第九章
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海岸沿いに近い場所に、トールマンの家があった。
晴れやかではあるが、太陽の日差しが強くなると、少し汗ばんでくる。
そこはすでに初夏を思わせるように青空が広がり、光の強さで眩しくコントラストに映えた鮮明さがあった。
エレナが住んでいる雨の多い土地とは正反対に、からりとしていて何もかもクリアーに見える程だった。
その中で、知った母の事。
エレナは父の研究資料を探していて、まさか自分の母の事に行き当たるとは思いもよらなかった。
しかも、自分の知らない男性がでてきて、恋人だったかもしれないとなると、穏やかではいられない。
父親がメッセージを残している以上、エレナは追求しなければならないと、踏ん張っては体の痛みに耐え、エレナはその家のドアをノックした。
暫くしてドアが開くと、中から白髪の老人が出てきた。
その風貌は少しふくよかで、長い顎鬚があるため、サンタクロースを連想させる。
そして、エレナを見るなり息を飲んで大きく目を見開いていた。
「マ、マリー」
やはりここでも母の名前がでて来る。
母を知っている人が自分を見てそう呼ぶ度に、自分が母親にそっくりだということは疑いようのない事実だと、エレナは認めた。
「トールマンさんですか」
「そうじゃが、君は一体……」
「マリーは私の母です。私はエレナと申します」
「エレナ…… マリーに娘がいたのか。おお!」
トールマンはマリーに子供が居たことは全く知らなかった様子で、この上なく驚いた。
エレナを穴が開くほど見ている。
「なんと、いうことだ。本当にそっくりだ」
「トールマンさん、突然すみません。どうしてもお伺いしたいことがあるんです」
「ああ、ここではなんだ、とにかく中に入りなさい。その後ろの方達も友達かね。一緒に入るがいい」
全員が中に入ると、広い居間が目の前に広がった。
「遠慮なくくつろいでくれ」
トールマンのその言葉で、皆それぞれそこにあった椅子やソファーに座った。
トールマンはお茶の用意をしようと奥に引っ込もうとしたが、エレナがそれを遠慮し、とにかく話がしたいと催促した。
トールマンがエレナを見れば、ずっと驚いたままの表情で、何度も感嘆が混じった息遣いが絶えず漏れていた。
「いや、本当に良く似ている。マリーが現れたのかと思ったよ。ところでマリーは元気にしておるか?」
「母は私を産んですぐに亡くなりました」
「えっ? 亡くなった? そんな……」
トールマンはショックだというように手で口を覆った。
「トールマンさん、デイビッドと言う方をよくご存じだと聞いたんですが、その方について教えて頂けませんか」
「ああ、デイビッド……」
トールマンは悲しげな声を発し、そして目を閉じた。
何から話せばよいのか、頭の中で整理をしているようだった。
皆、辛抱強く、トールマンが話すのを待っていた。
「デイビッドは作曲家を目指していたよ。私がまだ神父として教会に居た頃、時々結婚式の演奏を頼んだ事があった。デイビッドはお人よしの、優しい奴でね、
あまり自分の事に構わないところがあったけど、音楽の才能だけはすごかった。私はあまり音楽に詳しくはないが、デイビッドの演奏を聞けば心動かされるもの
を感じたくらいだった」
トールマンは久しぶりにデイビッドの事を思い出したのか、感慨深く一人悦に入っていた。
エレナはもどかしいとばかりに、デイビッドと母親の事を知りたくて単刀直入に聞いた。
「私の母、マリーとデイビッドはどういう関係だったんですか」
エレナの質問はライアン、カイル、ハワードを緊張させた。
トールマンだけは、二人の姿を思い出し、目を閉じては口元を綻ばして微笑んでいる。
そしてその口が開いたとき、エレナは息を飲んだ。
「恋人同士だったよ」
「えっ」
エレナだけじゃなく、オーディエンスとして聞いていた三人も、固唾を飲んだ。
「デイビッドが母の恋人だった……」
「ああ、それはとても仲のいい二人だった。女性に奥手なデイビッドが珍しくマリーには一生懸命になっていてね、マリーはそのデイビッドの素朴さと誠実さ、
そして音楽の才能に魅力を感じて二人は恋に落ちたんだ。どちらも初々しかった。あの頃は私も二人が一緒にいるところを見るのが好きだった。お似合いのカッ
プルだったよ」
トールマンは二人の事を話すのが嬉しいのに、瞳はどこか物悲しく、唇が微かに震えていた。
「それで、そのデイビッドは今どこにいるんですか」
トールマンの表情は突然固くなった。
忘れていた悲しみがこみあげてくるかのように口を開いた。
「亡くなったよ、飛行機事故で」
「えっ」
エレナは次々と聞く話についていけなくなった。
心臓が高鳴るのと同時に体の痛さも加わり、衝撃が半端ではなかった。
「念願の作曲の仕事の話が入って、打ち合わせをしに乗った飛行機が、突然事故にあってしまった。とても不幸な事故だった。あれ以来マリーも教会に来なく
なってしまってね、全く見掛けることはなかった。しかし、その後マリーも結婚していたんだね。君のお父さんは一体誰なんだ」
この話を聞いて、一同なるほどと少し先が見えて安心した。
エレナもほっとしたのか表情が少し和らいだ。
「私の父はダニエル・コナーと言います。何か父の事もご存じですか」
「えっ、ダニエルだって? 彼もマリーとデイビッドの友達だったので私も知っているがダニエルがマリーと結婚? まさか」
エレナはなぜトールマンが驚くのかわからなかった。
「どういうことですか」
「ダニエルはマリーとは結婚していない。彼は独身なはずだ。それは本人から直接聞いた。マリーの事は愛していたがデイビッドが居なくなっても、ずっと振り向いて貰えなかったと言っていた」
エレナは再び訳がわからなくなった。
ハワードはその話を黙って聞いていたが、職業柄、大人しくしていることはできなかった。
混乱を招いているエレナを助けようと口を挟んだ。
「トールマンさん、ダニエルはいつそれをあなたに話したのでしょうか」
「あれは十年くらい前だった。突然ここへ訪ねて来たんだよ。そう言えばデイビッドの遺品を何か持ってないかと聞かれた。持ってたことは持ってたが、デイ
ビッドが作った曲の楽譜だった。『私を探して』という題でな、マリーも好きな曲だった。それを譲って欲しいと言われたんだが、私にもデイビッドの大切な思
い出だったんで渡せなかった。そこでコピーをしてやった」
「楽譜? ダニエルはそれをどうしようとしたかご存じですか」
ハワードはキーワードがそろってきて目を光らせた。
「私も何をするつもりか聞いたら、暫く考えてこの曲でオルゴールを作ってみるとか言っていた」
聞いていた全員が、あのエレナのオルゴールを思い出していた。
そしてエレナはオルゴールの青いバラの事が気になった。
「トールマンさん、教会の青いバラのステンドグラスには何か意味があるのですか」
「ああ、あの青いバラのアイデアはデイビッドが提案してくれたんだよ。教会を一部修復するときにセイントローズ教会と言う名前だけあって、バラをデザイン
したステンドグラスはどうだって、そして色は青がいいと言ったんだ。なぜ青がいいかと聞いたら、青いバラは不可能という意味があるがここで愛を誓うもの
は、愛が壊れることは不可能。すなわち永遠の愛という意味になるといった。私はなるほどと思ってついそのアイデアを採用してしまった。これを知る人はデイ
ビッドと私だけだが、デイビッドはきっと身近な人には言っておるだろうな」
聞けば聞くほど、あのオルゴールは父がなんのために作って、なぜ大切に持っておけとエレナに渡したのか、理由がわからなくなった。
ハワードは推理を働かせ、そして質問した。
「ダニエルは他にトールマンさんに何かいいませんでしたか」
「そういえば、一つおかしな事を言ってたな。『私は罪を犯した。大切なものをデイビッドから奪ってしまった。しかし自分にも大切なもの過ぎて今はもう手放
せないが、いつかデイビッドに返してあげなくてはならない日が来る』とかなんとか。私にはなんの事かわからなかったけども」
ハワードははっとして、エレナの顔を見つめた。
それはエレナにはショッキング過ぎることだったが、ハワードは真実を伝える。
「それはすなわち君の事だ。デイビッドから君を奪ったということはダニエルが君の父になりすましたということ。そしてデイビッドが君の本当のお父さんだ。ダニエルは君にそれを伝えないといけないと思ったんだろう」
エレナはまだ信じられない。
トールマンは突然席を立ち上がり、奥の部屋からアルバムを取出してきた。
ページを開いて、それをエレナに見せた。
そこには自分にそっくりな女性と、その隣で見知らぬ男性が笑っている写真があった。
トールマンは優しくエレナに言った。
「マリーとデイビッドだ」
エレナはデイビッドの顔をじっと見つめていた。
写真の中のデイビッドの髪は少し寝癖があるのかボサボサだったが、優しそうな目をして少し恥ずかしそうに笑っていた。
自分にそっくりなマリーはデイビッドの肩を抱きしめて、頬と頬を寄り添っていた。
写真の中の二人は幸せそうだった。
「この人が私の…… まさか」
エレナは信じていいのか、それが嘘なのか、まだ判断しかねなかった。
トールマンは優しい瞳をエレナに向けて話し出した。
「デイビッドは仕事から帰ってきたらマリーと結婚する予定だった。あの飛行機事故がなければデイビッドはマリーと結婚していたんだ。私が二人の結婚式をあ
の教会で挙げてあげる予定だったんだ。二人は本当に愛し合っていたんだよ。あの時マリーのお腹にはもうすでに君がいたみたいだね」
エレナは、自分の母とデイビッドが写ってる写真を見ながら、涙をこぼした。
トールマンさんはその写真をアルバムから取り出し、そしてそれと一緒に大きめの封筒をエレナに渡した。
「これは君がもっておくべきだ」
その封筒の中には、デイビッドが作曲した手書きの楽譜が入っていた。
エレナはそれを抱きしめて泣いた。
カイルはエレナの側に寄り、優しく肩を抱いてやった。
「トールマンさん、デイビッドの…… 父のお墓はあるんでしょうか」
エレナは聞いた。
「あの飛行機事故で遺体は見つからなかったんだが、デイビッドの荷物が見つかって、遺品としてそれが埋められておるんじゃなかったかな。私はデイビッドの遺体が見つからなかったのでどこかで生きているんじゃないかと思えて、一度も行ったことはないが」
トールマンさんは場所を教えた。
その場所はエレナも知っている場所だった。
「母と同じ墓地だわ」
エレナはトールマンにお礼を言った。
トールマンはデイビッドとマリーを懐かしむようにエレナを抱きしめた。
エレナは精神も体も、すでにボロボロの状態だった。
体は痛いはずなのに感覚が麻痺をして、頭もぼーっとしてきた。
それでも、必死に耐えている。
トールマンの家を出た後は、エレナが何も言わなくてもライアンは墓地まで車を走らせた。
その墓地に見覚えがあるエレナは、最後に父と来た時の事を思い出していた。
まだ幼くてよく理解していなかったが、あの時、花を母の墓地ともう一つ隣の墓に飾った事を思い出した。
エレナは母の隣の墓を見た。
そこにはデイビッドの名前と一緒に青いバラも刻まれていた。
母の墓石にも同じように青いバラが刻まれていることに、改めて気が付いた。
エレナはじっとそこに立っていたが、すとんと穴の中に落ちたようにふっと意識が遠のいて倒れてしまった。