第三章
5
ここであっさりとキスをするだけなら、私もドキドキとした感覚で楽しかったかもしれない。
でも、部屋のドアは閉められ、また密室になっている。
誰も人が居ないところで、彼のベッドの上って、あまりにも状況整いすぎじゃないですか。
車の中でもキスしたけど、唇がくっついて終わるだけじゃなく、しつこくいつまでも持続するものだった。
それがあるから、こんなところでキスしてしまったら、この先ずっと何して過ごすんでしょう。
まだ会って間もないし、時間だけがたっぷり残されてるというこの密室で──。
死体があれば、密室殺人事件としてミステリーが始まるんだけど。
いるのは生きてる人間二人。
ホラーやサスペンスに展開しても困るけど、この状況も同じくらい困る。
そんな馬鹿な事を考えている間に、マシューが近づいてきている。
もう断れない状態に追い込まれて、また体が強張ってきてしまった。
しかも彼の手が私の肩に置かれたときは、指先の彼の力を感じてしまった。
キスする寸前のその時、体が押されるようにベッドに傾いて行く。
極限に達したその時、思わず怖くなって、私は彼を軽く突き飛ばすように避けてしまった。
私としては、こういう状況がとにかく怖くて、やっぱりできないと本能が悲鳴を上げた状態だったのに、その時のマシューの顔を見たとき私は凍りついた。
マシューは眉をつりあげ、眉間に皺が寄るほど不快感を表して、完全に怒っていた。
私の方が意外で「えっ?」と小さく声が漏れた。
私にとっては、ちょっと待ってという軽い気持ちだったけど、マシューは違った。
突然態度が変わって、鼻で息が漏れるように見下した態度を私にとった。
それに気がついたときは遅かった。
「ごめん」
私が謝っても沈黙が続く。
密室な部屋の静寂さは恐ろしく不気味だった。
そしてマシューはため息をわざとらしくついて、私を見た。
「ボクハフラレタ」
とても冷たく聞こえた。
日本語だからはっきりと意味が脳に伝わるし、その言葉は失望していると言わんばかりにきつく放たれた。
「違う、恥ずかしかったから」
慌てて弁明をする。
ほんとに恥ずかしかったし、それ以上に怖かった。
「キミハ コドモノツクリカタ シッテルノカイ」
「えっ」
なぜ今日本語でそんな言葉が出てくるの。
もう私はどうしていいかわからなくなった。
涙こそでなかったけど、私だってものすごくショックで、それって侮辱にも似た態度に思えた。
ここで私も言い返せばよかったのかもしれないけど、「子供作り方くらい知ってるわよ」なんて言ったところで、何を主張しているのかわからない。
知ってても、それを今しなくてはならないのかというのはまた別の話だと思う。
この言葉がマシューの口から出てきたときは、私もとても失望していた。
それからはもう最悪だった。
元には戻れない亀裂を感じ、マシュー自身フラストレーション一杯に機嫌が悪かった。
男って、こういうことですぐ機嫌を損ねてしまうものなのだろうか。
ここでも私の知らない男心が作用しているのだろう。
お互いの気持ちが噛み合わない最悪のすれ違いになってしまった。
でも、こんな状態を作り出して、無理に襲い掛かりはしなかったものの、一度キスをして心を許してしまった後での、この追い込まれた状況の中では無理すぎてダメだった。
「ごめん、マシュー。ふったんじゃない。マシューのことはスキ、でもほんとに恥ずかしかった」
「イヤ、ボクハ フラレタ」
これは本当にどういう意味だったのだろう。
私がマシューを受け入れなかったことに対して彼は腹が立って振られたと言ってるのだろうか。
恋人が迫ってきたときにノーと拒絶するのは、もう復元できないほどに振るという意味なのだろうか。
私はマシューを嫌いでそんな事をしたわけではない。
ただ、まだ心の準備ができてなかっただけ。
何もかもが早すぎる展開。
憧れと、戸惑いが交互に現れて、嬉しいけど怖いという気持ちも同じように現れた。
どんなに説明したところで、分かってもらえなさそうだった。
慣れてないし、またそれを説明しようという気持ちですら、恥ずかしく思っていたくらいだった。
私は下を向いて謝るしかなかった。
マシューもまだ気持ちの整理がついていないのか、体のエネルギーを上手く処理できないでいる。
男の人って気持ちが高ぶって、いざそのときになって拒まれたらやはり大変なんでしょうか。
そんなことも知らない私には、この状況がよくわからなかった。
「(マシュー、今日は私帰るね。ほんとごめん)」
すぐにこの寮をでて、一人になりたかった。
マシューもどことなく罪悪感を抱いたのか機嫌が悪いままに車で家まで送ると言ってきた。
それこそ私が恐縮する。
何度も丁寧に断ったけど、それも益々逆効果だった。
「ヤッパリ キミハ ボクヲフッタ」
「えっ、だから違うって。ただ遠いから迷惑だと思って」
もう英語なんて喋ってられない。
どこまでマシューに通じてるかわからないけど、こんな状況で英語で自分の気持ちを表すことなんてできない。
そんな余裕がない。
ただ悲しくて、ただ理解して貰えないもどかしさを感じ、説明しようにもお互い言葉の壁にぶち当たって、自分達の気持ちを理解するための手段に限りがある。
「それじゃ、バス停まで送って」
マシューもなんとかしたいと思ったのかもしれない。
環境を変えて、少しでも話す機会を作ろうとしたのかもしれない。
でもどちらも後に引けないものを感じ、これ以上上手く繕えないものがあった。
バス停までは車で送ってもらったが、マシューはまたここでも「フラレタ」を繰り返した。
何度も言うその言葉に、もしかしたら、なんか違う意味があるのかもしれないと思ったとき、すでにバス停に来てしまった。
「マシュー、ありがとう。ほんとにごめんね」
マシューの目は笑ってなかった。
ここまで送り届けたという義務感がそれで終了という雰囲気を出していた。
電話するとか、次いつ会おうとかの約束もなく、私達はそこで別れてしまった。
あっけない恋の終了。
七面鳥さん、なんだか終わってしまいました、よ?
私は寂しく一人バスに揺られて帰っていった。