2 最初の出会い
エレナをなぜここまで好きになってしまったのか、おもむろに振り返った。
初めてエレナに会ったのは、僕がミドルスクール(中等部)の頃だった。
母親の目を盗んでは、よく施設に行っていたある日の事だった。
他の子供達と交わらずに、一人ポツンと部屋の隅に居た少女を見つけた。
それがエレナだった。
初めて見る顔だったから、僕は暫く観察をするように見ていた。
僕も施設で育ったから、他の子供とは違う、世間から爪弾きにされたような感覚を感じることがあった。
あの時のエレナも、慣れない環境でかなり戸惑っているのが感じられた。
それ以上に重い何かを背負って、怖がっているようにも思えた。
まだ十才くらいの幼い少女なのに、長い睫が下を向き、全てをわかりきったような、どこか大人びた表情をしていたのが印象的だった。
顔もかわいいというよりも、完璧にぶれの無い線で狂うことなく描かれたような美しい少女だった。
真剣な表情で思いつめ、子供らしい感情を表さないその表情が、余計に悲しく見えた。
そして脅えた様子で目に涙を溜めては、体に力を入れて必死に堪え、どこを見るわけでもなく、口元を引き締めて常に考え事をしていた。
この施設に初めて来たときは、皆、最初は溶け込めず寂しそうな態度になる。
しかし日にちが経てば、子供達同士打ち解け、楽しそうに遊ぶのもここでのパターンでもあった。
子供達は常に気持ちが周りに左右されて、一度遊びの輪の中に入れば、すぐに馴染んでいくものでもあった。
しかしエレナは違っていた。
いつ施設に行っても他の子供達と遊ぼうとしなかった。
寧ろ自分の方から避けていた。
どうしても自ら心を開くことができず、その鍵を自分でもなくしてしまって、開けようとしても開かずに、ひたすら何かに悩んでいる様子だった。
最初はある程度の様子を見て、僕も本人のやりたいようにさせていたが、病気になったように顔色が悪く、やせ細っていくように見えて、僕は放っておけなくなった。
「ねえ君、どこから来たの」
僕は声を掛けてみた。
「海がきれいに見える丘の上」
表情を変えず、僕を寂しげに見上げながらエレナは答えた。
「海が恋しいんだね」
僕がそう言うとエレナは頷くこともなく、それ以上何も答えなかった。
それよりも一層悲しみに包まれ、それは海よりも深いように思えた。
彼女は決して無理に愛想笑いもする事なく、ただ無口のまま一人ポツンと部屋の隅にいた。
まるで椅子に生えたきのこにでもなったように、それはいつ見ても同じだった。
そんな姿を見ると、僕はエレナに笑顔を取り戻してやらなくてはと思うようになった。
しかし口下手で気のきいた話もできるわけがなく、ことごとく失敗した。
それでも諦めず、施設に行けば、いつも一人でいるエレナの側に自然と身を置くようになった。
その頃はエレナに対して特別な感情はなかった。
まだ小学生のエレナを、中学生の僕が一人の女性として見るには早すぎた。
あまりにも他の子供達が見せない悲しそうな目をしたままだったので、気になって仕方なかったが、ただ、美少女という実感はその頃から僕は抱いていたとは思う。
だからこそ、笑った顔を見たいという願いはあった。
今思えば、銃を突きつけられて必死で逃げ、父親の安否がわからないまま、一人身を隠すように施設に連れてこられた気持ちを想像すれば、すぐに笑えるはずはなかった。
常に恐怖と戦っていたから、あんなに思いつめていた。
十才の子供がそんな体験をし、また危険と隣り合わせの毎日で楽しく暮らそうと思う方が無理である。
あんな小さな体で戦慄をすでに味わっていたと思うと、エレナのあの表情は全てを知った今だから良く理解できる。
結局エレナを笑わす事もできずにいたが、あの頃はライアンに興味を持った時期でもあった。
校内でライアンがかなり暴れまくっていたのが目についた。
でも彼を見ていたら、意味もなく暴れている訳ではなかったのも気が付いていた。
僕と違って、自分に正直で気持ちをストレートにぶつけ、自由奔放に思うがままに生きている姿が僕には羨ましく、そして眩しかった。
あの頃の僕と言えば、引き取ってくれた親の期待に答えようと勉強ばかりしていた。
親の目を盗んで施設に幾度に訪れては、なぜ自分はここで自由に暮らす事を選ばなかったのかと後悔していた時でもあった。
ポートさんも僕を引き取りたいと願ってくれた事もあり、ポートさんと暮らしていたらまた違う自分があったのではと思う事もあった。
僕が今の両親に引き取られる事を承諾したのは、僕の打算的な考えからであって、それは施設のためになると思っての事だった。
子供心ながら、引き取ってくれる両親が金持ちであるなら、施設の力になってくれるのではと、浅はかに考えてしまった。
僕は子供心ながら施設を助けたかった。
でもそれは僕の誤算だった。
引き取ってくれた母は僕には優しかったが、僕を愛するが故に施設から切り放したくて仕方なかった。
僕はそれが辛かった。
シスターパメラも僕を育ててくれた母親であり、それは僕から切り離す事は決してできることではなかった。
今では何もかも解決したが、当時は色々な狭間で辛い思いをしていた。
そんなときに自由な
ライアンを見て、ああいう友達がいたら自分も楽しいだろうなんて憧れたものだった。
それが今では、180度転換して反対に苦しむ事になるとは思いもよらなかったが──。
それでもライアンは良い友達には変わりないのも事実である。
あの時僕は、確か恋をした時期でもあった。
僕にとっては淡い初恋みたいなものだった。
サイエンスのクラスではいつも席が近かった女の子。
僕が授業中つい居眠
りをしてしまって、先生に当てられて質問に答えられないところを助けてくれたのが彼女だった。
名前はケイティだったと記憶している。
輝く金髪のロングヘアーに妖精かと思うくらい透き通った白い肌をしていた。
僕なんかとは住む世界が違う、学校ではポピュラーな女の子だった。
それでも気取らずにいつも笑っている笑顔がかわいかった。
殆んどの男子生徒が、彼女に一度は恋をすると言っても過言じゃないほどケイティはモテていた。
そんな彼女が僕を助けるために、紙に答えを書いてそっと僕に渡してくれた。
お陰で助かった訳だが、彼女と目が合ってニコっと微笑まれた時、僕はドキッとした。
それから少し意識するようになったが、思いを伝えられる訳もなく、話しすら交わす事もなかった。
でもライアンはしっかりと彼女に声を掛けていた。
あの頃からライアンは女好きの面が見えていた。
ケイティがライアンと付き合っていたのかは知らないが、ケイティは心臓が弱くて高校に一緒にあがることなくこの世を去っていった。
僕はとても衝撃を受け、悲しみに打ちひしがれた。
その出来事を境に、あの頃、急にエレナが僕に心を開くようになった。
窓辺に近い椅子に座り、外を見つめながらケイティの死を悲しんでいる時だった。
気が落ち込み、知らずと目が虚ろになっていた僕に、エレナが近寄ってきたのだった。
「カイル、どうして悲しそうな目をしているの? カイルの大切な人がどこかに行っちゃったの?」
まさにエレナの言う通りだった。
エレナもあの頃は父親がどこかへ連れ去られたのが悲しくて、だから僕にも大切な人がいなくなったのかと聞いてきたに違いない。
その時はなぜエレナにその事がわかったんだろうと不思議に思っていたが、今になると色々と納得が出てくる。
エレナも父親の安否を気づかうまま、自分では気が付かずに悲しい目をしていたんだろう。
本当は笑いたくとも、父親の事が心配で笑うことを忘れていただけだった。
もっとあの時、エレナの事を理解していたら、僕ももう少しエレナを助けてあげることができたのにと思う。
今更後悔しても遅いが、今だからこそあの時にそこまで考えが及ばなかった自分に悔しくてたまらない。
あの時は、僕がエレナに救われた。
エレナはそっと僕の背中に負ぶさるように抱きついてきたかと思うと、悲しみを和らげようとしてくれた。
「カイルが少しでも元気になりますように」
そう呟いてくれた。
エレナは自分も辛いながらも、僕の事を気遣おうとしてくれた。
「エレナ、僕は大丈夫さ。悲しみもいつか時がたてば和らぐ事も知っている。今僕ができるのはその悲しみに負けずに今を一生懸命生きること。だからエレナも負けずに前に進もう」
僕はエレナの悲しみも知らずに無責任な事を言ったものだと、今になって思う。
だけどエレナは僕を励まそうとしたのか、その時初めて僕に笑顔を見せて頷いてくれた。
エレナもあの時、必死に毎日を生きていたんだと思うと心苦しくなってしまう。
あんな僕の言った一言が効いたのか、それともそういう時期になっていたのか、エレナは少しずつ明るさを取り戻していった。
施設に行けば、必ずエレナは僕に近づいて来て、嬉しそうに笑う様になった。
そして僕が心を許せる唯一の存在だったのか、僕だけには甘えていた。
そういうエレナの態度はかわいくて仕方なかった。
まるで自分の飼っている子犬がじゃれてくるような、自分が世話することが楽しいような、一緒に居るのが心地よかった。
毎日勉強に明け暮れていたあの時、知らず知らずのうちにエレナの笑顔は唯一僕の心を癒してくれるものとなっていた。
妹がいたらこんな感じなのかと思っていたが、エレナは妹ではなかった。
そう気が付いたのは、エレナがプロムパーティに出かけるときだった。