第二章 もしかして迫ってる?


 マシューが伸ばした手の行き先は私の胸元に向かっている。
 え? え?
 そんなところに手が来るなんてと、びっくりしていたら、マシューは私が身に付けていたペンダントに触れた。
「(これ誰から貰ったの? 彼氏?)」
「えっ?」
 まさに、青天の霹靂というのか、なぜそんな質問を急にされたのか、それはそれでドキリとした。
「(いいえ、これ自分で買いました)」
「ホント?」
 真顔で「はい」というしかない。
 だって恋人いないし、アクセサリーなんてこの方、誰にも貰ったことないし、自分で買うしかないでしょうに。
 しかも安物。
 たったの25ドル。
 そんなことまで言って、いかにこのペンダントを買わされたかの説明をした。
 観光地に入って、しつこく声を掛けてきたメキシコ人に上手いこと言われて、しかも日本語で「まけてあげる」とか値段がどんどん下がって行くからつい買ってしまった。
 それは銀で出来たメキシコの歴が描いてあるシンボル的デザイン。
 ここは英語の勉強だと、必死で英語で話していたら、マシューは笑っていた。
 何がおかしいんだろうと思いながら、結構このペンダントは愛嬌があって面白くて最後は気に入ってしまったとまで力説。
「(キョウコは面白いね)」
 面白いとか言われても、こっちは英語を話すのに必死なんです。
 マシューの側にいて、どれだけエネルギーを消耗しているか、そして英語で語るときはどれだけ脳を働かせないといけないか、必死にもなりますわ。
 ずっと崖っぷちに立ちっぱなしで、海を見つめながら話をするって、サスペンス劇場の最後の犯人の独白のシーンではないか。
 もうロマンティックが暴走してしまった。
 七面鳥さん、ゴールはまだですか。

「(それじゃ、遅くなるといけないから家まで送るよ)」
 やっと帰れる。
 でも、またあのジープに乗るんですか。
 サファリパークに行く感じのワイルドさ。
 送ってもらうのは楽だけど、ホストファミリーの家はかなり遠い。
 そこまで迷惑かけたくなかったので遠慮した。
「(マシューも勉強があるだろうし、学校の外れにあるバス停まで送ってもらえたらそれでいいです)」
「(えっ、どうして、ちゃんと送るよ)」 
 そういわれても、どうしても私はこれだけは譲れなかった。
 もう早く息をつきたい。
 マシュー、あなたはほんとにかっこよくて一緒にいるとドキドキしてしまいます。
 この午後を一緒に過ごしただけで自分の許容範囲を超えてしまいました。
 あとは余韻で充分1週間は楽しめそうです。
 そんなこと言えるわけもなく、とにかく勉強の時間を潰すのは心苦しい事を分かってもらった。
 納得してはくれたけど、車を運転しているとき、何度も「ホントニ、ダイジョウブ? イエニ オクレルヨ」と言ってくる。
 その気持ちだけで充分です。
「(じゃあ次、いつ会える?)」
「(また電話します)」
 適当に言ってしまったけど、ほんとに私がマシューに電話できるのか?
 そしてバス停について、私は車から降りた。
 マシューが名残惜しそうにしている姿は、よほど気に入られたような気がする。
 私もすごくマシューのこと気に入ってるには違いないのだが、これ以上突き進んだら、次何が待ってるか想像できて怖くなる。
 何度もお礼を言って、そしてマシューは去っていった。
 オレンジ色の車は目立って、遠くの先の先まで走っても見えていた。
 それを見送ってから、私はバス停に向かった。
 やっとやっとほっとする。
 その反面、体が浮かび上がるほどポーっとしてしまって、余韻がいつまでも続いてしまう。
 なんて素敵な時間だったのだろう。
 この初体験は一日中ソファーに座ってボーっとできるくらいに、ふわふわに体が浮かんでる。
 私の中ではまだ他人事のようで、信じられないという気持ちが大きくて、実感がわかないけど、確かにあれは本当に起こった出来事だった。
 上の空で歩いてしまう。
 誰も人の居ないバス停のベンチに一人座ってひたすらぼーっとする。
 次、いつバスが来るのだろうと時計を見て、ふと顔をあげたその前方に知ってる姿が現れた。
 時々一緒にバスに乗るトーマスだった。
 この人は大学院の生徒で、日本語がとても上手い。
 ホストファミリーの家からそんなに遠く離れてないところに住んでいて、同じバス停を使うからたまに会う。
 私の他にも同じバスに日本人がいるけど、一番最初に声を掛けられたのは私だった。
 この人も以前に言ってくれたことがある。
「キョウコが一番かわいかったら声かけちゃった」
 ハイハイハイ。
 トーマスは調子がいいので、私は全然気を使わないで済むのが楽だった。
 彼は28歳だが、すでにもう30過ぎるくらいの大人な風貌。
 二十歳そこそこの元気な娘が、笑顔で受け答えしたらおっさんには好かれるものだろう。
 トーマスは最初から友達扱いだったので、色んな事言ってきても相手にしていない。
 絶対、日本に彼女がいると私はにらんでいた。
 お陰で、一番話やすいバス仲間の一人だった。
 まさか、マシューに会った後でトーマスに会うとは思わなかったが、マシューと会っているよりは楽だった。
 このトーマスは中々鋭いところがあって、なんでも思った事を口にする。
「杏子、なんか今日は雰囲気違うね。もしかしてデートだった?」
 あら、図星。
「デートというのか、友達と話をしてきた」
「男だろ」
「そうだけど」
「俺というものがありながら」
「ええ、なんでそうなるの。関係ないじゃない」
 これ以上冗談は止めて、しんどくて疲れてるの。
 トーマスは最初から男としてみてない。
 それよりも日本語が上手いから、気軽に話せるところがとてもよかった。
 時々、電話してきたり話をする、完全なるお友達だった。
 トーマスに色々とアメリカでの男性との付き合い方を聞こうかなと思ったけど、面倒臭くなりそうなのでやめた。
「杏子は全然、僕のこと見てくれないね」
「当たり前でしょ」
 こういう会話は、とても楽だった。
 やはり私は恋を対象とする男性の前だとどうもダメみたい。
 意識しすぎて自分をいいように見せたいと見栄を張ってしまうのがダメなのかも。
 トーマスとはこんなに気軽に話せるのに。
 バスが来て一緒に乗り込めば、空いているのに私の隣にちゃっかり座ってきた。
 太ってるわけではないのだが、体が大きい人なので、歩く熊みたいなイメージだった。
 トーマスは私と居ると日本語が話せるから、ずっとバスの中で話し放題だった。
 はいはい、いつまでも聞きますよ。
 日本語だと楽ですわ。
 マシューも日本語が多少わかるけど、あの落ち着いた話方と優しい眼差しの前では日本語でもなかなかスムーズに行かない。
 これから先、またマシューと会うのだろうか。
 なんか会いたいのに、怖くて、どうしようもない。
 七面鳥さん、これってやっぱり恋の始まりでいいのでしょうか。
 バスに揺れながら、陽はどんどん暮れていった。
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