第八章


 カイルの仕事が中止になって、一夜明けたオフィスでは、会社全体がその対応にあたふたしていたが、責任者であるカイルだけは余裕の笑みが浮かぶほど、でんと構えていた。
 周りの者は、前日のあの悲壮感を味わっていたカイルとは全く別人のように思えたが、そのカイルの堂々たる態度のお蔭で、皆冷静さを取り戻しつつあった。
 カイルには何の策もなく、まだその原因も突き止められてないが、絶対に諦めない必死の覚悟があった。
 何度もそれぞれの担当者達に連絡を入れ、原因を探るよりも、必ずなんとかするから自分についてきて欲しいと念を押した。
 カイルの信念が人々の心に根付き、それを信じようとする働きが次第に起こっていっては、だれもがカイルの味方となり、それが一枚岩となってこの事態を切り抜こうと心固まっていった。
 その力は何よりもカイルの心強さとなり、さらに益々力が湧き起っていった。
 そんな中で、突然オフィスにリサの父親が現れ、カイルは非常に驚いた。
「グットフィールドさん!」
「カイル、久し振りだね。体の具合はもういいのかね」
「はい、お蔭様で。ご心配して頂いて、ありがとうございます」
「そうかそれならいいんだが、しかしまた大変な事になっとるそうじゃないか。私の耳にも入ってね、近くまで来たから、この業界で何が起こっているのか知りたくて、ワーナー社長に会いに来たんだ。それで担当者の君にもついでにあいさつと思ってやってきたんだが」
「それで、父とはお話されたのですか」
「ああ、不思議な話だとは言ったんだが、もし力になれることがあれば手伝うとも言っておいた」
「そうですか。わざわざご足労頂いた上、お気遣いありがとうございます」
「いや、うちも無視できない話ではあるからね。それに、リサが君が落ち込んでいることを心配していたよ」
「そうですか。もちろん大変な時ではありますが、必ず乗り切れると信じております」
 余裕のある笑みは全くこの事態に慌てていない事を知らしめ、自身溢れるほどの威厳が、ピンと背筋を伸ばしたカイルの体から溢れるその様も、落ち込みなど全く感じさせなかった。
 グッドフィールドは、不思議な面持ちでカイルを見ていた。
「そうか状況は厳しいながらも、君は落ち着いてるみたいだね。それなら少しはリサも安心するだろう。しかしもし君が私の助けが欲しいならいつでも言ってくれ。力になろう。なにせ娘は君に惚れ込んでおるしな。私も協力せずにはいられない」
「そのことでお話したいのですが、僕はある女性と婚約しました。リサのお気持ちは嬉しいのですが、僕にはそのお気持ちを受ける事はできません」
「婚約? そ、そうかい、それはおめでとう。カイルの心を射止めた女性に私の娘は嫉妬してしまうことだろう」
 グッドフィールドの頭上に疑問符が浮かんでるのがみえるくらい、困惑している様子だった。
「わざわざ心配して来て下さってありがとうございました。どうぞリサにも宜しくお伝え下さい」
 口では当たり障りのない挨拶だったが、落ち着き払った表情で語るカイルはどんなことにも負けない気持ちをぶつけていた。
 そして、それがリサがこの事を仕掛け、この父親が肩を持っているかもしれない疑いもあるが、それすら屈指しない態度を見せ付けた。
 リサの父親はカイルのオフィスを後にした。
 きっとすぐにでも、リサに報告をすることだろう。
 カイルはこれが仕組まれた事でも、然るべきに起ったことでも、もうどっちでもよかった。
 多額な損害も、これから必ず取り返す覚悟でもいた。
 自分にはそれが出来る。
 それだけのものを手に入れた。
 急に怖いもの知らずになっては、益々その風格を現していた。

 穏やかな晴れ空が広がるその日、ライアンは依頼もないのにミセスデンバーの家をふらっと訪ねていた。
「よ、ミセスデンバー。用事は何もないかい」
「あら、珍しいね。あんたからここへ来るなんて。今日は何もないよ。でも来てくれると嬉しいもんだね。それじゃ昼飯でも食っていかないかい。いつも一人だしね。一緒に食べてくれると嬉しいよ」
「ああ、喜んで」
 ライアンは、美味しい食事を囲みながら、ミセスデンバーの仕入れた面白い話に耳を傾けた。
 あんなに面倒臭かったミセスデンバーとの係わり合いが、今はとても心地良い。
「ライアン、あんたやっぱりかっこいい男だよ」
「よしてくれ、オレはそんなことねぇよ」
 ライアンはもう見掛けのかっこよさなんでどうでもよかった。
「私はあんたの中身の事を言ったんだよ」
 ライアンは素直に笑みを浮かべて、そうであって欲しいと自分でも願っていた。
「ばあさん、また困ったときがあったらいつでも電話してくれよ。すぐにかけつけてやるから。それから、昼飯うまかったぜ、ありがとうな」
「ライアンも、腹が減ったらいつでもここに来ればいい。待ってるよ」
 ライアンは元気に手を振って、ミセスデンバーの家を後にした。
 腹も膨れ満足し、天気もポカポカとして気持ちよく、ダウンタウンの中でも緑が広がっている公園を歩いていた。
 子供達が無邪気に遊んでいる姿が目に入り、遊びに興奮して騒いだ声も聞こえてきた。
 その側で、親が見守り、鳥のさえずりも混じってのどかな一時のシーンに思えた。
 そんな時、一際大きな声で泣く子供がして、見てみれば派手に地面にこけていた。
 心配して駆けつけたのは、父親だったが、その服装がとてもその場所にあってなかった。
 前に二列に金ボタンがいくつか並んで付いた白い制服のようなデザインに、首に赤いスカーフを巻いていた。
 どうしてもそれはコックに見えた。
「へぇ、仕事の合間に子供たちを見ているのか」
 限られた時間の中で子供たちと触れ合おうとしている父親の姿を見て、ライアンは自分の父親を思い出していた。
 どんなに忙しくとも、誕生日、季節の行事は忘れずに必ずプレゼントを用意していた父親。
 そしてクリスマスの日ですら、仕事だったが、一度だけ早朝にプレゼント持った黒い人影を見たことを思い出した。
 まだ子供だったので、その時はサンタクロースと信じていたが、あれは仕事の合間にやってきた父親だった。
 父親は父親なりに、子供のために愛情を注いでいた。
 思春期のライアンはそこまで考えることができず、いつも自分勝手に反発ばかりしていた。
 それもまた、誰しも必ず通る道であるかのように、素直になれない時期だった。
 寂しさを紛らわすために、ただ強がっていきがっていたあの頃、気がつかなかった昔の父親の姿が、この親子を通じてオーバーラップする。
 ライアンは携帯電話を手に取り、父親に電話を入れた。
 なぜか無性に父親と話したくなった。
 電話が繋がる──。
「親父か……」
「なんだ、ライアンか。忙しいときに何の用だ?」
「あのさ、俺……」
 ライアンは言葉に詰まる。
「なんだ」
 この時のアレックスの声は優しかった。
「俺さ、馬鹿な息子だよな」
「ああ、馬鹿な息子さ。だが私には大切な息子さ。そんなことをわざわざ言うために電話してきたのか」
「いや、そうじゃないんだが、あのさ、親父…… 今度飯でもおごるよ」
「……そっか、楽しみにしてるよ」
「ああ、忙しい時にすまなかったな、それじゃまたな」
 電話を切った後、ライアンは無性に気恥ずかしかったが、少しだけ肩の荷が下りた。
 ライアンは心を入れ替えようと、身の回りの問題に正面から向き合っているところだった。
 一つ一つ片付けていく。
 そこに自分の見つけたい答えがあるように思えた。
 そして、背筋を伸ばして、事務所へと向かった。
 アレックスもまた同じ思いだった。
 少しずつでも心を開こうとする息子の変化は、明確に何も言わなくても、父親にはちゃんと伝わっていた。
 父親は携帯電話を切った後、暫くそれを見つめ、口角を少しだけ上げて微笑んでいた。
 そして再び仕事に忙しく追われるが、その表情は活気に満ちていた。
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