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● 想い出は 木の下で その2●

 母親に眼鏡を壊したと嘘をつき、どうせならコンタクトレンズがいいと言うとそれなりの費用を出してくれた。
 髪もボサボサなので切りたいと言えば、これもあっさりとお金を出してくれた。お金には不自由しないのはありがたかった。それがなければ、自分の計画は実 行されない。この時ほど母親に抱きついてありがとうと感謝の気持ちを述べたことはなかった。
 そのお金を握り締め俺は自分改革のために力強く歩いていざ出陣。メアリーにふさわしい男になってやる。これが思春期に起こる自分改革だと意気込んだ。
 俺は変われる!それを信じて止まなかった。信じることが功を奏したのかわからないが、結果を見ればそれなりの変化があった。
 鏡を挑むように色んな角度から自分を見る。
「あっ、なかなかかもしれない。もしかしていけてるかも」
 妙な自信が現れる。ここまで順調に進み、俺はこの勢いですぐにメアリーの元にかけつけた。
 だがそうは上手くいかなかった──。
「う、嘘だろ」
 メアリーとマシューが二人で仲良く町を歩いている姿を目撃してしまった。
 俺は再びどん底に落された。何かが心の中で壊れていく音がする。ブロークンハート。そう、失恋。いともあっさりと何もしないまま終わってしまった。
 二人は俺がまともに見られないほどに煌き、その光はまるで俺を消滅させようと容赦なく降り注ぐ。
 俺は二人に見つからないようにこっそりその場を去った。
 ほんと何してんだか。全ての努力が水の泡だった。


 気が重くずるずると引きずった足取りで、俺が求めた場所は、小さい頃メアリーと一緒に遊んだ丘の上だった。
 そこには沢山の枝を四方八方にまるで手を空に向かって広げてるように伸び、つややかな緑の葉を沢山つけ、大きな幹がどっしりと構えるように何百年もそこ で町を見下ろす大木が立っていた。
 この木は子供のときの遊戯であり、小さいときは良く登ったものだった。
 一度足を滑らして、この木から落ちたことがある。
  あの時はメアリーが心配して涙を一杯溜めて俺の事を覗き込んでいた。俺が死んだと思ったらしい。幸い生きてるし、大したケガもしなかった。この木で遊んで ケガなどしたことは一度もない。そんなことはあってはならぬかのように木は見守っていたのかもしれない。この木は魂が宿ったような神秘的な雰囲気を醸し出 している。
 俺はその木を触りながら子供の頃のメアリーの姿を思い出していた。
 すると無性にこの木に登ってみたくなり、小枝に手をかけ踏ん張れば、足を木の幹に向かって一気に蹴り上がる。上の方のちょうど形のよい太い枝に俺は足 を宙ぶらりんにして腰掛けた。
 ここから眺める町の景色は最高だ。心地よい風も吹いて天気もいい。
 それなのに気分は全く晴れない。
 町を眺めれば、そこでマシューとメアリーが仲良く寄り添ってるかと思うと、心は嫉妬で濁流して景色がちっとも美しく見えなかった。
「ちぇっ、折角一大決心したのにメアリーはマシューとデートかよ」
腹が立ち、つい手をかけていた枝を握りしめて折ってしまった。
 ポキッと音がなったその瞬間、しまったとバランスを崩して枝から滑り落ちたはずなのに、なぜか体がフワリと浮いたような不思議な感覚に襲われた。
 でも気が付いたらやっぱり地面の上で尻餅をついた形になっていた。
「痛っ。骨が折れたんじゃないだろうか」
 そんな事はなかった。かすり傷一つないがただケツが非常に痛かった。そこをさすりながら立ち上がると、どこからか女の子の泣くような声が聞こえた。
 どうも木の反対側から聞こえる。
 俺はそっと様子を覗き込んだ。するとそこにしゃがみこんで泣いている少女がいた。その泣き方は体のどこかに入り込んでしまったように、息をするのが困難 で、小さな肩を思いっきり震わしていた。
 俺は心配になり思わず声を掛けた。
「お嬢ちゃん、こんなところで何を泣いているの」
 その女の子は、体をビクッとさせて、恐る恐る顔を上げた。目を真っ赤にした泣き顔が痛々しい。
 だが、その顔には見覚えがあった。はっとしたとき、女の子が口を開いた。
「チャーリーがあっちいけって言ったの。チャーリーの事好きなのにそんなこと言われて私悲しくて仕方がないの」
 この子はメアリー……
 俺は見間違えたかと思った。目をこすり何度もその子を確かめるように見た。
 やっぱりメアリーだ。どういうことだ。
 丘の麓には数人の男の子達が遊んでいる。どの顔も知っている。そしてそのうちの一人にまたギョッとした。
「嘘だろ、俺じゃないか」
 俺はメアリーと子供の自分を何度も交互に見つめた。落ち着け落ち着けと、この状況を把握しようと息を深く吸った。
 そして俺は思い出した。苦い思い出だった。

 いつもメアリーと一緒に遊んでいたことをこの時意地悪くからかわれた。俺は変な意地を張って、メアリーに『あっちへ行け』って強がってしまった。
 本当はずっと一緒に居たかったのに、素直になるのが恥ずかしくて粋がって心にもないことを言ってしまった。
 思春期を迎えたこの時期の俺ですら、思い出せば後悔しているくらいだ。この時の俺はかなり罪悪感を抱いて押しつぶされそうになってたに違いない。
 そう思うと、自分のために弁護してしまった。
「お 嬢ちゃん、あのね、本当はチャーリーはずっとメアリーの事が好きでたまらないんだよ。メアリーの前だと意地を張って素直になれないだけなんだ。あんな事 言って意地悪だけど好きな子の前ではどうしていいかわからなくてついつい自分の心にもないことをいうんだ。だからチャーリーの事を許してあげて。本人は今 すごく後悔しているから。本当に馬鹿なこと言ってごめんね」
 俺がそう言うとメアリーはきょとんとしていた。
「なんでお兄ちゃんが謝るの? それになんで私の名前を知ってるの?」
「あっ、それはお兄ちゃんはなんでも知っているからなんだ」
 俺は焦った。俺もチャーリーだからなんて言ってもわからないだろうと思った。
「ふーん。お兄ちゃんってなんでも知っているのか。ねえ、そしたらいつか私はチャーリーと結婚するの?」
「えっ? 結婚?」
「そう、私達約束したの。いつか結婚しようねって」
 俺は驚いた。そんなこと覚えてない。いつメアリーとそんな事を誓いあったんだろう。
「メアリーがずっとチャーリーの事を思い続けていたらそうなるかもね」
 俺はいい加減な事を言った。
 それでもメアリーはその言葉が嬉しくて満面の笑みを俺に向けた。
「うん、私ずっとチャーリーの事思い続けているね。お兄ちゃんありがとう」
 そう言ってメアリーは駆け足で足取り軽く去っていった。さっきまで重苦しく泣いていた女の子とは思えないほど、清々しく楽しそうに駆けていく。
 そしてもう一度振り返ると、俺に大きく手を振った。俺も釣られて、笑顔で手を振った。
俺はその場に残って一体どうなっているのか暫く考えた。
「夢でも見ているんだろうか」
 その場にごろんと寝転がり目を閉じてみた。爽やかな風と葉の摺れる音が調和して耳に心地よく聞こえる。そのまま聞いていたら俺は寝てしまった。
 気が付いた時は誰か俺を呼ぶ声がした。


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