Brilliant Emerald

第一章

3 

 放課後になると、より一層、帰宅前の女子生徒たちが押し寄せるようにやってきて、戸口でひしめきあっていた。
 一目見ようと次々に集まってこられると整理券が必要になるかもしれない。
 だが、そんな心配はユキには知ったことではないので、好きにやってくれという気分だった。
 クラスの男子たちも半ば呆れているように見えたので、少しだけ溜飲が下がった。
 すっかりこの雰囲気に慣れたキースだけが、愛想よく微笑んで手を振ってそれに答える。
 相手されて嬉しい女子生徒たちは一同に「キャー」と声を上げ歓喜していた。
 ユキは顔を引きつらせ不快な感情が露に出ると、この場から早く立ち去りたくてたまらなかった。
「さてと、あなたたちちゃんと家まで帰れるよね? それじゃあまた明日ね」
 これで二人からもクラスからもやっと開放される。
 この後は面倒見たい人が見ればいい。おあつらえ向きの人たちはあそこにいっぱいいるのだから。
 そう思って椅子から立ち上がったときだった。
 突然キースに腕を引っ張られ、自由が奪われた。
「マッテ ユキ、イッショニ カエロウ。 トイラ、 オマエモ カエルゾ」
 キースに言われ、トイラものそっと立ちあがる。
「えっ、ちょ、ちょっと待って。なんで私が」
 ユキが動揺するのもお構いなく、ふたりはユキから離れようとはしなかった。
 キースはにこやかに、トイラは不機嫌に、ぴたりとユキに寄り添う。
 こうなると仕方がない。とりあえずユキは女生徒たちの集まりをかき分けて教室を出ると、ふたりも同じようにしてユキの後を追ってきた。
 廊下を歩きながらキースがまた愛想よく女生徒たちに振舞うので、女生徒たちは惹き付けられるようにぞろぞろと後をついてきた。
 昇降口で靴を履き替え、外に出ても団子状に女子たちがキースの後にいる。
 どこまで着いてくるのだろう。怪訝に思ったユキの思いが通じたのか、学校の門を出たとたんキースが女生徒たちに「バイバイ、マタ アシタ」と手を振って別れの挨拶をしていた。
 女生徒たちは、名残惜しそうにしながらその場に留まって手を振り、いつまでもキースを見送った。
 誰もついてくる気配がなくなったので、ユキは一応ほっとするが、しばらく歩いても今度はトイラとキースが自分から全く離れない。
 角を曲がってもぴったりとついてくる。
 賑やかな町並みの住宅街を抜け、さらにテクテク歩くと人気のない静かな田んぼ道に差し掛かる。この先は田畑が多くて民家が少ない。
 夕方に近づくにつれ、寒さがぶり返す花冷えを感じながら、静かに三人で歩いているときだった。
 流暢な日本語が聞こえてきた。
「あー疲れた。日本語話せないフリするのも神経使うもんだな」
「えっ、フリ?」
 咄嗟にユキが振り返ると、キースが左右に頭を振り、コキコキと首をならして肩をほぐしている。
「やっとこれで自由になったよ。と、言うわけで、ユキ、改めてよろしくね」
 ウインクをしてキースは悪びれることなく愛想を振りまいた。
 そこには言葉の壁など全くなく、日本語が違和感なく飛び出している。
「ちょっと待ってよ。えっ? 日本語話せるの?」 
「まあね、僕達は言葉には困らないってことさ、なあトイラ」
 キースに話を振られたが、前かがみみの猫背丸出しで歩いているトイラはまだ仏頂面で黙ったままだった。
「ということは、トイラもフリをしているってこと?」
 半信半疑でユキが質問した。
「そっ、そういうこと」
 キースがトイラの変わりに答えてやった。

「どうして、そんなことする必要があるの? 話せるんだったら普通にすればいいじゃない」
「だから、こっちにも訳があるってこと。それにみんなだって僕達が日本語ペラペラだって思ったらつまんないだろう。ちょっとした演出さ」
「演出?」
 馬鹿みたいな答えにユキは呆れかえった。
 そのせいで自分に問題が降りかかり、こっちは迷惑しているというのに、あまりにも納得いかない。
 一体何がしたいのだろう。疑問が湧くと同時に怒りまでこみ上げ、ユキはこのふたりと一緒にいるのが嫌になってしまった。
「そう、わかったわ。演出するなり、好きにすればいい。私も聞かなかったことにするから、だからこれ以上付きまとわないで。どうせ私がいなくても何も問題ないんでしょ。それじゃ私の家こっちなの。ここでお別れだから」
 踵を返して早足で先を急いだとたん、後ろにいたはずのキースがユキよりも素早く機敏に動いて前を立ちふさがった。
 咄嗟のキースの行動にユキは怯む。
 キースは逃がさないように詰め寄り、にたっと微笑んだ。
「そう慌てることないじゃないか。僕達同じ方向なんだから。しかも同じ場所に行くのに、一人だけさっさと帰ることないだろ」
 顔は笑ってるが、何かを企んでいるようでどこか不気味にも思えた。
「一体、どこに住むつもりなの?」
 ユキが聞けば答えが後ろからボソッと返ってきた。
「ユキの家」
 トイラだった。
 ユキは一瞬「ん?」となるも、トイラを振り返れば、この時ばかりはしっかりとユキを見つめて訴えている。
「俺たちはユキと一緒に住むんだ」
「嘘っ!? んもう、冗談はよしてよ」
 ユキには何が起こってるかわからず、軽く受け流そうと試みた。
「冗談なんかじゃない」
 トイラの緑の目は冷静だった。
「でも、私、そんなの知らないよ」
「あれ、博士から聞いてないの。僕たちユキの家でお世話になるって」
 キースはクスクスと笑っていた。
 博士と言えば、ユキの父親だ。国際的な生物学者なのでそう呼ばれている。
 ユキが海外で過ごしたのもこの父親が海外の大学で働いていたからだった。
「そんなの聞いてません!」
 突然のことに驚きすぎて、ユキは毛穴が開ききったように全身がぞわぞわとした。
 突然降って湧いた二人の転校生が自分と一緒に同じ屋根の下で暮らす。
 あまりにも動揺し、ユキはふたりを交互に見つめ、どうしようとうろたえる。
「ありえない!」
 思わず嘆きの声が漏れたとき、トイラが悲しそうな瞳を向けてユキに言った。
「ユキ、俺達のこと……信じられないか?」
 ボソッと呟く声に混じるやるせなさが、ユキにはもの悲しく思えた。
 トイラの緑の目がまたユキをはっとさせた。どうしてもこの目がユキを捉えてならない。
 でもその目にユキは冷たく睨まれてもいる。
 惹き付けられるのに、引き寄せようとしない不思議な目。
 でも今はトイラの目に構ってられなかった。
「信じる信じないの問題じゃなくて、なんで話がそうなってるのかが分からないのよ。あんた達どうして日本に来たわけ? 一体何の目的でこんなど田舎にいるのよ?」
「それは……今は言えない」
 トイラがユキから視線を逸らした。
「ちょっとなんで『今は言えない』のよ。だったらいつ説明してくれるの?」
 ユキがトイラに問い質すも、トイラは俯いてただ悔しそうに唇を噛んでいる。なんだか訊いてはいけない雰囲気が漂い、ユキは戸惑った。
「まあ、僕としてはすぐに説明したいんだけど、ユキが僕たちをまだ受け入れてないからさ」
 キースがトイラを庇うように横から言った。
 キースもまた、どうしようもないと首を竦めて苦笑いしている。
 ふたりがユキの様子を窺いながら黙り込むと、その雰囲気が自分を責めているようでユキは気まずさを感じてしまう。自分はある意味被害者だというのに。
 耐えられなくなってこの場を凌ごうとした。
「とにかく、父に訊けばわかるんでしょ。父に訊くからいいわよ」
 ユキは歩き出すが、ふたりはその場に留まったままだった。
「ちょっと何もたもたしてるのよ。家はこっちよ」
 父が関係しているとわかると、ユキはふたりを放っておけなくなった。
 ユキに言われて、のそのそとふたりは歩き出した。
 ふたりがついてくるのを確かめると、ユキは家路を急ぐ。早く帰って父親をとっちめるつもりでいた。
「なんとか上手くいきそうだな」
 キースが呟くと、トイラはぶっきらぼうに「ああ」とだけ返していた。
「相変わらず横柄な態度だな。ここはとりあえず喜んでもいいんじゃないか?」
「キースはねちねちとうるさいんだよ。放っておいてくれ」
「はいはい。仰せのままに」
 キースは多少なりともイラついた。しかし、トイラの横暴な態度は今に始まったことじゃなかった。我慢してキースは軽くあしらうも、前を歩くユキを見つめるトイラの瞳があまりにも悲しくて、怒る気持ちも消え失せた。
 トイラが素直に喜べない気持ち。
 そんなの分かりきったことだった。キースは自分の言った事を今頃になって後悔していた。 
 
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