2
トイラに腹を立てて勢いで保健室を出てきたが、ユキはトイラが気になって後ろをちらっと振り返る。
すぐさまトイラと目が合い、ユキは慌てて前を向いた。
いちいち気に障るが、あの緑の目はユキを確かに心配していた。
そして口には出さなかったが、トイラも手に傷を負っていた。
トイラの傷だらけの体を思い出し、また傷が増えてしまったことが、どこか悲しく思えた。
先ほどの怒りもどこかへ消えうせ、教室の前にきたとたん、もう少し保健室にいるべきだったと後悔し、ドアを開けられないでいた。
せめて今の授業が終わるまで待った方がいい。
引き返そうと思ったその時、後ろから追いついたトイラが無遠慮にドアを開けてしまった。
静かな教室でガラッと派手に音を立てて開いたドアは、一斉にクラスの注目を浴びた。
トイラとキースは躊躇うことなく堂々と入っていく。仕方なくその後ろをおどおどとユキはついていった。
みんなの視線を浴びて体全体がピリピリする。
女子たちの目がきつく感じたのは気のせいじゃなかった。
「春日、大丈夫なのか」
村上先生が訊いた。
「はい、すみません」
ここは大丈夫ですと言うべきところ、何を謝っているのだろうか。周りの目が気になり過ぎて、それに屈服してしまったユキはこの場から立ち去りたかった。
村上先生はそれ以上追及せず、事務的に授業を再開する。
トイラとキースはおくびれることなく席につき、ユキは居心地悪く椅子に座った。
教室の前の時計を見れば、昼に近い。
朝の授業はほとんど終わっている。これなら一層のこと早退してもよかったと思えてしまった。
戻ってきた事を悔やみながら、机の中の教科書を取り出す。それと一緒に四つ折りにされた紙切れが出てきた。
ユキはそれを広げて、書かれていた文字を見て目を見開く。
『いい気になりすぎ』
殴り書きでかかれた、自分への警告。
急に目立ってしまったことで、誰かが自分を気に入らないと攻撃している。
分かっていたこととはいえ、直接文字を目にするとダメージが大きい。
体がショックで震え、紙切れを手にしてユキは呆然となっていた。
当然、そのユキの異常をトイラが気がつかないわけがない。
ユキが持っていた紙をさっと横から取り上げた。
「あっ」
ユキが声を出したと同時にトイラは立ち上がっていた。
「センセイ」
トイラの声で、またこの場所に視線が集まる。
「トイラ、今度はなんだ」
「ユキ イジメ ラレテル」
「ちょっと、トイラ、やめてよ」
ユキが紙を取り返し、すばやく机の中に隠した。
「トイラ、何を言ってる」
「だから、ユキが虐められてるっていってんだろ」
気迫が伴った流暢な日本語が飛び出した。
「そ、そうなのか、春日」
村上先生は圧倒され、弱腰で訊いた。
「いえ、その、彼、ちょっと日本語がよくわかってないみたいです。どうぞ授業続けて下さい」
「そ、そうか。でも、なんか日本語上手かったな」
事なかれ主義で、村上先生はその場を受け流す。
所詮、虐めの問題を相談したところで、助けてくれそうもないのがトイラに伝わり、ふんっと不機嫌に座り込んだ。
授業は機械的に続いていく。
英語教師のへたくそな発音がトイラには耳障りでならなかった。
「トイラ、何も授業中にいうことじゃないでしょ。大人しくしてよ」
「センセイ、タスケ ニ ナラナイ」
トイラは村上先生を睥睨してからプイと窓の外に顔を向けた。
ユキは手に負えないと呆れてしまう。
トイラの暴走に振り回されるし、クラスの誰かからは疎まれるし、腹立つやら、悲しいやら、悔しいやら、複雑に感情が絡んで苦しい。
また胸の奥が熱く、疼きを感じた。
自分が一人でいたときの方がまだ平和に思えた。
湧き上がるどうしようもない感情に無性にイライラしてしまい、ユキは八つ当たるようにトイラに向かってキッとにらんでしまった。
一部始終を見ていたキースは物事が上手く行かない捩れがもどかしく、トイラとユキが仲たがいする度に悲しくなってしまう。
自分のことのように、こっそりとため息をついていた。