらうことになるけど、それでもよかったら連絡して欲しい」
「あっ、はい。ありがとうございます」
 なゆみは丁寧に頭を下げて名刺を受け取った。まだ決まったわけではないが、次へのチャレンジとして有難く前向きに捉える。
 こうやって声を掛けてもらえる のも嬉しく、怖いと思っていた鈴木部長が後光を射した救世主に見えて来るから不思議だった。つい、後姿に拝んでしまう。
 その様子をA子はやはり見ていた。
 一番綺麗な自分よりもなゆみが鈴木部長に声を掛けられているのが気に入らない。
 A子も鈴木部長に売り込もうと近づいていた。

 控え室で服を着替え、一緒に働いた女性スタッフとさようならの挨拶をしてこれでお別れというとき、A子がなゆみに寄って来た。
「あなた、安っぽいネックレスつけてるのね。何その子供っぽいデザイン」
「これは、私を守ってくれるもので、お守りみたいなものなんです。それに大好きな人から貰ったので私には大切なものなんです」
 A子に何を言われてもどうでもよかった。自分だけがこのネックレスの価値を知っているだけで充分だった。
 幸せな笑みを浮かべてネックレスに触れるなゆみがA子には気に入らない。
 こんな子が自分よりもいい思いをすることが癪でA子は自分の方が優れてることを知らしめる。
「あのさ、そんなネックレスのことはどうでもいいわ。ほうらこれ見て。私も鈴木部長から名刺もらっちゃった。しかも私が一番綺麗で会社の宣伝になったって 言われたの よ。賃金弾むからって特別な仕事も頼まれちゃった」
 最後は自分が勝ったと言わんばかりになゆみを見下す。
「それは私も思います。A子さんはほんと美しいです」
 なゆみはついA子と呼んでしまう。
「ちょっと、エイコって誰よ。私は愛子よ」
 初めて名前を聞いたが、A子も愛子も良く似た名前だったとなゆみはなんだかおかしくなる。
「あっ、すみません。愛子さん。だけど愛子さんのお陰で勉強になりました。至らぬところがあって申し訳ございませんでしたが、色々とありがとうございまし た」
 これで終わりだと思うと嬉しくてなんでも大げさに言える。
 愛子は意地悪しても堪えない、素直に頭を下げるなゆみに戸惑った。急に張り合いをなくしてしまう。
「ああ、なんかこっちがバカみたいになっちゃうじゃない。もういいわ」
「はい。それでは失礼します」
 なゆみはやっと全てが終わりA子ともこれでさよならだと、ほっとしたのも束の間、次の難関が待ち受けていた。
 スコットだった。
 氷室と待ち合わせしているのに、スコットが絡んできたら、折角のアレの機会がまた遠ざかる。
 急いで氷室と出会って、スコットをまくしかないとなゆみは強行突破を試みる。
 イベント会場を出て、目の前に広がった広場で散らばる人たちの中から氷室の姿を見つけようとなゆみは辺りをキョロキョロしていた。
 端の方で金髪の背の高い男性と大柄な男が対立している姿が目に入った。
「ああ、遅かった」
 すでに氷室とスコットがいがみ合っていた。
 氷室とスコットはなゆみの姿を見つけると、我先にと走り寄った。
「なゆみ、こんな奴無視して行くぞ」
 氷室が手を取り引っ張る。
「(なゆみ、ヒムロと行っちゃだめだ。こいつはなゆみを不幸にする)」
 スコットにももう片方の手を握られ、どっちからも引っ張られた。
「痛い。ちょっとなんでこうなっちゃうのよ。二人から同時に引っ張られたら手がもげちゃうじゃない」
 二人はまた同時に手を離したが、なゆみはふらっとよろめいた。
「(スコット、お願い。私は氷室さんと先に約束してたの。だから氷室さんと行くわ。仕事を紹介してくれて感謝してるけ ど、私の恋人は氷室さんなの)」
「(どうだ、スコット、今の言葉聞いたか。なゆみは俺のものだ)」
 しかしスコットは静かに笑みを浮かべていた。そして鋭く氷室を睨みつけ、余裕の態度を見せた。
「(相変わらず、お前は絶対負けを認めないな。なんで毎回自信たっぷりなんだよ)」
 氷室は嫌悪感たっぷりにスコットを睥睨する。
「(ヒムロ、僕、見ちゃったんだ)」
「(何をだ?)」
 氷室は首を傾げながら眉間に皺を寄せていた。
 スコットは携帯電話を取り出して、操作をするとそれを氷室の前に突き出した。
 氷室は一瞬にして顔が青ざめた。
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