過去のブルーローズ


 私がマリーと出会ったのは、大学のキャンパスの中だった。
 試験の結果が発表され、いい結果を出した時の事でもあった。
 その時、後ろから私の名を呼ぶ声がして、私が振り返れば、そこにマリーが分厚い教科書を抱え込んで立っている姿があった。
 それが初めてマリーを見た時だった。
 その時のマリーは、どこか挑戦的な目をして、私をじろじろと見ていた。
「あなたね、ダニエル・コナーって。でも、私が想像してた人とちょっと違うな」
 長い髪が風にサラサラとなびき、陽の光が反射してキラキラとマリーを眩しく輝かせているかのような突然の登場に、私は釘つけになった。
 気難しそうに考え込みながら、私を分析するかのように見つめる目が大きくて印象的だった。
「君は誰だい?」
 美しい女性から、突然声を掛けられ、吟味されるように見つめられ、私は居心地悪く戸惑っていた。
「あっ、ごめんなさい。会うのは初めてだったわね。私はマリーよ。いつもあなたの噂を聞いていたからどんな人か会いたくてずっと探していたの」
 自分の噂が流れていると聞いてびっくりだったが、こんな美しい女性が私を探していたのも驚きだった。
 私は何を言うべきなのかわからず、ただマリーを見つめていた。
 もうその時点で、私はマリーに好意を持っていたのかもしれない。
 ハキハキとした口調、悪びれずに堂々と対抗する気持ちが現れているのに、マリーから注目を浴びたことが光栄に思えるくらい、彼女には魅力があった。
「あなたでしょ、マッケンジー教授のレポートの課題で最高得点を取った人って。あんな厳しい教授の課題で満点を取れる人なんていないわ。それに今回の試験でもあなた一番だったでしょ」
 試験の結果を言われて、ただ私はあの時あっけにとられていた。
「やだー、私をそんな目で見ないで。私は試験の結果があなたの次だったのよ。今回は一番取れると思ってたのに二番だったから悔しくて、一番を取ったあなた がどんな人なのか見たくて探していたの。私もっと堅物で分厚いレンズがついた眼鏡でもかけたマニアックなような人を想像してたけど、想像とは反して、背が高くすらっ としていて、中々のハンサムさんじゃないの。なんかちょっと興味をそそられるわね」
 おどけたように笑ってはいたが、思った事を口に出し、はっきりと物を言うだけに、圧倒されてしまった。
 私を持ち上げてくれたのに、私はそれに対して気の利いた言葉がでてこなかった。
 『次回からは君の思った通り、分厚いレンズの眼鏡を掛けて試験を受けるよ』と笑い飛ばしてジョークの一つでも返せていたら、どんなに印象を良くした事だろう。
 私はマリーに何も言えず、つまらない男として印象を与えたことをとても後悔したくらいだった。
 それほど、衝撃を受けた出会いだった。
「今回は負けちゃったけど、次は負けないから。それじゃまたね」
 マリーは私に失望して、去っていったと思えるほど、私はマリーを強く引きとめたくなった。
 しかし、言葉が出てこず、何も言えないまま、ただ去っていく彼女の後ろ姿をいつまでも私は名残惜しく見ていた。
 近くに居た友達が耳打ちしてくれたが、マリーはキャンパスでは少し名の知れた女性だったらしく、私が声を掛けられたことがどれだけすごいことか力説してくれた。
 男達の間では、憧れのマドンナ的存在だったらしい。
 ただ頭が良すぎるために近寄りがたく、近寄ってもまともに相手にされない事も多いので、一般の男たちは遠くから彼女を見つめるだけに終わるらしかった。
 私はそれまで、勉強ばかりしていて、周りにいる女性には全く興味を持たなかったのだが、突然のマリーの登場に私は突然目覚めたように、彼女を意識してしまった。
 私にライバル意識を持って突如現れたマリー。
 それは私にとって、新鮮でドキドキとした感情を植え付けてくれた。
 新たな世界の扉が開いたようなワクワクした気分がとても心地よくて、それが後に恋の始まりであったとわかった時、私はマリーに一目ぼれしてたと気がついたくらいだった。
 まだこの時は、私はこの気持ちがなんであるかわからなかった。
 ただ戸惑い、マリーは罪作りなくらい美しかったのも、その原因ではあったが、それからはマリーの事が頭から離れなかった。

 マリーがとても美しかったと強調して話せば、エレナもまたマリーにそっくりとマリーを知る人達に言われるだけあり、自分の容姿の事を気にしていた。
「ママが美しいって、それじゃそっくりな私もそう言うことになるかな……」
 エレナはちょっと恥ずかしそうに冗談のように言った。
 だが、それは紛れもない事実だった。
 エレナもまた、目を見張るくらい整った顔立ちをしている。
 こればかりは、マリーの遺伝子がなせる技だろう。
 エレナもまた、本人が知ってか知らずか、男達にもてたことだろうと私は推測する。
 私がマリーを一目見て気に入ったように、他の男達もエレナにそのような感情を持ってしまう事は責められないと感じるくらいだった。
「ああ、エレナはマリー以上に美しく成長したよ」
 エレナはニコっと私を見て微笑みながらも、『からかわないで』とでも言いたそうに、恥じていた。
 その顔は私がマリーに『君は美しい』と言った時の表情と同じだった。
 マリーもそうだったが、エレナも自分がどれほど美しいかわかってないように思える。
 マリーは勉強する事に必死で、自分に構ってられなかったところがあったが、エレナも問題を抱えて同じように自分に構ってられなかったのだろう。
 自分を鼻に掛けない態度も、一層美しさに磨きがかかっているように思えた。
 私がマリーを好きになったのも、ただ美しかったからではない。
 マリーを知れば知るほど、その魅力に私は惹き込まれていった。
 それから私がマリーに恋に落ちるのに時間はかからなかった。
 初めて会ったあの日から、マリーと会う回数が増えるようになり、そうなったのも自分が意識をして常に彼女を探していたからだと思う。
 彼女もまた私を見つけると、必ず声を掛けてくれたから、彼女との距離は近くなっていった。
  そんな時、マリーから一緒にレポートの宿題をしないかと誘われた。
 学校の図書館の大きなテーブルで隣り合わせになりながら、沢山の本を広げていたときのことだった。
 隣に座っているマリーが、おもむろに髪の毛をかき上げた。
 その女性らしいしぐさに私は反応し、そして、シャンプーの匂いが何気なく香ると、私は見とれてしまった。
 突然身動きができなくなった私にマリーが視線を向けると、私は恥かしくなり、咄嗟に視線を逸らした。
 その時、赤くなったのではないかと思うくらい顔が熱くなった。
「どうしたのダニエル?」
 私は思わずなんて答えていいかわからなかったが、つい正直に言ってみた。
「君は美しいから見とれてしまったんだ」
 マリーはまさにからかわないでとでも言いたそうに、はにかんで笑っていた。
 しかし本当にマリーは美しい女性だった。そんな女性に男どもは恋をしない訳がない。
 そして、私もその一人だった。
  あの時はマリーと一緒に居ると、周りの男どもから羨ましがられたものだった。
 唯一、私がマリーに近づける男として周りからも一目置かれていた。
 私とマリーがカップルだと勘違いしている人達もいたくらいだった。
 私はマリーが自分の恋人ならどんなにいいだろうと、そればかり考えるようになった。
 でも『好きだ』と中々言えないでいた。
 それに告白して受け入れられなかった場合、あっさりとこの関係が崩れてしまうのも嫌だった。
 マリーに近づく男がいない以上、暫くはこの関係でいてもいいと思ったものだった。
 しかしそれはキャンパス内での話に過ぎなかった。

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