第十章


「雲が分厚いから、そこを通っているとき、飛行機落ちるかと思ったぜ」
 地元の空港に着陸した直後、ライアンはぼやいていた。
「確かにさすがのあの揺れは、不安になる」
 ハワードも頷いていた。
「あれだけの冒険した後に、乱気流の乱れごときでびびるなよ」
 カイルが言い返した。
「お前は飛行機好きだし、平気かもしれないけど、あれだけ派手に事件に巻き込まれて解決した後に、最後で飛行機墜落はやっぱり怖い」
「すでに無事に到着してるだろうが。それにライアンは一応全てが終わっただろうが、僕はこれからまだまだやらなければならないことがあって大変なんだぞ。しかも、私用で飛行機チャーターしたし、どれだけ大目玉食らうか、そっちが怖いよ」
「カイルも大変なんだな」
「他人事で済ますな!」
 カイルとライアンのやり取りを側で見ていたハワードは、息を漏らすように笑っていた。
「さて、私も溜まってる仕事を片付けるか」
 一番大きな仕事が片付いたこの時、ハワードは満足していた。
 一人悦に入っては、いつもの厳しい目つきが幾分か柔らかくなっている。
「珍しいな、ハワードがマイルドになるのは」
 ライアンが言うとハワードは意外にも戸惑っていた。
「そ、そうか。それだけ肩の荷が下りたからな」
「事件はとりあえず解決したからな。でも、俺は手放しでは喜べないよ」
 ライアンはレイの事を意味していた。
「僕もそうさ」
 カイルもダニエルに会ってから心の中で迷いが生じている。
 エレナの事件は二人にとっては、まだまだ後を引いていた。
 飛行機を降りれば、垂れ込めた灰色の雲が広がり、雨が降りそうでいて肌寒かった。
 それを眺めながら、三人はそれぞれの居るべき場所へと戻っていった。

 カイルは戻るなり、無断で飛行機をチャーターしたこと、連絡なしに家を開けて仕事をさぼったことを両親に責め立てられていた。
 仕事の事で重荷になって、自殺するんじゃないかと母親は心配したと涙ながらに語る。
 父親も、何が起こったか全てを話すまでは納得できないと、針の筵のような状態の中、事の顛末を話す羽目になってしまった。
 最初両親の眉は釣りあがっていたが、話が進むにつれ、驚きの表情に変化していった。
 最後は、カイルが無事に戻ってきたことが有難いと言わんばかりに抱きしめていた。
 血が繋がってなくても、ここまで心配してくれる両親の愛を感じ、カイルは申し訳ないと思うよりも、心が満たされていく思いだった。
「お父さん、お母さん、勝手な行動をしてすみません」
 素直に謝罪し殊勝になってはいるが、二人を見てると微笑まずにはいられなかった。
「カイル、これから忙しくなるぞ。この始末は仕事で返すんだぞ」
「わかってます、お父さん。しっかりと自分の失敗の分を取り返すように頑張ります」
 父親はその時、眉間に皺を寄せ不思議そうにしていた。
「何を失敗したんだ?」
「だからリゾート開発の件ですが」
「ああ、あれなら今再開しておるよ」
「えっ、今なんて?」
 もう一度カイルが繰り返すと、父親は中止はなくなったと言った。
 カイルは目をパチパチと瞬かせ、頭に疑問符を乗せて面食らっていた。
「あれは、なぜかデスモンド社が圧力をかけていたらしい。だけど今回の事件でデスモンド社が大変な事になっただろ。それにお前が関係していたのもびっくりだったけど、そのお蔭で圧力がなくなり、あっさりと元に戻ったぞ」
「えっ? デスモンド社が圧力? なぜそんな事に」
「私にもわからんのだが、どこかで誰かが態と嫌がらせで手を回していたとしか考えられない。しかし、思い当たる事もないしな。なんとも不可解な出来事で何がどうなってるのか不思議なんだ」
「嫌がらせ……」
 カイルには心当たりがあった。
 しかし、父親がないと言っている以上、ここでその名前を言うのは憚られた。
 それに自分がそう思っても、確信たる証拠もない中、変な噂が流れて自社が不利益を被り、また新たな反感を買われるのも避けたかった。
 デスモンドはその権力を持って、色んな所で猛威を振るっては、コバンザメのようにそこに入り込んで恩恵を得る輩も沢山いたのだろう。
 グッドフィールドもそのような類なのは想像がつき、リサから父親、そしてデスモンドへと繋がっていたのだろう。
 しかし、それも自業自得だとカイルは冷たく突き放す。
 そして、リサがこの後どうなろうと、どうでもいいし、また知りたいとも思わなかった。
「事業が元に戻ったのなら、僕はもうそれでいい。あの時はあの時で学ぶ事もありました。今はまた軌道に乗せてこの仕事をやりきります」
「そうだな。済んでしまった事を考えるよりも、先にやるべき事をやればいい。まあ、この件に関しては私に任せなさい。カイルは自分の仕事だけに集中すればいい」
「はい」
 カイルは気掛かりなことが一つ片付いたことに安堵した。
 しかし、カイルの気掛かりはまだ残っているだけに、手放しで喜んでもいられなかった。
 それでも、仕事が再開したことでまたその対応に急がしくなり、カイルは必死で片付けようと精を出していた。
 ヘトヘトになりながらも、元に戻ったことの方が比べ物にならないくらい有難く、苦にもならなかった。
「結局、僕は何も失わずに得るものを得たということなのだろうか」
 書類を一段落片付けた後に、ふと独り言を呟きながら、エレナの事を考えていた。
 そして、ある程度の片がついたカイルはオフィスを抜け出し、シスターパメラに会いに施設に向かった。
 事件の顛末の報告はアレックスがしているだろうが、直接カイルから話したほうがもっと安心度が増すと思い、顔を出さないわけにはいかなかった。
 施設に行けば、周りにプラカードを持って人が群がり、非常に騒がしくなっていることにカイルは面食らった。
 そこには『立ち退き反対』と書いてある。
 あの時はエレナの事で頭が一杯だったが、新聞の記事に施設の立ち退きの話が出ていたことを思い出した。
 あのでたらめな記事については弁護士を通じているので任せているが、カイルの気掛かりはまだまだ落ち着く気配が感じられなかった。
 カイルはデモをしている人達をすり抜けて、施設の中へ入っていった。
 シスターパメラはカイルを見るや否や、思いっきり抱きしめた。
「カイル無事でよかったわ。エレナも来週にはまたこちらに戻ってこれそうだと連絡が入ったとこだったの。お父様も見つかったし事件も解決して本当によかったわ」
「シスターパメラ、お体の方はもう大丈夫ですか」
「ええあなた達の無事を知って、すっかりよくなりました」
 カイルは窓際をちらりと見る。
「あの人達なんですけど、立ち退きの話は本当なんですか?」
「それは本当の事なの。あのでたらめな記事のお陰でもあるんだけど、市から立ち退きを要請されてると知った人達が、ああやって反対運動を起してくれてるの」
 シスターパメラの表情に暗い影が生じている。
 立ち退きの話はかなりシリアスに進行し、市民が運動を起こしても何も変わらないものが見えていた。
「シスターパメラ、僕もなんとか協力します」
「ありがとう、カイル。でも心配しないで。とにかく、ここを立ち退かなければならない時は、子供達が住む場所に困らないように、すでに色々なところに話はつけてあるの」
「だけど、それは子供達に負担がかかって、全てが上手くいくとは限らない。子供達はいつだって繊細で、自分の居場所がない環境の変化には必ず悪影響がでます」
「わかっているわ。でも今はそれしか方法がないの」
「そんな。ただでさえ、自分が他の子供と違うと思って苦しんでいるのに、また我慢を強制させないといけないなんて。僕はそんなの嫌だ」
「カイル……」
 カイル自身が実際に経験したことから出た言葉だけに、シスターパメラの胸に強く突き刺さった。
「僕もなんとか手を尽くします。だから、諦めないで下さい」
「そうね。そうよね」
 シスターパメラは涙ぐんでいた。
 カイルは集まった人達を、ガラス窓を通して見つめる。
 施設の周りでは、「立ち退き反対」とシュプレヒコールをしていた。
 誰にその声を届けていいのか明確にならないまま、その声はただ意味もなく彷徨っているようにしか聞こえなかった。

 次の日、カイルはハワードの事務所を尋ねた。
 ハワードは事務所を留守にしていた分、仕事が溜まっていたのか目の前にある沢山の書類と格闘してい た。
 ライアンは 肩の傷口が痛むと言ってソファーで寝転んでいるだけだった。
「ライアン、少しはお前も何かしろ」
 ハワードが厳しい目付きでライアンを責めていた。
「すまねぇ、肩の調子が悪いんで仕事を当分休ませて貰うよ」
「だったら家で休め」
「ここが落ち着くんだよ」
 あれだけ命張って戦ったのに、それがカイルにはすでに遠いことのように思えてならなかった。
 この二人には全て解決したように思えて羨ましくも感じた。
 カイルだけが、まだまだ翻弄されている。
「ふわぁ…… そういえばカイル、また仕事再開したんだって。よかったな。今日会社行かなくていいのか」
 ライアンがあくびをしながら、目じりに涙を溜め、眠たそうに言った。
「ああ、一応やる事はやってるんだ。今日は他の人に任せても大丈夫だから、ちょっと出てきたんだ。それよりも気掛かりな事があってさ、施設が市から立ち退きを要請されているんだ。これを解決しない事には何も手につかない」
「そういえば、差出人が誰かわからないが、市長に関してこんな手紙が届いてたぞ」
 ハワードが横から口出しした。
 カイルがその手紙を手にして中を見ると、写真が一枚同封されていた。
 市長と誰かがテーブルを囲んで座っている姿があり、市長は懐に何かをしまおうとしている瞬間が映っていた。
 手紙には『市長の裏を探れ』と意味深な一言がタイプで打ってある。
「なんだこれ?」 
 カイルはその手紙と写真をライアンにも見せた。
「ハワード、これはどういう事なんだ」
 ライアンも、訝しげに写真を見つめていた。
「多分、賄賂だろ。市長は裏で何か汚職をしているんだろう。誰かがそれを私に知らせてきた」
「一体誰がこんな情報を……」
 その写真を持ったまま、ライアンはおもむろに立ち上がった。
「おい、ライアンどこへいくんだよ」
 カイルが慌てて尋ねる。
「俺が調査してくるよ」
「やっとやる気になったか、ライアン」
 ハワードは微笑んだ。
 そこには探偵業も板についてきたと認めるものがあった。
「カイルもついてこい。何か面白いことがわかるかもしれないぜ」
 ライアンとカイルは一緒に事務所を出て行った。

「俺が車を運転する」
 ライアンが手を出すとカイルは何も言わず鍵を手渡した。
「一体どこ行くんだよ」
「まあ見ていな」
 ライアンはダウンタウンを離れ、高速に乗った。
 着陸しようとしている飛行機が目に入った時、国際空港の近くまでやってきたことに気がついた。
 高層ビルや建物がなく、空が広く見渡せ、周りはまだ緑の平面が目立つ。
 そんな中で、周りを芝生に囲まれた4階建ての茶色いビルがポツンと建っているのが見えた。
 ライアンはそこの前で車を停めた。
「おいっ、ライアン、調査ってここはお前の父親の……」
 カイルが言いかけた時、ライアンは携帯を出して電話をしていた。
 そしてその後、アレックスが建物から出てきて、駐車場へやってきた。
 ライアンとカイルは車から降りて、アレックスと向き合った。
「ライアン、こんなところへ来てなんの用だ。いきなり呼び出してびっくりしたぞ」
「親父、この写真の男、名前なんていうんだ?」
 ライアンは市長が写っている写真を見せた。
「ああ、これはパシフィックランド不動産のトニー・ピーターソンだ。お前も昔パーティで会ったことあるだろう。しかしなんで市長と一緒に写った写真を持ってるんだ?」
「そっか、不動産か……」
「どうした、一体何を企んでるんだ?」
「ちょっと気になってさ。それより、あれからどうなってんだ? すでにデスモンドの事は片付いたのか?」
「それは、いくら親子でも言えない」
「ちぇっ、ケチ。俺達だって貢献したのに。知る権利くらいあるよな、カイル」
 カイルは首を横に振って、遠慮した。
「でも、とりあえずはダニエルのお蔭で上手くいってるけどな。お前達は大丈夫なのか?」
「ああ、なんとかな」
「それならいいが、今度皆で飯でも食いに行こうか。ライアンのおごりで」
「おい、そこは親父だろ」
「以前におごってくれるって言わなかったか」
「それとこれとは別だ。人数が多かったら、払えないだろうが」
 アレックスは笑っていた。
 そして腕時計を見ては、時間がない事を示唆し、その後は適当に切り上げて、さっさと仕事場に戻って行った。
「それじゃ、俺達も一仕事に行きますか」
 ライアンは運転席に乗り込んだ。
 そして携帯を取り出してハワードに連絡を入れていた。
「ハワード、施設周辺の土地についてちょっと調べて欲しいんだけどさ、うん、そうそう、わかった。それじゃ後で」
 カイルも助手席に乗り込み、一人で勝手に進めるライアンにイライラしていていた。
「一体どうなってるのか教えてくれ。その男について何かわかったのか」
 ライアンは車のエンジンを掛け、そして車を走らせた。
「ああ、以前、市長主催のパーティに親父が招待されて、俺も興味本位で参加したんだよ。その時に、この男を見た事があったんだ。この男は賄賂を渡して自分の会社に有益になるように取り入るのが上手いって、聞いたことがあるんだ。
「誰からそんなこと聞いたんだ」
「リサだよ」
「えっ!」
 カイルは固まってしまった。
「リサとはそのパーティで知り合った。そして俺は彼女と少しばかり付き合ってたんだよ。振られたのは俺の方だけど、俺も愛想つかれるようにそう仕向けてた ところがあったけどな。なんせ我侭なお嬢様で、顔は美人でも興味がすぐ失せた。リサはお前に気があるような素振り見せてたけど、あれはお前が振り向かない のが悔しくて自棄になってるだけだ。彼女はそういう女さ」
「お前さ、そういう事は早く言えよ。僕が彼女のせいでどれだけ苦しんだと思う? エレナと約束していたあの日だって、リサのせいで邪魔されて、そしてお前に言付けを頼んだばかりに、エレナはお前と出会ってしまった……」
 それを言ってからカイルは、顔を歪ませた。
 今更そんな事をいっても無駄なだけで、なんの意味ももたらさない。
 寧ろ自分が益々惨めになるくらいだった。
「……ごめん、お前には関係なかった」
 ライアンにはカイルの言いたいことがわかっていた。
 ライアンもまた自分があの時エレナに出会わなかったら、こんなにも好きにならなかっただろうし、エレナと出会うことが自分には必要だっただけに、それはそうなるようになっていた自分の運命だとも感じていた。 
 紆余曲折ではあっても、ライアンはあれでよかったすら思えるくらいだった。
 例え、自分とエレナが結ばれなくても──。
「何言ってんだ。お前、エレナと結婚するんだろ。俺なんか出る幕はもうないよ」
 すでにカイルとの仲を認め、ライアンは割り切っていた。
 カイルは何も言えずに黙っている。
 その時ライアンの携帯が鳴り響いた。
「ハワードからなんだ。カイル悪いけど、俺運転してるから、ちょっと代わりに話してくれ」
 カイルがその電話を受け、電話から届くハワードが言った言葉をそのままカイルは繰り返した。
「パシフィックランド不動産? うん、わかった。オッケー」
 カイルが電話を切ると、ライアンはすでに手ごたえがあったような顔になっていた。
「今のでわかったみたいだね。なんでも全てパシフィックランド不動産が買い占めてるらしいって」
「ああ、これで確実だ。多分残りはあの施設だけってことなんだろう。手に入れるために市長に賄賂を渡して便宜を図り、そして施設は立ち退きを命じられたって仕組みだ」
「くそっ、卑怯で汚ない奴らだ」
「さあて、カードが揃ったところで、市長を脅しにいきますか」
 ライアンはニヤリと笑みをカイルに向けた。

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