第七章


 突然の仕事のキャンセルに、カイルはその午後翻弄され、電話を掛けてそれぞれの担当者と話をするが、誰もがカイルと同じように驚き、明確な理由を知らないと言うばかりだった。
 あまりにも理不尽なことに、まるで嫌がらせをされてるしか思えない。
 会社の看板を背負って、請け負った仕事。
 綿密に計画し、カイル自身、失敗することなど考えられず、自信をもって進めてきた。
 有名な観光地に、新しい風を吹かすごとく、そこに入り込んで、更なる客を呼び込んで地域の活性化にも貢献するほど周りからも期待されていた。
 それがあっさりと崩れるのには、かなりの権力を持った人間が圧力を掛けているしか思いあたらなかった。
 しかも、とてつもなくでかい、常識を超えた汚い裏の世界。
 それ故に、あまりにも大きすぎて、リサを疑っても、疑いきれないでいた。
 出口を塞がれたように、カイルは閉塞感を感じ、これが現実に起こっていることなのか、境目がわからない。
 それほど狼狽し、弱りきっては、くじけそうになっていた。
 時間の感覚も止まってしまい、不意に自分の腕時計を見たとき、リサとの約束の時間が迫っていたことに、はっとした。
 慌てて立ち上がり、背広の上着を掴んで、全ての作業を終わらせられないまま、カイルは会社を後にした。
 カイルがレストランに到着したとき、リサはもう既にテーブルについていた。
 カイルを見つけると、にこっとすましたように微笑むその表情は、美しくとも、どこか機械的で全く親しみなどもてなかった。
 寧ろ、不快極まわりない。
「遅れてすみません。今会社で大変な事がありまして、その対応に戸惑って、すぐにこちらへ伺えませんでした」
 カイルはリサにわざとらしく言った。
 そこには、それを計画した本人なのか問い質したい気持ちが含まれる。
「遅れたことなんて気にしてませんのよ。それよりもお忙しいのに私の誘いを受けて下さってありがとう。来て下さった事の方がとっても嬉しいわ」
 素直に喜ぶリサの姿は、まるで自分に会いたいがために来たと思われているようで、カイルは軽く腹にジャブを食らったような気持ちになった。
 自分には好きな人が居る事をすでに伝えているのに、それすら忘れているようにも思われた。
 その笑顔の裏にどこかリサの自信と余裕を見せ付けられて、カイルはまたリサのペースに乗せられる不安を抱く。
 カイルにはどうしてもリサが苦手だった。
 ウエイターが飲み物を聞きに来たが、カイルは水で良いと言った。
 そしてメニューを渡された。
「ここはシーフードが美味しいんですよ。カイルは何が好きなのかしら」
 リサは何かを知っているんじゃないかと疑ってるだけに、普通に会話してくるリサが、カイルにはもどかしい。
 このままでは我慢するだけで、話は一向に自分の思うように進まないと判断し、単刀直入にカイルは訊いた。
「リサ、今日僕を食事に誘ったのは、何か僕に言いたかったからではないのですか」
 リサはくすっと笑った。
「あら、私があなたを意味もなく誘ったらいけないのかしら。言いたい事と言えば、私はまだあなたを好きでいるってことかしら。それとも何か私が知っているとでも?」
 リサの言い方には、所々引っかかるところがあり、何か裏があるように思えてならない。
 カイルは我慢ならずに言い出した。
「今日僕が担当している仕事が理由もなく中止になりました」
「まあ……」
 リサは感情を出さないような押さえた驚き方をした。
 それがカイルにとって益々怪しく思える。
「カイル、大変な事になったんですね。それでこれからどうされるの? お父様はこの事をもうご存じなのかしら」
「父はもう既に知っています。これからどうなるか僕にもわかりません。できる限りの事はしたいと思っていますが、なにせ中止になった理由がわからないんです」
 カイルは最後の部分を強調した。
 リサの表情を注意深く見ては、腹の底を読み取ろうと試みる。
 リサは同情するような目でカイルを見つめ、残念そうに顔を曇らせ、その表情だけではカイルは何も判断できないでいた。
 疑いながらも、やはり違うかもしれない気持ちが常に付きまとい、カイルは思い悩んで胃が痛くなってきた。
 腹を無意識に押さえてしまった。
「カイル、大丈夫ですの? なんだかお体の具合も悪そう」
「いえ、大丈夫です」
 大丈夫なわけがない。
 とっさにそんな返事しかできない自分がもどかしかった。 
「カイル、私もできるだけお力になりたいわ。私の父に言えば何か良い案があるかもしれなくてよ。私の父は色んな所にコネもあるしお力になれる事があるかもしれないわ」
 カイルはその言葉に反応して眉根を寄せ、単刀直入にリサに訴えた。
「そうか、君の父親は色んな所にコネがあるんだね。そうしたら中止にすることも可能かもしれないね」
「あら、まるで今回の事は私が企てたみたいな言い方ね。それは失礼だわ。私は何も知らなくてよ。でもまあいいわ。今の状態だったら正確な判断もできそうになさそうだから。きっと被害妄想もあるでしょうしね」
 つんとしたお持ちで気分を損ねるも、カイルの失態を大きく受け止めようと、努力する態度も見せた。
 カイルはわからなくなった。
 リサはあまりにも冷静すぎる。
 迷いが生じ、やはり自分の思い過ごしなのかと判断ができない。
「リサ、すまなかった。ちょっと僕は、今どうかしてるんだ」
「いいのよ。誰だって参ってる時は、いろんなことを考えてしまいがちですもの」
 リサの言う通りだった。
 カイルは参っていた。
 あれだけ力を入れてきた大仕事が理由もなく中止され、責任は全て自分にのしかかり、そして父の会社にも大損害を与える事に打ちのめされている。
 注意すべきリサの前であるのに、表情も落胆の色が隠せず、カイルは溜息をついていた。
 リサはそんなカイルの顔を見て気の毒だと心配そうな表情を見せ、あたかも自分の事のように親身になろうとしていた。
 カイルは後ろめたさでリサから目を逸らす。
 そして落ち着かず、無意識で水の入ったグラスを持とうとしたときだった、リサはそっとカイルの手に触れた。
「かなり精神的に参っていらっしゃるみたいね。私もそんな姿を見るのは辛いわ。本当にお力になれるのならなってあげたい」
 普通ならリサのような美人からアプローチを受ければ、コロッといかない男性はいないだろう。
 ましてや力になりたいと手まで握ってきたら、その気持ちに甘えてしまいたいところである。
 しかしカイルは違った。
 リサの手から静かに離れた。
「リサ、ありがとう。お気持ちだけで充分です」
 リサはカイルのそっけない態度が気にいらなかった。
 つい腹いせに恨みっぽく言葉を発した。
「これがエレナだったら、あなたはきっと彼女を抱きしめるんでしょうね」
 リサの口からエレナと聞いてカイルは違和感を感じ、顔を顰めた。
 リサとエレナは病院で一度会って面識があるが、彼女について詳しい事は何も話していない。
 名前ですら──。
 更にリサは意地悪く付け加えた。
「でもエレナはライアンに気があるようね」
 ライアンの話まで出てきて、カイルは更に面食らった。
 あの時一度しか会ってないはずなのに、ライアンの事を知っているような口ぶりに驚きを隠せなかった。
 その様子を見て何か感じたのかリサは付け加えるように言った。
「私が二人の事を知っている事がおかしいかしら、あの時病院で会ったのよ」
 カイルはあの時リサを二人に紹介したが、二人の名前は知らせてない。
 そんな時間もないままに、リサは二人を病室から追い出した。
 それなのに、二人の名前を知っている事がありえなかった。
 なぜだと自問した時、カイルはやっと気がついた。
 リサは、あの時、二人に初対面ではなく、すでにどこかで会って面識があった。
 カイルの息が荒くなった。
 リサはそんな事もお構いなしに、話を続ける。
「エレナはあなたを見舞った後、ライアンと仲良くバイクに乗って帰って行ったのを、私見たの。エレナったらしっかりとライアンを後ろから抱きしめていて、それは仲睦まじかったのよ」
 ──何が言いたいんだ、この女は……
 リサへの不信感が強まるにつれ、カイルの顔は歪んでいき、目だけは鋭く、注意深くリサを見つめていた。
「バイクに乗るんだったら仕方ないことです。それに今関係のない話です」
「ごめんなさい。私ついエレナに嫉妬してしまったわ。でも仕事の話になればあなたは仕事を優先する人ですものね。今はエレナよりも仕事の事で頭が一杯だったわね」
 リサの言葉は一々ひっかかる。
 仕事を優先する──。
 それはエレナとの約束が守れずに、急に入ったリサの家での架空のパーティの話を思い出させた。
 そしてまさかと思ったが、エレナと映画の約束をしていた日、あれは知っていてリサによってわざと企てられた事だったのだろうかと疑念が湧く。
「あの日、パーティがあると、君が僕のオフィスへ来た日、君は僕がエレナと約束があったことをご存じだったんですね。エレナとどこかで面識もあったんですね」
「あら、突然何をおっしゃるのかしら。あの日はエレナと約束があったんですか。それでも私の方を優先して下さったんですね。まあ、それは知らなかったわ」
 確かにリサが企てたことだったが、それでも焦る事なくさらりとかわした。
 すでに肝が据わっていて、今更ばれても、リサにはすでにどうでもよくなっていた。
 今はカイルに復讐することで、自分の恨みを晴らし、どこまでもカイルを追い詰めることしか興味がない。
 自分に歯向かう男は、悲惨な目に遭うことを思い知らせてやりたい。
 そして最後は助けを求めにすがってくる。
 それをリサは望んでいた。
「僕が君の家の招待を優先したのは、君が僕の仕事の関係者が来ると言ったからだ。それがなければ僕は行かなかった。君に騙されて、君の言う仕事を優先したんだよ」
 カイルは怒り口調になってしまった。
 リサは何か他に次の作戦があるかのように落ち着いている。
「そんなこと言われても、私だってあなたに来て欲しかったんですもの。女ってそれくらいの嘘はつきますわ」
 しゃーしゃーと開き直られ、カイルはリサと話しを交わすことに酷く疲れた。
 リサの方が一枚上手だった。
 だが、 もしリサがわざとパーティの事を企んで、エレナとの約束を守れないようにしたなら許せないことだった。
 なぜならそれが原因で、ライアンとエレナが出会ってしまったからだった。
 そして、前日、ライアンはエレナを抱きしめ、カイルはこの上なく取り乱し、エレナとの仲も危うくなっている。
 ──全てはこの女のせいだ。
 沸々と湧き上る怒りに、カイルは身を震わせていた。
「君は一体何を考えている」
 ──全てを正直に吐いたらどうだ。あの時のパーティの話、そして仕事のキャンセルのことも。
 カイルはリサを強く睨んだ。
「カイル、何が言いたいのか私にはわからないんですけど。そろそろ注文をしないこと?お腹すいちゃったわ」
 カイルは我慢の限界で、急に席を立ち上がった。
「すまないが急用を思い出した。これで失礼したい。それに今日は大変な事もあって気持ちも落ち着かない。また後日ということで許して貰いたい」
 必死でそれだけ言うと、カイルは席を後にした。
 リサは一人テーブルに残され、膝の上に置いていたナプキンを力強く握りしめる。
 カイルの侮辱も許せないが、ある程度の事は覚悟していた。
 この日はその様子を探るために食事に呼んだだけで、それが順調に行っていることにまだ満足することがあった。
 しかし、許せないのはカイルの態度よりもエレナの存在だった。
 エレナを窮地に立たせる計画は、なぜかことごとく失敗している。
 しかも、新たに計画を立てても、誰も協力しなくなってしまった。
 カイルには苦しみを与えられても、エレナがのうのうとしていることが許せなかった。
 エレナにはまたそのうち何かを仕掛け、そしてカイルの会社を助けられるには自分しかいない事を知らしめなければならなかった。
 つい思いつめていたとき、ウエイターが心配してテーブルに寄ってきた。
「大丈夫ですか。お連れの方、なんか荒れて出て行きましたけど」
「あら、大丈夫ですのよ」
 リサはにっこりと微笑んだ。
「あなたのような美しい方を置き去りにして出て行ってしまうなんて、なんて非常識な男だ。余程勘違いな野郎だ」
「そうかもしれませんわ。少し相手しただけなのに、もう自分のものになったと思い込んで、そして私が断れば、あのような態度ですからね」
「なんて酷い奴だ」
「私もこれでせいせいしてますの。だけどあなたには申し訳ない事をしましたわ。私も一人で食事できませんもの」
「いいんですよ。あんなことされたら、誰だって一人で食事なんてできません。それよりもあなたの事が心配です」
「まあ、ありがとうございます」
 チヤホヤされて当たり前に思っているリサには、この男の反応は思うところだった。
 リサはエレガントに立ち上がった。
「あなた、お名前はなんておっしゃるの」
「私は、アンドリューです」
「アンドリューね、覚えておくわ」
 アンドリューはのぼせあがり、すでにリサに興味を抱いていた。
 テーブルに置いてあった店の紙ナプキンを取り、そこに急いで自分の電話番号を書き込み、それをリサに渡した。
 リサは戸惑ったフリをして、恥かしげにそれを受け取り、思わせぶりに笑みを浮かべる。
 リサの矜持はそれである程度救われた。
「ありがとう、アンドリュー」
 リサは最後まで勝ち誇ったように、背筋を伸ばして店を出て行く。
 自分は絶対に負けないという思いが漂っていた。
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