Temporary Love3

第六章


 年が明けると、氷室はなゆみの両親の前に顔を出し、正月の挨拶はもちろんだったが、そこで正式に結婚したいことを虎二と竜子に告げようとして いた。
 なゆみは予め虎二と竜子にそうなることを仄めかしていたが、いざ氷室が挨拶に来たものの、最初は新年の挨拶から始まり、順序というものもあってすぐに本 題の話ができるわけではなかった。
 虎二と竜子も、まずはもてなしから始め、氷室に酒と料理を勧める。
 氷室もそれを素直に受けて、虎二と酒を交わし世間話から入っていった。
 氷室はいつ言えばいいのか、良くわからず、更に緊張してしまいなかなか肝心な話に持っていけないでいた。
 そのときのタイミングを掴もうと構えすぎて、ぎこちなくなって行き詰ってしまう。
 昼に来たというのに、時間はどんどん過ぎていき、そろそろ夕方も近づきかけてもまだ言えないでいた。
「氷室さん、早く言って下さい」
 なゆみが氷室に小声で催促するが、そのときになると電話が入ったり、誰かがトイレに立ったり、救急車の音がしたりと何かと邪魔をされていた。
(また俺ついてないのか?)
 氷室は渋い顔つきでネクタイを締め直す。
 虎二も今か今かと実は待っていたが、氷室が中々言わないので、なゆみにそれとなく目配せして催促する。
 一体何のために皆ここに居るんだろうとなゆみは自分が言いたくなってきた。
 誰もがもどかしい気持ちを抱えていた時、竜子が家の電気を消し、懐中電灯を手にして氷室に光を当てた。
「お母さん、何してるのよ」
「スポットライトよ。ちょっとした演出」
「竜子、それじゃまるで怪談話するみたいじゃないか」
 虎二もいくらなんでもびっくりしていた。
 氷室も懐中電灯の光を浴びせられ、却って縛り付けられたように動けず驚いていた。
「ちょっと、何考えてるのよ。やめてよ」
 なゆみは懐中電灯を竜子から取り上げ、再び電気をつけた。
 何もかもめちゃくちゃだと、なゆみが氷室に申し訳ない気持ちで恥ずかしく、顔を手で覆っていた。
 虎二も竜子を叱り揉め出した。
 何かやろうとする度にまた一騒動起こってしまった。
 氷室はそれを収めるために覚悟を決めてやっと声を出した。
「あのー! お父さん、お母さん、なゆみさんと結婚させて下さい!」
 氷室は立ち上がり深々と頭を下げた。
 やっとその言葉が聞けたと虎二は安堵し、竜子は拍手で温かく迎えた。
 なゆみもどうしていつもまともに事が進まないんだろうと思いつつ、それでもなんとか氷室が両親に言ってくれてほっとした。
「正月のめでたいときに、なんともめでたい話題が続くもんじゃ。氷室さん、娘のこと宜しく頼みます。こちらこそ宜しくお願いします」
 虎二は躊躇うこともなく、そうなることを待ってたので同じように立ち上がって挨拶を返す。
 竜子は側でにこやかな笑顔で何度も頷いていた。
 なゆみはジーンズのポケットに手を突っ込み、指輪を取り出すとすばやく自分の左手の薬指にはめて二人の前に見せた。
 薬指にはソリティアタイプのダイヤの指輪が煌めいて輝いていた。
 それは二人で選んだものだった。
 シンプルながらも、なゆみのほっそりとした指にと てもよく映えて豪華なものに見えた。
 なゆみが氷室に幸せな笑みを向けると、虎二も竜子も顔を合わせて微笑む。
「さあ、氷室さん、沢山飲んでくれ」
 虎二はお酒を勧める。そして自分自身も沢山飲んでいた。
 結婚の話は何の問題もなく伝えることができたことで、氷室もとりあえず一つのことが済んでほっとするが、もう一つ気がかりなことはまだあのままなため に、次はどうしようかとお酒を虎二に注がれながら悩んでいた。

「一つ終わりましたね」
 ノルマが達成できたように、なゆみは氷室を見つめ微笑む。
 少し冷え込んだ夕方。氷室を駅まで見送るために、二人は住宅街の中を歩いていた。
「ああ、また一歩前に進んだな」
 氷室も笑顔で答えていた。
「でもまだまだこれからが大変ですね」
「ああそうだな」
 まだお互いの両親には言い難いことが残ってるので、二人は少し苦笑いになってそのことを示唆していた。
「なゆみ、まだ来ないのか」
「うん。今までこんなに遅れることなんてなかった。二週間以上も来ないなんてやっぱりおかしい」
「そっか。そしたら可能性は高くなったな。早く式場見つけて先に結婚式挙げないといけないな。もたもたしてたらお腹も出てくるだろうし」
「なんか忙しくなりますね」
「いい機会さ。俺はもう年だから、これぐらいのスピードでちょうどいいくらいだ」
「やだ、氷室さん、年、年って拘らないで下さい。まだまだ若くてかっこいんですから。以前はNGワードだったのに、どうしちゃったんですか」
「そうだったな。だけど拘っても仕方ないなって思えてきたんだ。お前が側にいてくれるなら俺は年取ってもなんだか安心できるんだ」
「氷室さん、どんどん変わってきちゃいましたね。以前はすごい俺様で、きついことばかり言ってたのに」
「おいおい、まあ確かになゆみと出会ってからは変わってしまったよ。だけどお前も、俺のこといつまでも”氷室さん”ではすまされなくなったぞ。そろそろ呼 び方変えないと、いずれはお前も氷室さんだぞ」
「あっ、そうですね。じゃあ仕方がないから、コトヤで呼び捨てしちゃっていいですか」
「ああ、いいぞ」
「それじゃ行きます。コホン。…… コトヤ、しっかりと働いて私を幸せにしろよ」
「おいっ、なんか急にえらっそうになってるぞ」
 氷室はなゆみの頭をコツいていた。
「でも、なんかこんな風になるなんて思ってもみなかったな。氷室さん…… おっと、その、コトヤと知り合ったとき、苦手だと思ってたんだっけ」
「ああ、ほんとそうだな。あのとき、俺もお前に夢中になるなんて思わなかった」
「なんか懐かしい」
「テンポラリーラブ。あの時はそう言ったよな」
「はい。でもコトヤがアメリカまで追いかけて来てくれたときにテンポラリーじゃなくなりましたね」
「パーマネントラブって言いたいんだろ」
「ううん、それだけでは収まりきらない」
「それじゃなんて呼ぶんだ?」
「だからもう言葉に軽々しくできないんです。コトヤと私の中に存在するラブは私たちしかわからないもの。それをずっとずっと二人で分かち合ってこの先も一 緒にいたい」
 なゆみは氷室に抱きつく。
「とてつもない大きな愛。私たちにしか見えないものは私たちの中にしか存在しない。二人が一緒にいてそこに存在するものなんです。だから特別な呼び方なん てなくてもいいんです」
「そうだな」
「コトヤに出会えてよかった。ありがとう」
「それは俺もだ。なゆみに出会えてよかったよ。ありがとうな」
 初詣を済ませた人たちが戻ってきたのか駅から次々に人々が出てきた。着物を着た人、親子連れ、学生達、恋人達、色んな人たちが抱負や期待を抱えて新しい 年を迎 えたよう だった。
 なゆみと氷室も期待一杯に幸せをずっと願う。
「あっ、雪が降ってきた」
 なゆみは手の平をむけ、雪を受けた。
 白いフレークが空から零れ落ちてくる。
「ほら、体が冷えたらダメだから、もう帰れ。一人だけの体じゃないかもしれないんだぞ」
「うん。でも、そうだったら、コトヤはどっちが欲しい? 男の子? 女の子?」
「そうだな。どっちでもいいし、どっちも欲しい」
「一人じゃ足りないってことだね」
「そうなると次、名前だな。色々と考えてしまうな。なんだか楽しくなってきたよ」
「ほんとだ。一体どんな名前付けたらいいんでしょう。ほんと悩みますね」
 二人は赤ちゃんを迎える準備に入っているようだった。
 氷室は別れ際になゆみの頭をいつものように撫ぜて、そして改札口を通って駅の中へと入っていった。なゆみは見えなくなるまで手を振っていた。
 雪が沢山降り注ぎ、周りが白くなりだす。
 寒く冷たい雪の中、それが楽しいとはしゃぐ子供のように、なゆみはこの上なく幸せな顔をしていた。
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