第四章
3
学期が終わり、学校では盛大に終業式が行われた。
ポカポカとした日差しの中、中庭に椅子が並べられて沢山の生徒達が座っている。
今期の楽しかった想い出話と一緒に先生たちが挨拶し、生徒達もその場を盛り上げようと拍手や掛け声で場を盛り上げて行く。
それもまた楽しいひと時だった。
それが終わると、帰国する人々とのお別れの時間なので、写真の撮り合いやハグをして大いに賑わう。
楽しい時間はあっと言う間に終わっていく寂しさがあるが、知り合った世界の人たちとの想い出はそのまま残り、この地球上のどこかに一緒に勉強して楽しい時間を過ごした人たちがいると思うだけで、世界を知ったような気分になって力が漲ってくる。
これもまた留学の醍醐味だった。
私と同じように残る者もいるので、また頑張りましょうと励ましあっては、次の学期が始まるまで春休みはのんびりする。
そして私は4月初旬にはお世話になっている家から、ルームメイトを募っていたコンドミニアムに引越しする予定でいた。
それまでは、ホストファミリーの家で過ごすが、ちょうど三月は子供達も春休み。
それを利用してホストファミリーが二週間旅行に出かけるので、私はそれまで留守番役として、家の事を任された。
折角のチャンスとばかりに、この間に友達を呼んで家族には内緒でパーティでも開こうと思っていた。
パーティはダメよと言われてないから、多分そこまで気が回らなくていい忘れだと思うが、黙っていればバレないだろうという強かさがあった。
その分、しっかりと掃除して置き去りにされたペットの世話もするんだから、最後くらい楽しませてもらわなくっちゃ。
その後はここの家族ともお別れなので、迷惑掛からない程度に自由にやってやるという気分だった。
ただでさえ、どこかでマシューのことで傷心してるだけに、景気よく活気つけないと暗く落ち込んでばかりも嫌だった。
マシューとはよく分からないまま、あれからどちらからもまた連絡はしなかった。
心の中はずっともやもやした状態が続いては、たまにまた偶然を装って会えないかとストーカーまがいに、マシューが現れそうなところを歩いていた。
ただ遠回りして、自分の教室に向かっているだけだったけど、そんな気持ちをまだ持っている私もしつこい。
以前連れて行ってもらったあの崖っぷちの海岸沿いですら、あの時の事を思い出すために一人でぶらりと学校の帰り出かけてしまったことがあった。
あんなところに行っても無駄なことなのに、またかつて一緒に見たあの海が恋しくなって歩きたくなる。
あの時味わった気持ちをまた再現してみたいという、自分自身を慰めたい気持ちだったが、二度と戻らないときを再確認して虚しさも同時に味わってしまった。
どうしようもない病気だと自分で自覚しながらも、吹っ切れられない気持ちがマシューとかつて過ごした所を追跡をしては、想い出に耽っていた。
何をそんなに彼の事を思ってしまうのか。
初めての恋とロマンティックな状況が、アドレナリンをたっぷり引き出してくれて、まるで麻薬にはまってしまうような抜けられなさのようだった。
私の中ではまだ終わってなかったということだった。
この時ため息ばかりついていたように思う。
そして、ホストファミリーが旅行に行ってしまって、家で一人で過ごす日々が続くと、その情報を知っていたトーマスが私の家で映画を観ようと誘ってきた。
マシューのことばかり考えていたので眼中になかったのだが、たまにバス停で会うし、ホストファミリーが二週間留守することはすでに言っていたけど、押しかけてくるとは思わなかった。
別に予定もないし、来るのはかまわない。
トーマスも、もしかしたらルームメートと一緒にいると映画も気楽に観られないから、ホストファミリーがいない私のところに息抜きがてらに遊びに来たいだけかもしれない。
だから何も考えずにどうぞと提供した。
昼間は勉強で忙しいので、夕方から来ることになったのだが、夕食は家にあるものでいいなら、作ってあげるということで、ごそごそと冷蔵庫から引っ張り出してサンドイッチを作った。
もう手抜きどころか、はっきりいって残り物。
トーマスには気を遣うところが全くなかったので、お気軽に簡単に食事をする。
それなのに酷く感動してくれて、カウンターキッチンのところで、スツールに座って一緒に横に並んで食べている事が楽しいとか言ってくれた。
アレほど男の人と一緒に食事をすることに抵抗があったのに、トーマスだとなんとも思わないのが不思議だった。
トーマスの方が変に照れては、美味しいと何度も連呼して、そわそわしていたくらいだった。
「杏子はいいお嫁さんになるね」
そんな常套句を言われても、全然嬉しくなかった。
トーマスはもしかしたら、何かを期待してやってきたのだろうか。
時折、じっと見られている感覚があった。
しかし、私は絶対変な雰囲気を作らせないタイプなので、手を出すことは不可能だったと思う。
こっちがその気じゃありません。
だからその後、トーマスは映画を観たらすぐに帰っていった。
でもトーマスも男だから、多少何かを期待して来ていた部分があったかもしれない。
そうなると、私は男にとって都合のいい女と思われてるのだろうか。
そういう場合は体目当ての男の事をさすのだろうけど、私はやっぱり男の人には縁がないんでしょうか、それともチャンスをものにできない女失格なのでしょうか、七面鳥さん。
女性としての色気がないのはまだ恋に対して純粋なんですと自分で力説してみるも、変な方向に行っても困るだけに、わざわざ好きじゃない人に色気見せても仕方がないとは思うけど。
これだけ好きなマシューにすら、キスをされるとき手で押しのけてしまったんだから、私はまだまだ恋の修行が足りません。
そして暫くは一人になる事を楽しもうと、ある夜、思いっきり音楽を掛けて過ごしていた。
そしたら電話が鳴り出した。
それを取ればマシューからだった。
ここでもえーっとびっくりしたけど、どうしてこう落ち着きかけたときに連絡をしてかき乱してくれるのだろう。
それでもやっぱりドキドキしていた。
音楽のボリュームが大きすぎて、電話が聞こえ難いので、ちょっと待ってもらって音楽を消しにいった。
「(もしかして忙しかった?)」
「(ううん、全然。家に誰も居ないから、音楽聴いて過ごしていただけ)
「(えっ、家に誰も居ないの? 大丈夫?)」
一人で過ごすことを楽しんでいるくらいだから、全然問題はない。
それよりもマシューがこうやって電話してくることの方が一大事だった。
声を聞きたいと思う反面、どうしてまだこんな中途半端な関係が続いてしまうのか、私には分からない。
「(家には誰もいないからとても気が楽。マシューはどうしたの?)」
「(うん、ちょっとキョウコと話をしたくなった……)」
この時、他に何か話したそうに急にそわそわした雰囲気が伝わってきた。
それって、もしかして私が遊びに来いとでもいうと思ったのだろうか。
そんなこと私がいう訳がないでしょうに。
例えどこかで淡くそう思っていても──。
「(思い出してくれてありがとう)」
口ではそう言えても、ほんとは胸が痛くて苦しく、この中途半端さが嫌だった。
「(今度さ、モーターサイクルを買おうと思ってるんだ。それでキョウコを後に乗せたい)」
「(マシューってワイルドな事がスキだね。ジープといい、モーターサイクルといい)」
「(そうでもないけど、モーターサイクルはずっと欲しかった)」
話をしたいといってきたときですら、雑談が続く。
マシュー、私はただの友達なんでしょうか。
日本語が話せるから、時々宿題を手伝ってもらうだけの語学交換的存在。
なんだか私はとても苦しいです。
一応、どこかへ行こうと誘ってくれるが、会っても以前のような甘い関係には戻れない。
私はマシューにとってなんなのだろう。
一度関係を拒んだ事が、彼の中では割り切れて友達扱いとして終わっているのだろうか。
疑問が残り、それでも仄かにやり直せるかもしれない期待も混じり、そこにまた新たにもしかしたら仕返しされてるのかもと邪心が入り込んでしまう。
あまりにも早く事が動きすぎて、私は戸惑って、でもマシューは先を急ぎたくて、それができなかったから、それなら友達という枠に収まった?
私が拒んだ事が一番の理由だけど、これってどういう心理が働くのだろう。
やっぱり何度考えても分からない。
当たり障りのない会話が穏やかに続く。
「(そうだ、今度パーティするんだけど、マシューも来る? 学校の友達が集まるの。ホストファミリーがいない間にちょっと楽しもうかと思って)」
軽い気持ちで誘ってみたが、心の中では来ないだろうと思っていた。
とにかく日時を知らせておく。
こっちも来て欲しいと強く願ってないから、来てもいいし、来なくても別にいい。
そんなくらいのものでしかなかった。
「(パーティか、いいね。でもちょっとその日まだわからないんだ。行けたら行くっていう返事でもいい?)」
どうぞお好きに。
もうマシューからは何も期待しない。
自分が一番の原因でこんなにこじれてしまったけど、本当はもっとシンプルなのかもしれない。
私達は友達になった。
ただそれだけ。
私は割り切ろうと胸にもやもやを抱えながら、頭の中は気丈になろうと必死だった。
「(無理しないでね)」
無理をしているのは私の方だった。