第六章
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「ミスターワーナー、3番にお電話です」
カイルのオフィスでスピーカーから流れる秘書の声が響いた。
カイルは仕事の山場に入っており、沢山の書類に目を通してはサインをしていた。
電話を取り、受話器を耳と肩で押えながら仕事を休める事なく3番のラインのボタンを押した。
しかし、電話の向うから届く声を聞くなり、スムーズに動いていた動きが突然止まってしまった。
「エレナ。どうしたんだい。君から電話があるなんて珍しいじゃないか」
「忙しいのにごめんね。どうしてもカイルに話したくなって」
「僕に話があるなんて嬉しいな。一体どうしたんだい?」
エレナは図書館で見たカイルが載っていた雑誌の話をした。
「ああ、あれか。あれは誰でもよかったんだよ。大したことじゃないんだ。数を合わせるために、僕はおまけとして載せられただけさ。あんなこと本当は嫌なのに、父の知り合いがしつこくてさ、断れなかったんだ」
「でもカイルすごいわ。あなたがホットなバチェラーに選ばれるなんて。これであなたのファンも沢山増えるわね。これから沢山の女性が集まってくるわよ」
「そんな事ないよ。それに僕は一人の女性で充分さ」
それはエレナの事を意味していたが、本人は鈍感で気がつかない。
「エレナ、今日そっちへ寄っていいかい。話があるんだ。ほら前に約束しただろ。楽しませてやるって。良い計画を立てたんだ」
「カイル、無理しなくていいよ。仕事忙しいのに」
「大丈夫さ、それじゃ仕事早く終らせていくよ。また後でね」
カイルは時計で時間を確認する。
まだまだ退社するまで先は長かった。
エレナの声を聞いたせいで、すぐにでも飛んで行きたい衝動にかられ、目の前の書類を見つめながら、心の中で葛藤する。
いつもはきっちりと仕事を済ませてから終わるが、この時はいてもたってもいられず、エレナに会いたくなってくる。
自分に関する記事を雑誌で見た事で、電話を掛けてきたことが非常に嬉しく、どこかで期待も膨れ上がる。
今会いに行けば、エレナを驚かすだろうし、雑誌の効果で特別な感情が芽生えるかもしれない。
このチャンスを活かさなければと思った時、カイルは机をバンと叩いて立ち上がった。
「締め切りにはまだ日にちがあるし、明日頑張れば充分間に合う。今エレナに会いに行かずして何になる」
カイルは秘書に電話をし、タイムオフを取る事を伝えると、早々と会社を退社してしまった。
ライアンとカイルが同時に自分に会いに来ているなど知らず、 エレナはこの時、静かに過ごしていた。
オルゴールの『私を探して』のメロディが優しく部屋の中で響く中、十年前の事件の事で何か見落としてないか考えていた。
メロディを聴くうちに、自分の母親の事がイメージされる。
写真でしか見た事がない、母の姿を思い出し、どういう気持ちでこの曲を聴いていたのか考えていた。
「なぜお母さんはこの曲が好きだったんだろう。一体誰がこの曲を作ったのだろう」
エレナはそのオルゴールの中に、図書館で見つけた情報を書いたメモを入れた。
そして、蓋を閉じてトップの青いバラをじっとみた。
「なぜ青いバラなんだろう。バラって言ったら普通赤を想像するのに」
エレナはその彫られた青い薔薇の表面をそっと指で撫ぜていた。
「エレナ! シスターパメラ! ただいま」
静寂な時はその声で終わりを告げられ、突然がやがやとした騒がしさが一階から聞こえてきた。
学校から子供達が戻ってきた。
エレナはすぐに下に下り、子供達を出迎えた。
「お帰り。学校はどうだった?」
「楽しかった」
「まあまあ」
「いつも通り」
それぞれの返事が返ってくる。
これもいつものパターンだった。
「宿題あるんでしょ。先にそれを済ませなさい」
「今日は宿題ないよ」
子供達はエレナと目を合わせなかった。
「ほら、嘘ついてもわかるんだからね」
「宿題させたかったら、捕まえてみな」
エレナに構って欲しくて、子供達は走り回りだした。
これも儀式のようで、毎回同じ事の繰り返しだった。
エレナは、慣れっこになって、一人一人追いかけて遊んでやる。
子供達はキャッキャと声を出して喜び、エレナとの追いかけっこを楽しんでいた。
そんな時に、ドアベルが鳴った。
「エレナ、お客さんだよ。ほら早く行きなよ」
「じゃあ、しっかりとここで宿題しておくのよ」
エレナは念を押してから、玄関へと行きドアを開けた。
そこにライアンが真剣な表情で立っていた事にエレナは驚いた。
「ライアン、どうしたの?」
子供達は誰が来たのか知りたくて そっと奥から覗いていた
「おい、あの人誰だ? 初めて見るよな」
「エレナの友達? まさか恋人?」
「じゃカイルはどうなるんだよ」
子供達はいつもませていたが、エレナの数倍も状況をのみ込むのが早かった。
「エレナ、話がある。どこかで二人だけで話したい」
ライアンは強引にエレナの手を引っ張って外へ連れ出した。
子供達は意外な展開に驚いて、お互いの顔を見合わせていた。
二人から目が離せず、窓際へ駆け込んだ。
「ライアン、どうしたの。一体何があったの」
ライアンはここではまずいとでもいうようにエレナにヘルメットを投げた。
「さあ後ろに乗るんだ」
「ライアンちょっと待ってどこへ行くの」
「ハワードから聞いたんだよ」
エレナの表情は一瞬で強張り、眉根を寄せてライアンを見つめた。
ライアンがバイクに跨ると、静かにその後ろに乗り、ライアンの腰周りに手を回した。
ライアンは自分の事で何かを知ってしまっている。
エレナは緊張してライアンの体にしがみ付いていた。
バイクは住宅街を離れるように静かな場所を求めて走る。
舗装されてない田舎道に差し掛かれば、そこは何もない草原が広がっていた。
ライアンは道をそれ、その草原に入りこんでバイクを止めた。
それを合図に、エレナはバイクから降りて、ヘルメットを脱ぎ、ライアンに突き返した。
ライアンはそれを受け取り、バイクのシートに置くと、エレナと向き合った。
広い空間が広がったその場所は、家がポツポツと離れて建っているのが所々に見え、遠くには山の稜線が浮かび上がっていた。
空にはもこもことした形の雲が、ゆったりと流れている。
空を遮るものもなく、草原もどこまでも広がるのが見渡され、ライアンもエレナもちっぽけな存在としてそこに立っていた。
憂いを帯びたライアンの瞳が、エレナを捉えている。
何かを知って、それを危惧し、さらにエレナに問い質そうとしていた。
いつもと違うライアンの様子にエレナはどう対処していいのか迷っていた。
「ハワードさんから何を聞いたの?」
「エレナ、昨日ハワードのところに来たのは、君が大変な事に巻き込まれているからじゃないのか」
エレナは何も答えなかった。
「エレナ、正直に答えてくれ。君は一体何をしようとしているんだ。非常に危険な事をしようとしているんじゃないのか」
「ライアン、あなたがどれだけの私の情報を得ているのかは知らないわ。ハワードさんがあなたに何を言ったのかも知らない。でもこれはあなたに関係のないことよ」
まるで手出しをして欲しくないとでもいうようにエレナはライアンに忠告した。
「関係ないことだって? 大いに関係あるよ。君が危険な事をしようとしているのを黙って見ているわけにはいかない」
ライアンも引き下がるはずがない。
好きな女性が危ない事に巻き込まれてみすみす何もせずにいられるはずがなかった。
「ライアン、私は大丈夫よ。警察も守ってくれてるの。だから心配しないで。あなたは自分の事だけを考えていて」
ライアンはそのとき自分の高まる感情を押える事はできなかった。
「エレナ、それができないんだ。いつも君の事を考えてしまうんだ。君が好きなんだ!」
叫ぶように告白してしまい、その反動でライアンはエレナを激しく抱きしめてしまった。
守りたい気持ちとエレナを思う強い気持ちが本能のまま体を動かしてしまう。
エレナは突然ライアンの腕に力強く抱きしめられ、頭の中が真っ白になっていた。
この状況が咄嗟に把握できない。
体の動きが封じ込まれたように、身動きが取れず、ライアンにすっぽりと包まれたままになってしまう。
感情が出てしまったライアンも、自分の腕からエレナを離したくないままに抱きしめている。
二人は暫く動かなかった。