第三章


「カイル、どうしたの? 急に電話なんかしてきて」
「僕が電話を掛けたらいけないかい?」
「ううん、そんなことないけど」
 リサがここに来てカイルの事を聞いていった後だけに、エレナは何かあったのかと心配になっていた。
 その事を言おうか迷っている。
「エレナがあれからどうしてるかと思ってさ。大丈夫かい?」
「うん、それは大丈夫……」
 口ではそう言えても、心の中は複雑だった。
「なんだかまだ引きずってそうだね。だったらさ、僕がそれを忘れさせてやるよ。今日は仕事が早く終わるんだ。それで、一緒に映画でも見に行かないかい? この間約束しただろう。楽しませてやるって」
「あ、ありがとう」
「それって、OKってことかい?」
「えっ、ええ。だけど、カイル無理してない? 別に構わないのよ」
「エレナ、遠慮はやめてくれ。僕だってエレナと楽しく過ごしたいんだから」
「うん、わかった。それなら喜んで行くわ」
「そうこなくっちゃ。それじゃ五時にダウンタウンのローズシアターの前で待ってるよ」
「ねぇ、カイル、さっきね……」
「ごめん、エレナ、ちょっと用事が入った。早く仕事を終わらせるためにも、さっさと済ませちゃうよ。また後で会ってから聞く。それじゃまたね」
 慌しく電話は切れた。
 自分のために無理をしているのではないかと思うと、エレナは心苦しくなった。
 リサがここへ訪ねて来たことを言いかけたが、良く考えれば名前も聞かなかったことに気がついた。
「まあ、いっか」
 電話の通信ボタンを切ったあと、クスクスと笑い声が聞こえてくる。
 振り向けば、子供達がエレナの方を見てニヤニヤしていた。
「エレナ、今日はカイルとデートなの?」
 ジェニーがわざとらしい笑みを浮かべ、意味ありげに聞いてきた。
「デート? 違うわ。カイルと一緒に映画を観に行くだけよ」
「エレナって大人なのに知らないんだね。そういうのをデートっていうんだぜ。僕でもわかるのに」
 サムが言い切った。
小さな子供からそんな風に言われたことが衝撃的だった。
 エレナが返答に戸惑っていると、ちょうどそこへシスターパメラが帰ってきた。
「お帰りなさい」
 子供達はシスターパメラに近寄って一大ニュースのように口々に報告する。
「今からエレナとカイルがデートなんだって」
「映画を観に行くんだって」
 露骨に子供たちからデートと言われると、エレナは困ってしまった。
 カイルと出かけることは、エレナにはいつもと変わらない普通の出来事にしか思えず、 自分が鈍感だということすら気がついていない。
「デート、デート、エレナとカイルがデート」
 子供達が囃し立てる。
「大人をからかうのはやめなさい!」
エレナが子供達を黙らせようと、咄嗟に脅しで手を上げた。
 子供達は悲鳴を上げ、シスターパメラを盾にして隠れてしまった。
 シスターパメラは注意するどころか、子供達を擁護しながら、エレナに微笑んだ。
「エレナ、今日は久し振りにカイルと楽しんできなさい。遅くなっても構わないから」
 シスターパメラが自分を気遣っていることを、エレナは充分わかっていた。
 だから素直にそれに甘んじる。
 振り上げた手を戻し、息を整え、エレナは胸を張った。
「そうよ、カイルとデートしてくるわ」
 開き直って子供達に告げると、子供達の明るい笑い声が室内一杯に溢れ、エレナも一緒になって笑った。
 久々に、笑顔が戻ったエレナをシスターパメラはたおやかな笑みを添えてみていた。
 いつだってここはこうでなければならない。
 その笑いで、少しずついい方向に向かうことをシスターパメラは願い、ここや子供達を守っていこうとする気持ちを改めて強く誓った。
 口には出さなくとも、シスターパメラの凛としたその姿勢はエレナに伝わってくる。
 見ているだけで勇気付けられ、よい方向に何かが変わろうとしている希望に繋がっていった。
 その明るい気持ちは普段めったにはかないスカートを身につけさせ、エレナを鏡の前に立たさせた。
 そんな事する余裕なんて今までなかっただけに、エレナ自身、自分に向かってちょっぴり微笑んだ。
 支度が済むと、子供達に見送られながら、カイルとの約束の時間に遅れないように、エレナは早めに出かけていくのだった。
 この時、すでにリサはある計画を立てていたとも知らずに──。

 一方カイルは、時計を気にしながら、残りの仕事を片付けていた。
 そんなに時間を気にしなくても仕事は、余裕で終ることはわかっていた。
 しかしエレナと会える事が嬉しくて、待ちきれずに、時間が気になって仕方がないだけだった。
 鼻歌まで歌い上機嫌だった。
 もしかしたら今日は何か二人の発展があるかもしれないと、勝手にキスシーンまで想像しては、鼻の穴をふくらまし、かなり意気込みが入ってしまい、それを発散させるごとく一人でバンバンと机を叩いていた。
 仕事が終ったとき、時計は四時半を差していた。
 カイルのオフィスから映画館まで、車で20分もあれば行ける。
 余裕だとカイルは思うと、思わず力が入り、ガッツポーズをとっていた。
 しかしそうは簡単に事が運ばないかのように、ブーというブザーが電話から鳴った。
 通話ボタンを押せば、秘書からだった。
「お客様がいらっしゃってます」
 カイルは怪訝な顔になり、予定表をもう一度確かめた。
人が尋ねてくるアポはやはり入ってない。
 カイルは秘書に誰かと尋ねる。
「それが名前をおっしゃって下さいませんで、きれいな女性の方ですが」
 ──まさかエレナが先にここへ来てしまったのか。
 心はエレナの事で一杯になっていたため、それしか思い当たる事はなかった。
 浮かれて部屋に通し、入って来た人物を見てカイルの笑みは一瞬で消えた。
 そこには、先日パーティで知り合ったリサがエレガントに立っていた。
 嫌な予感が走る。
「お久しぶりです。お元気ですか」
 リサはこれから始まることが愉快なのか、にこやかに挨拶する。
 カイルはわざと時間を気にして、あてつけに自分の腕時計に目をやってからリサに言った。
「申し訳ないのですが、今日は予定がありましてこれからオフィスを出るところなんです」
「ええ、わかっております。今日は私の家のパーティに来られるんですよね。だから迎えに参りました」
──嘘だろう。そんなはずがない。
 力強く言ってやりたかったが、会社のお得意さまのお嬢様だと思い出し、焦る気持ちを抑えて、丁寧に対応した。
「申し訳ないですが、そのような事は伺っておりません。今急いでおりますので、また後日と言うことでお願いできませんか」
そこへ秘書からの連絡がまた入った。
「一番のラインに社長からお電話です」
社長と言えばカイルの父親である。
 カイルは次々入る出来事にかなり動揺して、受話器を上手くつかめず落としそうになっていた。
「なんですか。今急いでいるんですが」
 父親から聞かされた話に、カイルの顔が強張り、そして咄嗟にリサに目をやり、慌ててそらした。
 リサはシナリオ通りに事が運んで満足すると同時に、心の中ではエレナを嘲笑っていた。
「でも、父さん今日は予定があって、だけど……」
 暗い顔をして電話を切った。
 やはりリサの家でパーティがあるのは本当だった。
 そして必ず出席しないといけない命令まで下ってしまう。
 カイルは納得できないとリサを暗い表情で見つめる。
 もし目の前にリサがいなければ、そんな招待をすっぽかすこともできたが、彼女が目の前にいる以上それができない。
 エレナに何て言えばいいのか、しかもどうやって連絡を取ればいいのだろうか。
 彼女は携帯電話を持っていないため、今更連絡の取りようがない。
 せめて少し遅れて出席すると言うことにすればなんとか、エレナの元に行ける。
 カイルは色々考えていた。

「リサ、パーティには出席します。だけど遅れて後から行きます」
リサはもう愉快だった。
 どんどん自分の思ったようになっていく。
「あら、そうはさせないわ。もしかしたら来ないかもしれないもの。今日のパーティはあなたの仕事の部門の関係者もお呼びしているのよ。それにわざわざ私が迎えに来ているのに、遅れて出席は失礼じゃないのかしら」
 リサはカイルについて、この一週間で色々と調べあげていた。
 どんな仕事をしているのかもわかっている。
 今日孤児院を尋ねたとき、カイルがエレナに電話を掛けた事を知らなければ、急なパーティも開く必要はなかった。
 そんなことも知らずに、カイルはただ困惑し、会社の問題と、私情の間で酷く悩んでいた。
自分の仕事の部門の関係者が来ているのなら、これは無視することができない。
 仕事上の付き合いは、今後のビジネスにも影響してしまう。
 しかし、なぜリサがそれと関係あるのかがわからないでいた。
 時間は刻々と迫っている。
 カイルは苦肉の選択をするしかなかった。
 できることなら避けたいのに、この状態ではそいつの助けがどうしてもいる。
 背に腹はかえられなかった
 それしかこの時考えられる方法はなかった。
「リサ、先に外で待ってて頂けませんか。すぐに行きますので」
リサの勝利だった。
 踵を返し、カイルに背を向けながら、一人、悦に入っていた。
 嵌められたとも知らずに、カイルは必死にエレナと連絡を取ろうと試みる。
 施設に電話で確認をすれば、やはりすでに出た後だった。
 慌てて自分の携帯を取り出して、友達の番号を探し、見つけるとすぐに電話を掛けた。
「頼む出てくれよ、ライアン」
 ライアンとカイルは中学時代からの親友同士だった。
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