第七章


 期末テストが終わり、そして梅雨もとうとう明けた。
 太陽も真上からギラギラと照りつけて、一気に暑さが増してきた。
 セミの声もあちこちからうるさく聞こえ、本格的な夏を感じる。
 テスト最終日が終わって、半日で帰れるこの日、俺はノゾミに会いに彼女の教室まで足を運んだ。
 だがノゾミはすでに帰った後だと知って、俺はレスポワールまで追いかけてしまった。
 家の玄関と店の入り口は違うだろうに、俺はついつい店の方へ入ってしまった。
 ドアを開ければ、甘い香りを仄かに感じた。
 カウンター内で仕事をしている若い女性が一人いるだけで、お客は誰もいない。
 「いらっしゃいませ」とその女性に声を掛けられ、俺はもじもじとしてしまう。
「あの、叶谷希望さんはご在宅でしょうか」
「あっ、ノゾミちゃんのお友達? ちょっと待ってね」
 その女性は奥に引っ込んで
「オーナー、ノゾミちゃん帰ってきましたか?」
 と叫んでいた。
「いや、まだじゃないかな。どうしたんだい?」
「お友達がいらっしゃってるんです」
 まさかここで、ノゾミの父親が出てくるとは思わなかった。
 俺を見て、ハッとしたあと、「こんにちは」と慌てて頭を下げたので、俺もお辞儀を返した。
「ま、まだ帰ってきてないんですけど、何か御用ですか」
 おどおどしながらも、父親らしく理由が知りたいと、無理して訊いてくる。
「いえ、その、ちょっと近くまできたもので、特にこれといった用事は」
「すみませんね、わざわざ来て頂いたのに。よかったら帰って来るまでそちらの席でケーキでも食べて待ってて下さい。すぐ帰ってくると思うんですけど」
「いえいえ、そんな、また来ますので」
「遠慮なさらずに。それともお食事をお出しした方がいいかもしれませんね。お昼ですもんね」
「いえ、け、結構です」
 逃げようとする俺を逃がさないとカウンターから出てきて、俺の腕を引っ張る。
 俺が抵抗するのでそれは揉み合いになってしまった。
 店主が客を引きこもうとする光景はとても奇妙だった。
「とりあえず、上がって下さい」
 いつの間にか家に上がれと、アリジゴクの巣におびき寄せるように引っ張っている。
「いいですから、その」
「ちょっとマイちゃんも手伝って。この人、家の中に入れて」
 カウンターにいた女性を呼んでまで引き留めることなのだろうか。
 逆らえないのか、マイちゃんと呼ばれた女性は、従順にいう事を聞いて後ろから俺の背中を押し、俺は無理やり、奥へとつれられ、そこから住居と繋がっていた玄関先へと案内させられた。
「おーい、志摩子! ちょっと、お客さんだから、出てきてくれ」
「はーい」
 二階から声が聞こえ、ひょろっとした女性が階段を下りてくる。
 俺を見てメガネの奥から目を丸くしていたが、すぐに察して優しく微笑んだ。
 穏やかな所はノゾミと同じような雰囲気があった。この人が絵を描く仕事をしている母親なのだろう。
「あら、ハンサムな方。初めまして、ノゾミの母です」
 とてもマイペースなものを感じ、俺は調子狂って力が抜けたとたん、ノゾミの父親の力に負けて、無理やり家に上がらせられた。
 慌てて脱いだ靴を揃えている暇もなく、押し上げられた。
「どうぞこちらへ」
 その後は母親についていかざるを得なかった。
 なぜ、こんなことになるのか、振り返れば、ノゾミの父が俺の靴を揃え、一仕事終わったようにふっと息を吐いていた。
 やっと捉まえたとでも言ってそうだった。
 一度会ってるだけに、二度も店に現れた男を誰だかちゃんと確かめずにはいられない。
 ノゾミはそれだけ父親に大切にされている。
 ユメが嫉妬してしまうのもこういう些細な事が原因なのかもしれない。
 俺も、一緒に暮らしてなかったとはいえ、父親がセイの方を構うのを目の当たりで見た時は、やはりいい気はしなかった。
「えっと、お名前は?」
 ノゾミの母、志摩子は振り返り問いかける。
 ぼうっとしてたから、名乗ってなかった事を恥じて慌ててしまった。
「失礼しました。天見嶺と申します」
「天見さん? もしかしてお母様が看護師さんの?」
「はいそうです」
「ああ、なるほど面影がある。お母様にはご贔屓にして頂いてるんですよ」
 母もこの店を利用しているとは俺には初耳だった。
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