第一章


「今の奴、なんか怪しげな男だな。ハワード、なんかやばい仕事引き受けたんじゃねぇのか」
 あの男の冷血な態度をライアンも感じていた。
 しかし自分に敵意を向けられた事もお構いなく、ライアンは壁に掛けられた目の前の鏡に映る己の姿にしか興味がなかった。
 毛先が不規則にはねる栗色の髪の毛を指でいじっては、見る角度を変えて念入りに確かめている。
 背筋を伸ばしてお気に入りの黒い革ジャンの襟元を整えなおし、胸を張っている姿が、自分でもそのかっこよさに惚れ惚れすると言わんばかりの態度だった。
 納得した最後の締めに、自分に向かって粋に笑みを飛ばした。
 いつもの事だった。
「お前、今の男見たことないか」
 ハワードはライアンのおめかしを冷めた目つきで見ながら聞いた。
「知るわけねぇじゃん、あんな男。いかにもなんか悪いことしてそうだぜ。いくら俺がその道に詳しいといっても街にはあんなのは居ない。あれはどう見てもやばい道のプロだぜ。そんな雰囲気がしてた。だけど、その男から一体なんの依頼を受けたんだ」
「お前には関係のない話さ、私だけで片付く」
 そっけない返事を返し、窓際に立って、さっきの男が街の中へ消えていくのをじっとハワードは凝視していた。
「よほど面白い事件ってことか。そういうのは独り占めだもんな、ハワードは。たまには俺も面白いことやってみたいよ。浮気調査ばっかりはいい加減うんざりだ。こうもまあ世の中浮気が多いもんだ。おれは絶対にそんなのしたくないぜ」
部屋の一角においてあるソファーに、疲れたと言わんばかりに勢いよくライアンは腰掛けた。
「おい、ライアン! プレイボーイのおまえが言うような言葉か? それにリサとは一体どうなったん だ。最近違う女と一緒にいるみたいだが」
「ああ、その話か…… リサとは別れたよ」
「ほぉー。またかい。いつも君は長続きしないね。とっかえ引っ替え女を替えている」
「ちょっと待てよ。誤解だぜ。俺は自分から近づいてはいないさ。いつも女から近づいてくるんだ。そして嫌気がさしてふられるのは決まってこの俺の方さ」
「それならなぜ最初から拒まないんだ。おまえは自分がハンサムでモテることを充分に知ってるよ。そして自信過剰だ」
「いやだね〜、俺のことそんな風にみてたなんて。誤解さ。オレはまだ心から愛する女性に出会った事がないだけだよ。いつも真剣に女性と付き合ってるよ。 けっして遊びではないぜ。だけどすぐうまくいかないんだよな」
「好きに言ってればいいさ。結局は自ら嫌気がさして女から去っていくようにもっていってるだけさ」
 ハワードは切り捨てた。
 むっとしているライアンの顔をみるのを楽しんでいるようでもある。
 虐めがいがあった。
 常に歯に衣着せぬ言葉を投げかけるが、これでもハワードはライアンに親しみを抱いている。
 ライアンも的確な指摘だからこそ、痛いところ突かれて本能的にムッとするが、それは自分自身の問題であり、ハワードを決して嫌うことはなかった。
 寧ろ、ライアンもハワードが気に入っている。
 年上のハワードには一目を置いているが、年上だからといって気を遣う必要はなく、厳しいハワードの前であっても、生意気で自由奔放さは変わらず、対等に向き合える関係が心地よかった。
 そして何より、ハワードには頭が上がらないときている。
 以前、不良同士のいざこざに巻き込まれたとき、たまたまそこに居たハワードに救われて助かったことがあったからだった。
 ライアンは顔が広く、物怖じしないので、一部の不良とは認識があったが、彼自身どこのグループにも所属はしていない。
 自分が出入りする店に、偶然そういう奴らも居るというだけだったが、グループを構成している者達はよく対立していた。
 知り合いというだけで、グループ同士の抗争に巻き込まれる可能性もあり、知らずと加勢に引っ張り込まれ、後々ややこしくなってはとばっちりを受けてしまう事もありえる。
 まさにそんな事が起ころうとしていたときにハワードに助けられたのだった。
 だが、本人は気付いてないが、これはライアンの父親に依頼された仕事の一部でしかなかった。
 ライアンがよく出入りしていた店で、近々不良同士の抗争があると情報を得た父親は、息子が巻き込まれないようにハワードに監視役を依頼していた。
ライアンは借りを作るのを非常に嫌う。
 この時も助けられた借りを返すつもりで一度仕事を手伝ってから、それがきっかけとなってここに居座ってしまった。
 これはハワードにも想定外だった。
 しかし、雑用な部分を任せられ、助手としてこき使えるところから、ハワードもすっかりライアンが気に入り、一緒に居ることに次第に楽しさを感じるようになる。
 ハワードはこの僥倖に感謝した。
 仕事のパートナーとしても友達としてもライアンは申し分なかった。
 いつもの事なので、ハワードはライアンを怒らせたことも謝らず、机に戻り黙々と仕事をしだした。
 なんのフォローもなく、気分を害されたライアンは膨れっ面でソファーに寝そべった。
「ちぇっ」
 あてつけのように舌打ちしても、ハワードはお構いなしだった。
 その時、革ジャンのポケットに入っていた携帯が鳴り出し、ライアンの体はピクッと反応した。
 ソファーから身を起こし、いそいそと携帯を手にした時、ライアンの顔は笑顔になっていた。
 ディスプレイを確認するとさらににやけ出す。
 相手は女性のようだった。
 通話ボタンを押し、さっきまで不貞腐れていたことも忘れ、お得意の甘い声で話し出した。 
 時折、歯の浮くような台詞がハワードの耳にも入るが、ハワードは全く気にも留めずにデスクワークをこなしている。
 ライアンはちらっとハワードの様子を横目で見るが、邪魔をして欲しくないオーラが全開してるのを確認すると、少し声を大きくした。
「わかった。今すぐ行く。君に会えるなんて嬉しいな」
 電話が掛かってきただけで、ハワードには充分先が読めたが、わざと自分に聞こえるように言うところが、先ほど釘を刺した事の開き直りのようでもあった。
 相手との会話を続けながら、ライアンはさっさと事務所を出て行った。
 ライアンが出て行った後、出入り口のドアが閉まる音が部屋に響き、再び静けさがすぐに戻ってきた。
 静寂さの中で一人になったとき、改めてハワードは依頼を受けた男の話を思い出し、さらに難しい顔をしだした。
 引き受けた依頼の裏の事情は、世間が知ったら震撼が走るほどの大スクープだった。
 慎重にやらなければ、誰かが殺されるかもしれないし、それが自分になるとも限らない。
 凄腕のハワードでもやっかいな出来事なのか、眉間に皺を寄せていた。
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