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「うーん? ここはどこだ」
トイラはケージの中で目を覚ました。
頭をあげ隣の狼のキースと目が合えば、キースは無表情のままかしこまって座っていた。
「キース、俺たちなんでこんな狭いケージに入ってるんだ」
「なんだか、僕たち、動物実験でもされそうだな」
キースが周りを見ろと、首を振って指図した。
薄暗い部屋だがぼやっと色々なものが見えてくる。
そこは動物病院の診察室でもあり、学校の理科の実験室にも見えた。
棚や壁には、鹿や狐、熊といったいろんな動物の剥製が飾られ、ホルマリン漬けの何 かのパーツが瓶にいれられたものもずらっと並んでいる。
ワシントン条約で禁止されているようなトラや海がめ、ホッキョクグマの剥製まである。
解剖もお手の物というように、手術台と照明までその部屋には用意されていた。
「なんだ、ここは。ホラー映画のセットか」
トイラは突然身震する。
「大変なことになったよ。僕たち、きっと解剖されるんだよ」
「脅すなよキース」
「これが脅しだと思うか。あそこにある箱から、動物の死骸の匂いがするんだ」
淡々と棒読みするようにキースは語る。
感情が込められてないのに恐怖心がヒシヒシと現れていた。
キースが示した方向には大きな白い四角い箱のようなもの があった。
冷凍庫だった。
その中に、実験で使われた動物が入っていると示唆した。
「どうすればいいんだよ」
トイラはケージの中で暴れた。
「止めろ、トイラ、無駄だ。ちょっとやそっと暴れたぐらいでは壊れないよ。鍵もつけられてるし、人の姿になって開けようと思っても、鍵がないとどうするこ ともできない」
キースらしくない諦めた口調だった。
「じゃあ、このまま、されるがままに、なるしかないのか」
トイラはケージを噛むが、さすがに鉄は牙では噛み砕けなかった。
絶対絶命の状態に、二人はお手上げだった。
ドアが開き、光がもれて黒い人影がコツコツと靴音を立てて近づいて来た。
トイラとキースは息を飲む。
ぱっと明かりが部屋全体につくと、田島亮一が怪しく眼鏡を光らせて二人を見下ろした。
「黒豹君、やっとお目覚めですか」
「ここから出せ! 俺たちをどうする気だ」
トイラは牙をむき出しにして威嚇した。
「そうだな、どうすれば一番楽しいだろう」
田島亮一はペロリと唇を舐めていた。
まるで料理の仕方を考えているようだった。
突然ひらめいたようにめがねが不気味に光りを帯びた。
ごそごそと器具を触り始め、何かを準備する。
手術で使う――見るからに解剖セットというようなものが、カチャカチャとぞっとするような音を立ててトレイに並べられた。
そして田島の手にはゴム手袋がはめられ、わざとらしく引っ張ってパチッと音を立てた。
キースもトイラもそれをみてぞっと身震いする。
これから解剖始めます──。
まさにその準備だった。
注射器を手にとり、ちらりとトイラとキースを見て田島は気味悪い含み笑いを浮かべる。
「フフフフ、さて、どっちから体の中をみせてもらおうか」
「おい、まじだよ。こいつ。本当に俺たちを解剖する気だ。いかれたマッド獣医だぜ」
トイラは焦り出した。
注射を打たれたらもう一環の終わりだった。
「安心しろ、中を見るだけだ。まだ殺しはしない。これからゆっくり君達の体の作りを調べさせてもらうよ。まずは、生意気な黒豹君から行きましょうか」
注射器がケージの中に迫ってくる。
トイラは人の姿になった。
そして手で田島の注射を持つ手をはたいて追い払う。
田島は益々興奮していた。
「なるほど、人間の姿で解剖も楽しいかも。今まで動物でしかやったことなかったから、これもいいな」
トイラの背筋が一瞬にして凍りつきぞっとした。
狭いケージの中ではどうあがいても逃げられない。
再び注射器が迫ってきたときだった。
家の中でドアベルの音が響き渡った。
「あれ、誰か来たようだ。折角の楽しいときを」
邪魔をされ残念な顔で、田島は部屋から出て行った。
トイラとキースは助かったとばかり、胸をなでおろした。
しかし一時しのぎにか過ぎないこの状況では、ぬか喜びと同じだった。
日暮れと共に闇が迫る。
暗い森林の中では魔物が潜んでいる不気味さがあった。
田島の牙城がますます妖しく見えてくる。
「こんな山奥に大きな家というのか、建物があるもんだ。趣味悪そうだが、金持ちだな」
柴山が呟いた。
「感心している場合じゃないでしょ。今言った通りよ、動物実験センターはこの建物の裏手の部屋よ。そこにトイラ達が居るはず。早く忍び込んで助けてきなさ い。私はなんとか奴の気を逸らしてるから」
「わかったよ。気をつけろよ、良子」
三人はこの建物の大体の情報を良子から聞いた。
トイラとキースを救うために、こそこそと裏手に回る。
良子はシャツの胸のボタンを一つ外した。
胸の谷間が一層見えて、良子の胸の大きさが益々強調された。
玄関のドアが開く。
「はーい、田島さん。お久しぶりね」
良子はお色気たっぷりにあいさつした。
田島は突然の訪問客に目を白黒させて驚いていた。
そして視線は良子の胸の谷間へと向かう。
「良子さんじゃないですか。あなたがここに現れるなんて。どんなに誘っても来なかった人が」
「あら、ご迷惑だった?」
何かをすがるように目をうるうるさせて、甘えた態度で良子は接した。
良子もまた獣医の世界では美しいマドンナ的存在。
男性の間では有名な獣医だった。
「あっ、いえ、迷惑じゃないです。よかったらどうぞ中へ」
あの胸の谷間を見せられて断る男も早々いなかった。
『しめた』と目を光らせ、良子は中に入った。
裏手がぼっと明かるい。
──あそこに部屋がある。
柴山は走ってかけつけ、部屋の窓からそっと覗いた。
「あっ、トイラとキースがいる」
柴山の声で、ユキは吸い付くように窓にへばりついた。
狭いケージの中でトイラが体を折り曲げている。
その隣に狼のキースも飼い犬のように大人しくしていた。
ユキは窓を激しく打ち叩く。
トイラはユキの顔を見ると喜びのあまり、ケージの柵を握り締めガタガタと思いっきり揺らし始めた。
キースは尻尾を振っている。
「どうやって中に入る?この窓ちょっとやそっと叩いただけでは割れそうにないぞ。あまり派手な音立てて、気づかれても大変だ」
柴山は下がって側にあった石を力の限りぶつけてみた。防犯ガラスなのか割れない。
「柴山さん、こっち、ドアがあるよ」
仁がドアノブをガチャガチャとまわす。もちろん鍵がかかっていた。体当たりしてみるがびくともしない。
「仁、なんか大きな石見つけてこい、ドアノブを壊す」
仁もユキも必死に辺りを探し出した。
「しかし、一体何の用だい?」
田島は客間に良子を案内する。
その部屋はヨーロッパの家具とアジアの値段の張りそうな骨董品がおかれ、値段は高そうだが趣味が悪い。
ベルサイユ宮殿の中に仏像があるようなものだった。
それをあたかも素敵だろうと田島が自慢する。
お世辞にもいいとは言えず、良子の顔が引きつっていた。
田島はホームバーがある小さなカウンターでワインのボトルを手にして、高いワインだぞと見せ付ける。
ボトルオープナーでコルクをキュッキュッと開けはじめた。
「それにしても君がここに来るとはどういう風の吹き回しだい」
「ちょっと急に会いたくなってね、思い切って寄ってみたの。今まで冷たくして悪かったわ」
良子はお色気プンプン匂わし、腕を組み胸を持ち上げ、谷間を強調してカウンターによりかかった。
田島はその胸をちらりとみながらグラスを良子の前に置き、赤ワインをトクトクとついだ。
──ガチャーン!
何かぶつける音が聞こえた。
良子はびくっとなった。
柴山が行動を起した──。
田島は音に気を取られている。
慌ててグラスを持ちググーっとワインを一気飲みした。
「美味しいワインね。ここは素敵なところね。今日はなんか帰りたくなくなってきたわ。もう一杯いただこうかしら」
グラスを差し出し催促した。
ついでに胸を揺らすのも忘れなかった。
田島は良子の飲みっぷりとそのお色気に夢中になってきた。
落とせるとばかりにニヤリと笑みをこぼす。
良子は身の危険を酷く感じ、ハラハラと不安になってくる。
──早くしろ、圭太。
田島が良子に少しずつ近づいていった。
ドアノブがうまく壊れ、ドアが勢いよく開いた。
「トイラ!」
「ユキ!」
何年も会っていないかのように、二人は再会を喜び合う。
「今助けてあげるからね、トイラ。何か鍵を壊すものないかしら」
辺りを見回すユキ。その部屋の異様な光景が突然目に入ってぎょっとした。
「何なのここ? アダムズファミリーの館?」
頭の中で昔テレビで観たアメリカの番組を思い出し、キャラクター達が腕を交差してスナップしている姿がよぎった。
「ユキ、来てくれてありがとう。俺達もう少しで解剖されるとこだったよ」
トイラは安心してへなへなと気が抜けていた。
ユキはケージに手を突っ込んで、トイラの頬に触れた。
トイラもユキの手を愛しく掴む。
しばしの間、見つめあい、二人の世界だった。
「お楽しみは、ケージ出てからにしたら」
キースは目のやり場に困っていた。
「しかし、なんて奴だ、あいつは。悪趣味だな」
柴山は、携帯を取り出して辺りの様子を写し出した。
「ちょっと、柴山さん、写真撮ってる暇があったら、早くケージの鍵を壊すの手伝って。ハックシュン」
仁のくしゃみが皆を現実に引き戻した。
何か使えるものはないかとそれぞれ探し出した。
「キャー!」
奥から突然良子の叫び声が轟いた。
「なんだ、今、良子の悲鳴が聞こえたぞ」
恐ろしい剣幕で柴山はすっ飛んで行った。
「柴山さん!」
仁が叫んでも、聞く耳持たずだった。
「もう、どうなってるんだよ。とにかく早くケージから二人を出さないと」
仁は焦った。その焦りはユキの行動でさらに体を揺さぶられた。
ユキが胸を押さえてうずくまりだしてしまった。
「ユキ!」
トイラが叫ぶ。
仁は嫌な予感を覚えて、自分が入ってきたドアを恐る恐る振り返えりぞっとする。
「ジーク!なんでこんなときに」
仁の息が荒くなっていた。