第六章


「天見君、もう寝た?」
 無視しようかと少し躊躇したが、中々寝られそうもなかったので、「いいえ」と答えた。
「だったら、お姉さんが昔話でもしてあげようか」
「別にいいです」
「遠慮することないわよ。昔々……」
 おいおいって、暗闇の中で白目になってしまった。
「あるところに夢見るお姫様がいました。夢見るお姫さまには年の離れた妹がいました」
 まさにユメとノゾミだった。
「ある日、妹は姉の大切にしていた赤いハートのネックレスを無断で使って、そして失くしてしまいました。姉はカンカンに怒り、妹をぶってしまいました。妹 は必死に耐えて、何度も何度も謝りました。姉はそれでも許さなかったのです。でも実はそのネックレスは、別の所に住む王子が盗ってたのです。妹は王子を 庇っていただけでした。姉は後に真実を知ったのにぶったことは謝りません。年月が経ってもずっとずっと謝る事はありませんでした。終わり」
「えっ、そ、それは」
「そう、卑怯な夢見る王女様でしょ。ずっとずっと心の奥で妹を妬んでたの。それが憎しみになって、自分が間違った事をしても謝れなくなったの。それなのに、妹は姉を受け入れて愛そうとするのよ。もし私が妹なら絶対に許せないと思う。でもあの子はどんな理不尽も受け入れた」
 例えの話から、あの子と呼んだことで、ノゾミの話になっている。
「あなたの弟だけど、彼もあなたの事を最初敵視していたんでしょう。きっとあなたと比べられて、劣等感を抱いていたと思う。でもあなたは、弟と知らなかっ たことで、彼を寛大に受け入れて勉強の手伝いも無償でしてあげた。もし、それが弟とわかってたら、あなたはどうしてた? ちゃんと真っ向から向き合っ た?」
 ユメの言いたい事はわかる。知らなかったから、俺は気にせずにありのままにセイに接することができた。
 セイは俺の事を知っていたけど、敢えてそれを言わなかったことで、俺の本来の姿を見る事に繋がった。
「上手く行かなかったと思います。お互い憎しみ合って、いがみ合っていただけだったかと」
「ノゾミがはっきりと事実を言わなかったのは、そのことが分かっていたからかも。あの子はどうすればその人を助けられるのか、ちゃんと考えて行動してる」
「お人よしですね」
「あら、そんな風に言っちゃう? せめて思いやりのある子とか言ってほしかったな」
「別に悪い意味じゃないんです。なんだか彼女らしくて、感心してるんです」
 暗闇に目が慣れてきた。
 ぼんやりとこの家の中のものが見えてくる。
 そしてノゾミの事も同じように──
「私もノゾミは損な役柄だとは思ってるけどね」
 人の役に立ちたい──
 人の幸せを願う──
 本当にノゾミらしい。
「ねぇ、天見君はうちのケーキの噂聞いた事ある?」
「噂?」
「誕生日ケーキや特別なケーキを注文した時に、うちではオリジナルのろうそくを一本つけてるの」
「オリジナルのろうそくってなんですか?」
「お継母さんがデザインした、l’espoirってロゴのろうそくなの。これに火をつけて願いを込めて吹き消すと、それが叶うっていう噂」
「いえ、聞いた事ないです。そんな噂があるんですか?」
「ていうか、その噂を根付かせようとして作ったんだけど、まだ世間では上手く伝わってないみたい」
「それ、商売のために口コミの宣伝効果狙ってるんですか?」
「ノゾミが考え付いたアイデアなの。ノゾミは人を幸せにするようなケーキを作りたいらしいの。うちのケーキがそうなったらいいなって願ってる」
 ノゾミは俺のためにどうしても作りたいケーキがあると言っていた。
 そのケーキの事なんだろうか。
 きっと苺をたくさん乗せて、俺の好みに合わせた甘さに仕上げるのだろう。
 なんでだろう。どんなケーキか想像できて、目の前に浮かんでくるようだ。
 そのケーキの姿を思い浮かべながら、俺は次第に意識が遠のいていった。

 部屋の中で「ピンポーン」という音が鋭く響いたとき、俺はそれで目が覚めた。
 ユメも起きた直後みたいで、のそっとベッドから起き上がり、枕元にあった時計を見つめる。
「誰、こんな朝早く」
 大きな欠伸をし、玄関に向かい、ドアが開いた気配がした。
「ノゾミ、何もこんな朝早く来なくても」
「だって……」
「慌てて来たんでしょ、またどこかでぶつかって、ほら、足に青痣できてるじゃない」
「あ、ほんとだ。ぶつけた覚えないんだけど」
「ちょっと当たっただけですぐできるんだから、気をつけなさい」
 その後、ノゾミが部屋に入ってきて、布団から身を起こしている俺を見て、泣きそうになっていた。
「先輩、ごめんなさい」
「だから、お前は悪くないって。そんなすぐに謝るな」
「だって、だって、セイ君が先輩の弟って知っていたのに、はっきりと説明しなかったから」
「俺が勝手に勘違いしてただけだ。今思い出せば、お前はちゃんと伝えようとしていたと思う。でも結果的に、勘違いしていた方が都合がいいって思ったんだろ」
「はい。その通りです。最初はちゃんと言うべきだって思ってました。言おうとしたら先輩変に勘違いして、訂正できなくなりました。そのままずるずるしてた ら、セイ君は先輩に見る目があるって言われて、それで自分でもその目で先輩をしっかりと見てみようってそれでセイ君が勉強を教えて欲しいって言い出したん です。セイ君の気持ちも変化してきたから、このまま成り行きに任せたんですけど……」
「それで、俺が真実に気が付いて、色々な事情から複雑に絡み合ってこじれてしまったってことだな」
「ごめんなさい」
「謝るな。怒ってないよ」
 ノゾミは安心するも、ここまで必死でやって来たんだろう。
 すっかり疲れてやつれていた。
 昨晩も良く寝られなかったのかもしれない。
 これでは体を悪くしそうだ。
 今日はスカートを穿いているが、ユメが指摘していた、ふくらはぎの青痣がこの時目に入った。
 俺の事を心配して、余程慌ててきたに違いない。
 俺はそんなノゾミが愛おしいと思った。
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