第二章


 そろそろ日差しも弱くなり、夕日を見るために出かけなくてはならなくなった。
 だけど、私はトイレに行きたい。
 しかし、マシューが側に居るトイレはいや。
 何とかしなければ漏れちゃう。
 このままずっと我慢はできそうになかった。
 安全に、マシューから離れてトイレに行くにはどうすればいいのか、考えていると、嘘をつくしか方法はなかった。
 これはまさに嘘も方便、英語にすると『white lie』というもの。
 嘘には変わりないので心苦しかったが、それよりも膀胱からの悲鳴の方がもっと辛かった。
 まさに溢れる尿の思いが声となった。
「(マシュー、私、教室に忘れ物した。取りに行っていい?)」
「(今じゃないとだめなの?)」
「(うん、それ明日までにしなくてはならない課題が書いてあるの。それがなかったら、宿題できない!)」
 必死の叫びだったのは漏れちゃうところからきていた。
 マシューもなんだか訝っている表情だった。
 まさか取りに行くと見せかけて、トイレに行こうと思ってるなんてばれたら、もっと恥ずかしい。
 ここから教室までそんなに離れてないから、私一人だけでもそこへ行ければ、どこかにトイレはある。
 その間に用を済ませればいいだけだから。
「(そしたら、車で行こう。その方が早い。早くしないと夕日に間に合わないよ)」
 マシューも、なんだかおかしいと思っていたのかも。
 だって、お昼からずっと私はトイレに行ってないから、気にはしてるかもしれない。
 こればかりは、避けられないが、こんなことしなければいけないほど、だって、恥ずかしいんだもん。
 さっき、マシューの滝の音、ものすごい丸聞こえでした。
 
 私がついてしまった嘘を、とりあえずマシューは信じてくれた。
 自分の使用している校舎の前で車を停めて、マシューは待っていてくれた。
「(すぐ取って、戻ってくるから)」
 嘘、本当はすぐにおしっこしてくるから。
 もうやだ。
 なんでこんな嘘ついてまで、トイレにいかないといけないのよ。
 ここで、取ってくる途中でトイレに行ってきますっていえたらもっと楽だったのに。
 それとも正直に言った方がよかったのかな。
 なんかわけの分からないまま、とにかくトイレに走った。
 そこで、知り合いに会ってしまい、ちょっと話をしてしまって、益々、時間が勿体無い。
 とにかく無事にトイレには行けて用は足せた。
 この瞬間がとてもほっとした。
 そして教室に入るフリをして、とりあえずうそをついた課題の紙を探した。
 そんなものあるわけないけど、でも形だけでもやっておけば、なんとか嘘もつきやすい。
 ごめんね。
 どうしても、マシューの部屋でトイレにいけなかったの。
 やっとのことで戻ってきたんだけど、マシューはちょっと寡黙になっていたように思える。
「(ちゃんと見つかった?)」
「(ありがとう。あった)」
 嘘付け。
「(なんか時間かかかってたみたいだったけど)」
「(あっ、知り合いが居て、ちょっと挨拶した)」
「(誰?)」
 この時のマシューは少し疑っているような目になって、きつい感じがした。
「(同じクラス取ってる人だけど。女性だよ)」
「(なんだ、女性か。だったらいい)」
 もしかして、男だと思ってヤキモチやいてたの?
 それとも、ここで予め私は何かの約束していたと思って、それで会いに戻ってきたと思っていたの?
 なんかその線が濃いかもしれない。
 ただトイレに行きたかっただけなのだが、非常に回りくどい事をして変な雰囲気になってしまったかもしれない。
 これはちょっと失敗だった。
 この後、大急ぎで海岸へいって、夕焼けを見ながらサンドイッチを食べるのだが、夕焼けは雲が邪魔して太陽が見えず、そして非常に寒いために外でサンドイッチ食べられるものではなかった。
 それでも震えながら我慢して、言葉なくじっとしていた。
 気温も冷えては、自分達もどこか冷めて行くそんな最悪な雰囲気が流れた。
 これは完全に寒さのせいだからとわかっていたんだけど、あまりにも寒いのは耐えられなかった。
 日はあっと言う間に暮れ、辺りは暗くなってきた。
 それと同じように気持ちも沈んで行くようなそんな白けたムードが漂ってきたように思った。
 どうしようかと思いつつ、それでも憧れたシチュエーションだけに、私はここに連れて来てもらえただけですごく満足だった。
 トイレにいってすっとしたっていうのも大きかったけど。
 マシューの側にいるのは常に緊張するし、嫌われたくないという守りで自分を固めてしまうのは相変わらず苦しいところだった。
 車を運転するマシューはかっこいいと思うし、その隣に居る私はすごくラッキーだとも思った。
 マシューだったらもっと素敵な彼女が出来るだろうに、これ以上深く係わったら私が今度苦しくなってしまう。
 外は寒いが車の中も寒い。
 体の芯からくる震えが、同時にこの先の不安に繋がる震えにも感じてしまう。
 車は丘の上にいくため、急なカーブを曲がりながら上に上にと進んで行く。
 そしててっぺんまでくると、周りに視界を遮るものは何もない。
 そうして、とうとう私はその丘で夜景を見る事ができた。
 思った以上に美しかった。
 普段は観光スポットで人が集まってくると言うのに、寒さのために、ガラガラの貸切状態だった。
 車を停めて、外に出たら、風の強さに驚いた。
 海から吹き上げてくる風は、この暗さと寒さの中で一層冷たく感じられる。
 体が縮まって無意識に猫背になってしまう。
 マシューも寒そうにして、笑っている。
 それでも無理をして、夜景を見るために見晴らしのいいところへと歩いた。
 細かい色とりどりの光が瞬いて、ダウンタウンのビルの部分は固まって密集している分とてもはっきりとした光でキラキラしていた。
 ある程度の想像は出来ていたけども、これを自分の目で見られることに感動してしまった。
「(マシュー、本当にありがとう。これが見たかった。とても美しい)」
「(教えてくれてありがとう。キョウコのお陰だよ)」
 私達は寒いのを我慢して並んで夜景を満喫していた。
 マシューはポケットに手を入れ、少し体を揺らしている。
 私もこの寒さではじっとしている事ができなかった。
 やっぱり寒い、寒すぎる。
 夜景は奇麗だけど、寒さが辛い。
 気になる人が側にいて、ロマンティックでも、この吹きすさぶ冷たい風には耐えられなかった。
「(マシュー、ごめん。もうこの寒さに我慢できない)」
 私の体は車に向かっていた。
「(大丈夫、大丈夫、車の中からも見えるし)」
 なんだかマシューはその方が嬉しそうだった。
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