Temporary Love3

第五章


 なゆみが部屋に戻ると、美衣子は嫌味っぽく時計を見て「遅い」と怒った。その背景にどうやら仕事が溜まって不満を抱えている様子だった。
 美衣子は起伏が激しく、気分次第で接してくるところがあり、年上 で先輩だからという立場を利用してなゆみを小馬鹿にすることがある。
 なゆみは入って間もないだけに、仕方がないと一歩引いて我慢するしかなかった。
 美衣子はどこか恩義せがましく、自分がいかになゆみより優れているか自分の仕事振りを自慢する。
 そういう時もなゆみは一応美衣子を立てるのだが、英語力はなゆみの方が遥かに上だった。
 本人もそれは気づいているが、えらっそうな態度を変えることはなかった。
 だが、あるときだけは例外だった。
 五島が側にいると美衣子は態度をころりとかえる。
 美衣子は五島に行為を寄せているのはなゆみも気づいていたが、五島と接触する度に何かと様子を伺われて睨まれるのは居心地悪かった。
 そんなことがあるので、もしかしたら美衣子が嫌がらせをしているのかもとなゆみは少なからず疑ってしまう。
 時々、きつく背中を叩いたり、彼女の担当の仕事を押し付けられたり、誰かが持ってきた差し入れなどのお菓子をなゆみには配らなかったりする。最初からそ うい うもの は要らないが、面白半分にわざとそうされるのは意地悪と思わざるを得ない。
 普段の意地悪は気にしないフリをしてたが、もし仕事に支障が出るようなことをされているのなら、笑ってすまされない。
 しかしはっきりとした証拠が見つからない限り、それが美衣子のせいだとも言えず、なゆみは耐えるしかなかった。
 次回露骨なことをされたら、未紅に相談しようと思っていた。
 暫くした後、未紅が戻ってきて、自分のデスクについた。
 少し悩んで眉間に皺をよせ考え事をしている。それでいてそれを隠そうと無理をしているのか、書類を持つ手が震えていた。
 何度か頭を振っては呼吸を整えている様子に、なゆみは何があったんだろうと心配な眼差しを向けていた。
 鈴木部長と何を話したのだろう。
 未紅がなゆみの視線を感じて目が合うと笑いを見せた。
 なゆみも咄嗟に笑顔を返したが、その後は気にしても仕方がないと仕事に専念した。
 未紅に何かが起こっているのなら、自分が足を引っ張ってはいけないと責任を感じていた。
 
「もしもし、氷室さん、聞いてますか」
 その夜、なゆみは氷室に電話を掛けて、色々と会社の思うことを話していた。
「ああ、聞いてるよ」
「どうしたんですか、氷室さん? なんか異常にお疲れですね」
「まあな、ちょっと疲れたかな」
「日曜日そんなに忙しかったんですか? 何をやってたんですか?」
 なゆみの質問に氷室は正直に答えられなくて言葉を濁してしまう。
「まあな。それに、もう年だから」
「あっ、氷室さん、なんか隠してません? 氷室さんが自分の年を前に出して話すなんておかしいです。いつも過剰に反応して怒るのに」
「えっ、何も隠してなんてないよ。ちょっと仕事しすぎて疲れただけだから」
「でもその声聞いてたら、疲れ方が異常ですよ。まさかなんかの病気?」
「心配するなって。とにかく大丈夫だから」
 氷室は日曜日に一日中体力仕事をしてまだ疲れが取れてないことを言えなかった。
「それなら早く寝て下さい」
 なゆみはこれ以上疲れさせてはいけないと電話を切ったが、どこか寂しさが募る。
 会社もプライベートもなんだか不安になってきた。
 それでも会社に行けば一生懸命働くことだけは忘れずに、自分なりに頑張ろうとする。
 そしてまた会社での昼休みのこと。
 食べるものを買いに行こうと部屋を出ると、廊下の端にある階段の踊り場付近で未紅と五島が話している場面を見てしまった。
 また喧嘩勃発かとなゆみはおろおろしてしまったが、なんとか冷静に話し合いをしている様子で叫び声は聞こえなかった。
 なゆみの位置から五島の顔は見えなかったが、未紅は納得の行かない顔をしている。腕を組み、怖い表情を見せて構え、そして首を横に振ったり、ため息 まで出していた。
 五島は一体何を話しているのだろうか。
 愛子のときも何かを話していたが、愛子も怒った感じだったとなゆみは思い出していた。
 なゆみは五島の行動が気になってしまう。あんなに優しい笑顔をなゆみに見せて、気遣ってくれていたと思うと、最近の行動はどうも不可解に見えて仕方がな かった。
 考えてもわかる訳もなく、見なかったことにしてくるりと向きを変えると、目の前に鈴木部長が居てぶつかってしまった。
「す、すみません」
 なゆみは深々と頭を下げていると、鈴木部長はおおらかに笑い出した。
「大丈夫かい? でも斉藤さんは相変わらず一生懸命に頑張っているみたいだね。小山課長も褒めていたよ」
 『苦しゅうない面をあげぇ』と言われているみたいで、なゆみの体は緊張した。
 鈴木部長は40を過ぎ、年を重ねた貫禄が充分にあり、それだけで萎縮してしまうが、社員のことを良く見てそうだった。顔つきは濃いせいもあり怖く見える が、時折り見せる笑顔 で印象が全く違ってくる。
「そういえば、スコットとはたまに会うのかね」
「はい。でも来月、彼、アメリカに帰っちゃうんです。寂しくなります」
「それは寂しいな。なかなか仕事熱心な若者で、仕事以外でも色々とプライベートなことにも助言してくれて頼りになった」
 なゆみは愛想良く笑って相槌をうって聞いていた。
「これからお昼かね、よかったら一緒にどうだ」
 突然の鈴木部長の申し出になゆみは驚くも断ることもできず、口だけが「はい」と勝手に呟いて承諾してしまう。返事した後で後悔していたくらいだった。
 会社近くの定食屋に入り、テーブルを挟んで向かい合わせに座るが、何を話して良いのかなゆみは落ち着かない。
 注文した後、鈴木部長はなゆみの心の中を深く覗くように見つめ、話し出した。
「実は小山課長のことなんだけど、斉藤さんの意見を聞きたくてね」
「でも、昨日も言いました通り、私は入ったばかりで何もまだわからないんですが」
「だけど、何も知らないというだけで、あの部署で唯一斉藤さんが小山課長と普通に接することができるので、話がしやすいんだが」
 なぜこんなにも未紅のことが気になるのだろうとなゆみは質問する。
「それなら部長は小山課長のことをどう思っていらっしゃるんですか?」
「もちろん、力になりたいと思ってる。どうもあの部署の連中は小山課長を敵視しすぎてるように思えて、見てて辛いんだ。部下からあのような態度を取られて い たら仕事にも差し支えるし、彼女は才能もあるだけに力を発揮できないんじゃないかと思ってね」
「そうだったんですか。でも私は小山課長のこと尊敬してますし好きです」
「そうか。それはとても心強い。それともう一つ、五島君のことだが、何か変わった節は見られないかね」
「えっ? どういうことですか?」
「最近こそこそと何かをしている感じがしてね。彼はかなりやり手だから、私にもよくゴマを擦りにくるんだ」
 その言葉に反応しつつ、なゆみも五島のことは気になっていたので、もっと知りたいとつい身を乗り出してしまった。
「五島さんは部長のお気に入りの社員じゃないんですか?」
「成績はいいし、申し分のない社員だとは思っているよ。私の前では全く問題は見えない。しかし、小山課長と相性が悪いだけに、何か企んでいるんではないか と思えて心配なんだ。あの部署の社員は五島君の肩を持つところがあるのも不自然すぎる」
「でも五島さんはそんな人には見えませんけど」
「人は見掛けによらないと言うし、優しい裏に悪意が潜んでいることもあるから、人ってわからないぞ」
「まあ、そうですけど」
(会社で一体何が起こってるんだろう)
 なゆみはまた首を突っ込みたくなってくる。
 そして目の前に定食が運ばれてきた。じっと見つめながら自分で色々と考える。
 鈴木部長が五島について何かを感じているその発言に、五島と愛子のことが頭に浮かぶ。あの二人の間にも何かあるのだろうか。
 つい愛子のことをなゆみは話題にしてしまう。
「あの、部長。愛子さんってご存知ですか? あのイベントで一緒に働いた人なんですけど」
 茶碗を持ち、箸でご飯を口に入れようとしていた鈴木部長の手が止まった。
「ああ、そういえばそんな名前の子がいたね。彼女が何か?」
「彼女の連絡先とかわかりませんか? なんか急に会いたくなりました。あの時お世話になりましたし」
 咄嗟に理由をつけてみたが、鈴木部長は訝しい顔つきになっていた。
「いや、ちょっと社交辞令で話した程度で連絡先まではわからないね」
 なゆみは折角の糸口も閉ざされてがっかりとしてしまった。その後、何かいい手はないかと、箸を持って黙々とご飯を食べだす。
 しかし頭の中では探偵気取りにこの問題を解こうとしていた。
 鈴木部長は未紅を助けたくて、相性の悪い五島が何か企んでいるのかと心配している。その五島は愛子と何か揉めている。愛子から忠告された”気をつけろ” と言う言葉。
 もしかしたら自分の仕事の妨害もこのことに絡んでいるのかもと思い出した。
 そうなると、やはり怪しいのは五島ということになった。
 でもどうしても五島が悪者に結びつかない。
 考えながら食べていると鈴木部長が声を掛けた。
「斉藤さん、それ飲むの?」
 なゆみは手元を見て驚いた、お茶と思って醤油さしを口元に持ってきていた。
「あっ、ちょっと間違えました」
 鈴木部長は笑っていたが、仕事もこんな調子でミスをしていると思われるのがいやで、なゆみはしゅんとしてしまった。
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