第八章


 カイルがチャーターした小型飛行機で、三人は教会がある場所を目指した。
 エレナを助け出すには、コナー博士の隠した研究資料がどうしてもいる。
 その手掛かりが少しでもある限り、三人は調べずにはいられなかった。
 目的地の空港に降りた後は、レンタカーを借り、すぐに教会へ向かった。
 運転するのはこの辺りの事を知っているライアンだった。
「ライアン、いつまでここに住んでたんだ?」
 ハワードが聞いた。
「ああ、十歳くらいまでだったかな。当時と変わってしまったところもあるようだけど、多少の土地勘はまだ残ってるぜ。だけど、まさかエレナもここに住んでたとは驚いた。もしかしたら、俺、子供の頃知らずに出会ってたんだろうか」
 初めてエレナに会ったとき、見たような気になっただけに、ライアンはその可能性を考える。
 しかし、全く思い出せないのも不思議だった。
 もし、会ってたとしたら、カイルよりも先に出会っていたことになる。
 今更そう思ったところで、それが何になるんだとライアンは虚しくなり、頭を一振りして別の質問をした。
「エレナは一体どの辺に住んでたんだ?」
「昔、僕がどこから来たのか尋ねた事があったけど、その時『海がとってもきれいに見える丘の家』って言っていた。ライアン、この辺りは海がきれいなのか?」
「ああ、きれいさ。ちょっと金持ちが住んでそうな丘の上辺りだと良い景色がいつもみられるぜ」
「ということは、エレナはそういうところに住んでいたということだ。後でエレナが住んでた家も探してみることにしよう。何かがわかるかもしれない」
 ハワードはどんな手掛かりでも無駄にせず、調べるつもりだった。
 夕方に近い時刻になったとき、建物が色濃く見えるようになってきた。
 光が弱くなり、段々と暮れかけてゆく。
 三人が教会についた時は、すでに日が落ちてしまった後だった。
 暗闇をバックにライトアップされたその教会は、白さが浮き上がって美しかった。
 『セイントローズ教会』と名称された看板もライトアップされ、それを尻目に三人は入り口を目指した。
 階段を登り扉を開けて、中を覗き込めば、真正面にあのステンドグラスがすぐに目に飛び込んだ。
 神聖な空気と厳かな静けさが、神々しくもあり、足を踏み入れると別の空間に入った気になる。
 三人が青いバラの部分を近くで見ようと近づいた時、若い神父らしき人が現れた。
「何か御用ですか? 申し訳ございませんが今日はこれでここを閉めるのですが」
「突然、すみません。お伺いしたいことがあるのですが、少しだけお時間いただけませんか?」
 何かがわかるかもしれないこの時、ハワードの好奇心と手掛かりを探そうとする仕事熱心さが疼いていた。
「はい、少しでしたら。それで一体なんでしょうか?」
 ハワードの目はすでに鋭く神父を捉えていた。
「なぜ、このステンドグラスには青いバラがデザインされているのですか」
 三人は神父からの答えを息を飲んで待った。
「青いバラ? さあ、ステンドグラスですから別に意味はないと思いますが。デザイン的に色とりどりにしたんじゃないでしょうかね。この青いバラに何か他に意味でもあるんでしょうか?」
 反対に神父から訊かれて、ライアンとカイルは拍子抜けしてしまった。
「ステンドグラスの他に、青いバラに関係する事はないですか?」
「いや、特別にないですけどね。元々、この教会の名前にはローズがついてるだけに、ただ単にバラを用いただけだと思うんですけど、色には意味がないと思います」
「そうですか、わかりました。どうもありがとうございました」
 ハワードはこれ以上無理だと思い、諦めることにした。
 何かがわかると期待してただけに、ライアンとカイルは落胆してその教会から無言で出てきた。
 ハワードだけは必ず何か意味があるに違いないと信じて、鋭い目付きをしながら辺りを見回している。
 しかし、暗闇の中では目に付くものには限りがあった。
「夜が明けてからまた探すしかない」
 ハワードも、ここまで来ておいて何一つ手掛かりが見つけられないことが悔しそうだった。
「それじゃ、これからどうするんだい?」
 ライアンが訊いた。
「エレナが住んでた家を当たってみよう。カイル、エレナは『海がきれいに見える丘の家』っていってたんだな」
「ああ、海がとても恋しそうだった」
「ライアン、この付近で考えるとそういう場所はどこにあるんだ」
「結構範囲が広い。海が見える辺りは海岸沿いに広がってるから、絞るのが難しいよ」
「だったら、片っ端から探すしかないな。ライアンとにかく、車を出してくれ」
「オッケー」
 三人は再び車に乗り込み、海岸を目指した。
 暗いと海も真っ黒で、きれいに見えるかどうかまではわからなかったが、周りは金持ちが集まるところとあって、確かに大きな家が建ち並んでいる。
「カイル、他にエレナは何か家について特徴を言ってなかったか?」
 ハワードが聞くとカイルは首を横に振った。
 ここから全く手掛かりがなく、また暗礁に乗り上げた。
「空き家を探せばいいんじゃないの?」
 ライアンが言った。
「いや、あれから十年の年月が経ってる。人の手に渡ってる可能性もある」
「じゃあ、どうやって見つけんだよ、ハワード」
「うーん、とにかく、まずは住んでる人に訊くしかないな。コナー博士は少し名の知られた科学者だ。覚えてる人がいるかもしれない」
 三人は聞き込み調査をするように、一軒一軒ドアを叩いた。
 しかし、日が落ちた後の突然の訪問はタイミングが悪く、また金持ちの住む辺りは警戒心も強く、邪険に扱われる。
 それでも根気良く、コナー博士が過去に住んでいなかったか訊きまわったが、誰も知らないと答えるばかりだった。
 何の手掛かりも掴めないまま、苛立ちだけが募っていく。
 こうしている間に、エレナに何かが起こっていると思うと、益々落ち着かなくなっていった。
「闇雲に当たっても、効果はない。やはり夜が明けるのを待つしかないか」
 凄腕のハワードが諦めたところで、ライアンとカイルのやるせなさは倍増した。
 ハワードに手が負えなかったら、どうしようもなかった。
「なあ、腹減らないか?」
 張り詰めていたものが落胆で緩んでしまい、ライアンは情けなく問いかけた。
「そうだな。確かにお腹が空いたよ。何か食べた方がいい。エレナを探すためにも体力つけておかないと」
 カイルも賛同した。
「ライアンもカイルも、何か食べたいものがあるか?」
「俺はなんでもいい」
「僕もだ。ハワードが決めてくれ」
「わかった。できるだけ地元の人が集まる店を選ぼう」
「だったら、いい場所がある。この辺りは金持ちが集まるだけ治安はまだいい方なんだ。そこのダウンタウンエリアにはレストランも多く、人も沢山集まって来るぜ。そこに行けばいいんじゃないか」
「ライアン、そこへ連れてってくれ。カイルもそれでいいな」
「ああ」
 海岸沿いに上品なホテルと店が並び、イルミネーションの光に照らされて、人々で賑わっていた。
 その中の一角に一番派手で目立ったレストランがあった。
 そこはバーもあるため、入り口でIDチェックを行っている。
 三人はそこに決め、少し列に並んでから、店の中に入っていった。
 混み合っているので、テーブルが空くまでバーで過ごすことにし、適当に飲み物を頼んで、その辺で飲んでいる人にコナー博士の事を訊いてみた。
 やはり、誰も知らないと答えが返ってくる。
 ライアンはその度に溜息が出てしまった。
「すぐには見つからないとは思っていたけど、訊く度にノーって言われるのは結構ストレスがかかるもんだな」
 ライアンはぼやいていた。
「それお前の仕事だろ。探偵が何を言ってるんだ」
 カイルがつっこんだ。
「俺は一生この仕事で生きるつもりはないぜ。カイルのように安定した仕事に就くつもりさ。これからまた勉強して資格をとるんだ」
「安定した仕事じゃなくて悪かったな」
 ハワードが口を挟んだ。
「違うよ、ハワードは適任者だろうが。元FBIの癖にわざわざ探偵業なんかするんだから」
「えっ、ハワードは元FBIなのか?」
「カイル知らなかったのか? 俺の親父の後輩にあたるのさ」
「すごい仕事なのに、なんでやめちゃったんだ?」
「それは人それぞれさ。私には合わなかっただけだ。アレックスのように芯が強い男ではなかった」
「俺の親父はまさに鬼だな。死に掛けた妻が居ても仕事を取ったから」
「ライアン、それはそれで辛かったと思うぞ。アレックスを責めてやるな。男は好きな女が居ても、それを放って心を鬼にして頑張らねばならない時があるのさ」
「ハワードの口からそういうことを聞くとは思わなかった」
 ライアンはカイルと顔を見合わせた。
 その時、新しく男達が話をしながらバーに入ってきて、三人の側を通っていった。
「あの変な大きな家だろ。家なのか博物館なのかわからないような感じの」
「そうそう、あの趣味の悪い家。その先を行ったところに、鯨が見えるポイントがあってな、見たんだよ鯨」
 ハワードの目が鋭く光った。
 その男を追いかけ、話しかけた。
「失礼だが、そこはどこにあるんだ」
「おっ、あんたも鯨に興味があるのか」
 いきなり声を掛けられ、男はびっくりしたが、丁寧に場所を教えてやった。
 ハワードはお礼をいい、口元を綻ばせていた。
「ライアン、カイル、行くぞ」
「えっ、鯨見に行くのか? こんな夜に見えるわけないじゃないか」
「ライアン、頭を働かせるんだ。どんな事も疑問も持ったら見逃すな」
「あっ、趣味の悪い家……」
 カイルが呟いた。
「ダニエル・コナー博士は科学者だ。家に研究所を作っていてもおかしくない。それが他の奴からみたら博物館であったり、趣味悪く思うかもしれない」
「わかった。すぐ行こう」
 バーを後にして、ライアンは車を走らせた。
 夜とは言え、今夜は月が出ていて、魅惑の光に照らされていた。
 バーの男から聞いた話を頼りに来てみれば、確かに丘の上に、その奇妙な家は建っていた。
 住宅街から少し離れているので、余計に独立していて、住居には見えない。
 モダンアートと言う感じの白いコンクリート仕立の壁。
 丸いおしゃれな窓がついて、見るものの目を惹く。
 そこに丸みを帯びたドームのような屋根がついていたので、住宅らしからぬ風貌だった。
 博物館といえば、そう見えなくもない。
 三人は車から降りてその家を見上げた。
 十年間空き家だったとしても、どこか手入れがされて荒れてはいなかった。
 しかし、家の中は明りがなく、人が居る気配も感じられなかった。
 三人は中の様子を見ようと、敷地内に忍び込む。
 窓からそっと覗き込めば、中は暗かったが月明かりが家具や生活用品を照らして、目を凝らせば目に付くものがあった。
 全くの空き家ではなく、物がある以上、人が住んでいるような雰囲気がする。
「誰かここで生活してるんだろうか」
 ライアンが訊いた。
「良く見れば少し時代遅れのものがある。ここは昔のまま保存されているようにも見える」
 ハワードが言った。
「覗いていても仕方がない。とにかく中に入って調べよう」
「簡単に言ってくれるけどさ、どうやって中に入るんだよ、カイル。不法侵入じゃないか。それにここがコナー博士の家だと決まったわけじゃないぜ」
「ハワードがなんとかしてくれるだろ。それに中に入らなければ、何も調べられない」
「まあ、忍び込めない事もないが、もし警察が来たら、ライアン、アレックスに便宜を図ってくれるように頼んでくれ」
「まじかよ……」
 ハワードは玄関に手をかけた。
 鍵がかかっていたが何やらポケットから七つ道具のようなツールを取出して、ドアの鍵を器用にこじ開けた。
 ライアンもカイルも顔を見合わして、ハワードがなぜ凄腕かがわかったような気がした。
「ハワード、これじゃ俺達コソドロと変わらねぇな」
「ライアンそんな事を言ってる暇はない。中を調べるんだ。何か手掛かりがあるかもしれん」
 三人は中に入ると、それぞれの方向へ忍び足で進んだ。
 カイルは研究所のような場所へ、ライアンは奥のベッドルームへ、ハワードは居間などを調べていた。
 ライアンがベッドルームのドアを一つ一つ開け部屋を見ていた。
 そして一番奥の部屋のドアをそろりと開けたとき、ベッドに誰かが寝てるシルエットを月明かりの中で見た。
 人が居たことに驚いたが、どうも部屋の感じからしてベッドに寝ているのは女の子だと思った。
 まさかと思いベッドに近づくと、それはエレナだったから、ライアンは息が止まるほど心臓が高鳴った。
 震える手でエレナの頬に触れ、その温か味でエレナが生きていることを確認してほっとした。
「エレナ……」
 ライアンの諦めて押さえ込んだ思いが、名前を呼ぶことで漏れていた。
 どうしようもないエレナを思う気持ちは、この時溢れ出てしまい、エレナを抱きしめたくてたまらない。
 それをぐっと堪え、月明かりに照らされたエレナの寝顔を寂しげな目で見つめていた。
 冷たい月の光に照らされたエレナはとても美しく、儚い夢のように幻にさえ思えてしまう。
 早くカイルに知らせなければならないのに、ライアンはすぐには動けなかった。
「ん…… うん」
 エレナの喉の奥から漏れる、苦しそうな声が聞こえたと同時に、エレナが目を覚ました。
 ライアンは息を飲んだ。
「エレナ、大丈夫かい」
 声のする方向にエレナが首を向けると、ライアンの顔が突然目に飛び込んできて、感電したようにはっとした。
「ライアン、なぜここに?」
 起き上がろうとしたが、体の痛みが激しくて思うように動けない。
 苦痛を帯びた呻き声を出しては、エレナは顔を歪めていた。
「痛いのか」
 ライアンが聞くとエレナは素直に頷いた。
「ライアンは大丈夫なの?」
「ああ、オレのことは心配いらない。あの時君を助けられなくて本当にごめん」
「いいのよ、私は大丈夫よ」
「痛いくせに、嘘つけ」
 ライアンがそういうとエレナの心が和んで、苦しい中でもつい笑ってしまった。
 折角鍵をかけてしまいこんだ思いが、ライアンを見ることで再び活発に動き出している。
 しかし、エレナはそれを無理にでも押さえ込む。
 ライアンも、諦めたはずなのに、エレナを前にすると、どうしても目が逸らせない。
 お互い引かれ合うことを恐れるように、二人は泣きたくなる思いを抱いて見詰め合っていた。
 ライアンはエレナに触れようと手を伸ばしてしまい、エレナもまた、それを掴もうと手が無意識に動いてしまう。
 月明かりの下では、魔法に掛かったように魔力が二人の心を惑わしてしまった。
 その時、カイルとハワードが部屋に入ってきたことで、その魔法はすぐにとけてしまった。
「ライアン、ここで何してるんだ? あっ!」
 カイルはエレナがベッドに寝ているのを見て冷静さを失った。
「エレナ! ほんとにエレナなのか」
 慌ててカイルがエレナの元へ近づくと、ライアンは咄嗟に後ろへ下がった。
 カイルはすぐに知らせてくれなかったライアンを横目に見ては、また心にわだかまりを持ってしまった。
「なんですぐに知らせないんだよ、ライアン」
「カイル…… 私、今、目が覚めたところなの。ライアンは私がここに寝ていてびっくりしたんだと思う…… だけどなぜここが…… わかったの?」
 まるでライアンを庇うかのようだった。
 しかし、無理に喋ったせいで、エレナの声に苦痛が伴っていた。
「エレナ、怪我をしてるんじゃないのか」
「だ、大丈夫よ。心配しないで。寝ていたら治るから」
「走行中の車から落ちたんだろ。無傷な訳がない。すぐに病院に行った方がいい」
 カイルがエレナを抱きかかえれば、エレナは体の痛みに耐えられず、呻き声を出していた。
 カイルもライアンも、エレナが苦しんでいる姿を見て胸を痛めてしまう。
「少しの辛抱だ、エレナ」
 カイルがドアに向かおうとすると、ハワードが咄嗟に前に立って、カイルを止めた。
「ハワード、なぜ邪魔をするんだよ」
 カイルはハワードを体で押しのけ、ドア口に進もうとする。
「待てカイル、動くんじゃない」
 その時、ドアに人影が現れ、カイルに緊張が走った。
 月明かりに鈍く光っている黒いものが目に入ると、それを見て息を飲んだ。
 銃口がカイルに向けられていた──。
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