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朝、襲ってきたカラスがやって来た方向に焦点を当て、トイラとキースは、人目を気にしながら目星をつけた山に向かっていた。
あまり人が入り込まない森に足を踏み入れたとき、トイラは違和感を覚える。
あまりにも静かな森の中、動物たちの気配が消えている。
簡単に部外者が入り込むのを許しているように思え、何か不自然だった。
「何か感じるのか、トイラ」
キースは困惑しているトイラの表情を見つめた。
「この森は機能していない。主が眠りについている」
「でもここは、僕たちの森とは違うし、そういうものなんじゃないのか」
「それはおかしい。俺たちや、もっと敵意を持った奴が入ってきたんだぞ。警戒心があって当たり前だ。それなのにまるで……」
トイラは信じられないとばかりに言葉が詰まった。
「まるで、なんだ?」
「自由に使ってくれと提供されてるみたいだ」
「はっ? そんな馬鹿な」
キースにはそこまで読み取る力がなかった。トイラが特別な能力で力を発揮するのはあの緑の目にある。今更ながらその目を見つめた。
「この森は様子を見ている。俺たちが何者か、この先何があるのか、ある程度読み取って静かにしているだけだ」
「それって、僕たちにとっていいことなのか、悪いことなのか、どっちなんだよ」
キースはこの状況が理解できないでいた。
「わからない。ただ、奴にはそれが都合がいいだろう。邪魔をするものが一切ない。そして他愛無い動物たちを簡単にコントロールできる。まずは手始めにカラスを利用したわけだ。この辺りの鳥の中では一番使える動物だったんだろう」
奴の気を感じ、かなり近くにいるような気がしてトイラは辺りを見回した。
キースも警戒して匂いを確かめていた。
更に森の奥へと入り、念入りに調べる。カサカサと落ち葉を踏み、踏んだ小枝がパキッと音を立て、ふと流れ込む風を感じていた。
ひんやりとした空気、温度が下がって、辺りが霞みだしていく。靄がでている。
その時、トイラの耳がピンと立ち、耳鳴りがし始めた。
キースも空間の歪みを感じ、頭がくらっとした。
ふたりは顔を見合わせ、最悪な状況に苦虫を噛んだような歪んだ表情を見せ合った。
「奴の力はかなり復活している。この森の時空を奴の森と繋げてしまった。くそっ!」
トイラは悪態をついた。
「僕たちは奴の力を見くびっていたみたいだね。こんな簡単に嗅ぎつけてリンクされるなんて思わなかったよ」
キースも悔しがった。
「いや、あちこちでバランスが崩れている。所々のムラを感じる。どうやらまだ完全にリンクされてないようだ。不安定にしっかりと繋がらない波を感じる。朝のカラスは自分の気を送り込んで実験的に試したんだろう」
「でも時間の問題ってところなんだろ。そのうち後ろから忍びよってきそうだ。奴は卑怯ものだからな。トイラもそれでころっと騙されて……」
「やめてくれ!」
トイラが突然叫んだ。
「あっ、別に責めてるわけじゃ。悪いのは奴なんだし」
「キース、ここにいてもこれ以上どうにもできない。少し対策を考えよう。その時間はまだあるようだ。早く家に戻って、ユキの傍にいよう」
トイラは感情を乱されてピリピリしていた。
騙されるという言葉にトイラは過敏になっている。悪気はなかったとはいえ、キースは軽率だったと悔やんだ。
森の奥をもう一度確かめ、この先の行く末を思う。上手くいく事を願い、先を歩くトイラの後を静かに追った。
ふたりが家に戻れば、夕食はテーブルの上に用意されていた。
キースがテーブルに顔を近づけ、匂いを嗅いで目を細めている。
「なんか分からないけど、こんがりと狐色で美味しそうだね」
手を出そうとしたキースだが、振り返ったユキに睨まれて慌てて引っ込めた。
「でもなんで全部串に刺さってんの?」
「串カツっていって、肉や野菜を串に刺してパン粉つけて油で揚げる料理なの」
初めて見るのか、キースは物珍しそうにしていた。
お皿の上には串に刺さった茶色いものが、形様々に並んでいた。
キースは楽しそうに見ているが、トイラは塞ぎ込んで心ここにあらず、黙ってテーブルについていた。
トイラの態度は気になるが、気難しさは今に始まったことではないとユキは思った。
「さあ、食べよう」
ユキも席につき、みんなで「いただきます」とはもった。
「あっ、これ、玉ねぎでしょ」
玉ねぎの串カツをつまみ、キースはそれをわきへと除けた。
「あー、なんで除けるの。なんでも食べなきゃだめじゃない。子供じゃあるまいし」
ユキは避けられた玉ねぎを引き取った。
「だから玉ねぎはダメだって最初にいったでしょ。もしかしてこれユキの意地悪なの?」
「だって私は玉ねぎ好きなんだもん。オニオンリングとか大人気じゃない」
ユキはあてつけでパクッと口に入れた。やっぱり食べてくれないのは悔しい。
「玉ねぎは食べられないけど、他のはおいしい」
キースはポークや海老に手を出している。
パクパクと食べているキースの隣で、トイラは食欲なさそうにぼんやりしていた。
『ユキ ガ ツクルナラ ナンデモ オイシイ』
あの時の言葉が耳に残り、トイラに料理を褒めてほしいと思っている自分がいた。
「トイラは、こういうの嫌いかな」
ユキが問いかけると、トイラは我に返って慌てて食べ始めた。
「無理しなくっていいんだよ」
「いや、美味い」
やっぱりトイラも玉ねぎには手をつけなかった。
生の玉ねぎを嫌う人は多いけれど、フライにしたら食べてくれるかもしれないと思ってユキは工夫したつもりだった。
ここまで避けられると、どうにかして食べさせてやりたくなる。
でも今のトイラは、弱っているように見え、文句の一つも言えなかった。
「トイラ元気なさそうだね。放課後、ふたりでどこかへ出かけてたけど、なんかあったの?」
「別に何もないよ」とキースがそっけなく答えた。
それに関してふたりはわざとらしく口を閉ざす。食べるのに忙しいフリをして話を逸らそうとしている。
明確な答えを得られないまま、ユキも気まずい思いを抱いて、ひとりでもくもく玉ねぎを食べていた。
トイラたちの抱えている深刻な問題など、今のユキには分かるはずがなかった。
夕食の後、何も言わずにトイラは片づけを手伝う。
ユキが洗い物をしている隣にそっと立ち、洗いあがった皿を受け取って手ぬぐいで拭いて片付けていく。
キースは邪魔をしないように、ソファーに座ってテレビの電源をいれていた。
何も片づけを手伝いたくないわけではなかった。
これでもトイラのためを思ってやっていることだ。
キースはトイラとユキの後姿をそっと見守りながら、観たくもないテレビのボリュームをわざと大きくしていた。
トイラはその音に反応しキースに振り返って一瞥する。
キースのわざとらしい小細工が小憎らしいが、嫌じゃないのが悔しいところだった。
キースに気を取られ、トイラはユキからお皿を受け取る代わりにユキの手に触れてしまい、ユキはドキッとして咄嗟に皿から手を離してしまった。
「あっ」
ふたりは同時に驚き、声を出した。
トイラは慌てふためき、寸前のところで皿を受け止めた。
「おい、き、気をつけろよ、皿を割るところだっただろ」
トイラ自身の失態なのは分かっているが、予期せぬことにすっかり驚いて憎まれ口を叩いてしまった。
「何よ、そっちが、そっちが……」
ユキもまた、自分の手に触れたからと言ってしまいたいが、そのせいで体がかあっと熱くなっているのを気づかれたくない。
お互い様子を窺い動きが止まってしまうも、心臓だけはドキドキと早く動いていた。
「ほら、水出しっぱなしだ」
トイラの指摘で、ユキはまた洗い物を継続する。
トイラも、慎重になりながら皿を受け取っていた。
意識しすぎてぎこちなくなってる二人にキースはヤキモキしていた。
「あーあ、見ちゃられない」
でも二人のやり取りがかわいく目に映って、微笑まずにはいられなかった。