第二章


 その晩、夕食を終え、片付けもすまして、また宿題に取り掛かろうとしていると、電話が鳴った。
 この日、会ったばかりだし、次は私が電話をすると言った手前上、まさかその電話はマシューではないだろうと思っていた。
 だけどドアがノックされ、ホストマザーが呼びに来た。
 出るまで誰か分からないし、まさかまさかと否定しながらも恐々受話器を取れば、優しい声が聞こえてきた。
「(君からの電話が待てなくて)」
 なんだかどんどんはまって行くような、この台詞だけでも憧れのシチュエーションで最高にドキドキしてしまう。
 電話の向こうには王子様のような人がいて、そしてまた私に会いたいと言ってきている。
 そんな事言われたら、舞い上がってしまう。
 何もかも見えなくなって、恋に溺れてしまいそうなのが、自分でもわかる。
 そうなる事が心の隅で、抵抗となってどこかでつっぱろうとしている。
 まだまだ素直に自分の気持ちをさらけ出せなくて、どこかとぼけておどけてしまっていた。
 素直に飛び込むのが怖くて、恥ずかしくて、それがいけない禁断の恋の麻薬のような、気持ちは望んでいるのに理性がダメだと邪魔している。
 それなのに、マシューから攻めて来られるこの押しが、心地いいのはどういうことだ。
「(君のこと、ずっと考えてしまう)」
 そんな言葉を言われて、嫌な人はいないでしょう。
 こっちもぽーっとして、電話を持ってもじもじと足が勝手にカーペットを擦っている。
「(次いつ会える?)」
 さすがにまた明日という訳にはいかないだろうとその時は思ってしまって、なかなか日が決められない。
「(マシューだって勉強忙しいでしょ)」
 アメリカの大学生はそんなに暇じゃないことぐらい私も知っている。
 課題が多くて、遊んでいる暇がないくらい、皆、勉強している姿を見ているので、こっちも気を使ってしまう。
「(君に会う時間くらい作れるから)」
「(ありがとう)」
 もうこれは始まってますわ。
 お互い惹かれあって会いたい気持ちがどんどん募る。
 だけど会ってしまったら、また私は持久走するような気持ちで挑まないといけなくなる。
 この日だけでも充分全速力だった。
 少し私も考える時間が欲しい。
 そして明日単語のテストがあるのよ。
 もじもじしている間に結局は日にちを決められないまま彼は言った。
「(また僕のところに来て、待ってるから)」
 これは直接あの寮に来て欲しいということなのだろう。
 私次第ということで、ボールを投げられた。
 しっかり掴みましたけど、私やっぱり自分から行動するのは苦手です。
 名残惜しい中、電話は終わった。
 こんな調子で、単語の勉強できるわけがない。
 この日にあったことだけで、ボー。
 この電話で喋ったことだけで、ボー。
 彼は私に会いたいと思っていることを感じるだけで、ボー。
 机の前で、一人夢心地に、ボーっとして時間だけが過ぎて行く。
 一足早く来てしまったこの春は、まだ肌寒いながらも春の陽気に誘われて、早々と冬眠から目が覚めたカエルのように、ちょっと戸惑いながらも戻ることもできず、無理をしている感じかもしれない。
 目覚めるのが少し早かった。
 だからといって、それはそれで普段味わえないものもある。
 結局はずっと夢見て望んでいた、憧れのシチュエーション。
 マシューはまさに王子様のように、甘く優しく囁いてくれる。
 だからといって私がプリンセスなわけでもないし、せめて日本のヤマトナデシコくらいにはなってみたいような。
 そういう柄でもないんだけど、このまま彼のところに飛び込んでもいいのでしょうか、七面鳥さん。
 心にマシューが入り込んだだけで、普通に暮らしていた日常生活が全く別のものに、ハートのビートも高鳴って賑やかに、声を掛けられただけでがらりと変わってしまったこの時、一体先には何が待っているのでしょうか。
 とりあえず適当に単語を覚える。
 マシュー。
 彼の名前も紙の端っこに書いてみた。
 意外と綴りがややこしいわ。
 結局、綴りがあやふやでカタカナになった。
 でも”シュー”の部分はthが入って舌を噛む発音。
 彼の名前を発音するのも辛いわ。
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