Brilliant Emerald

第三章

1 

 スズメの襲撃事件は、トイラを落ち込ませ、朝、キッチンで朝食を準備するユキと顔を合わせないまま、トイラは静かにテーブルについていた。
 目玉焼きを焼いていたユキは、振り返ってその姿を見て気持ちを入れ替えた。
 焼きたての目玉焼きをフライ返しですくって皿にのせ、それをトイラの前に静かに置いた。
 トイラは虚ろにしばらくそれを見つめていた。
「昨晩のことは気にしてないから」
 ユキはさりげなく声を掛ける。
 トイラも何かを言おうと顔を上げたが、ユキの屈託のない笑みが却ってトイラを苦しめた。
 不安定に心揺れ動くトイラは、自ら嫌われる事を選んでしまった。
「そのことはもういい」
 トイラはユキから目を逸らす。
 そっけないそのトイラの態度にユキは悲しくなっていた。
 またトイラが自分から距離を置いた。
 どうしてそうなるのか、ユキにはわからなかった。
「おはよー」
 能天気にキースがやってきてテーブルについた。
 ふたりの様子がおかしい事をすぐに察知し、キースは呆れた表情を露骨に取った。
 トイラの不機嫌な態度の裏に、恐れと不安が隠れているのは分かっているが、自分まで巻き込まれるのが嫌だった。
 ユキと顔を合わせ苦笑いし、肩を大げさに竦めた。
「何か気に入らない事があると、いつも機嫌が悪くなるんだよ。気にしなくていいよ、ユキ」
「気に入らないことって何?」
 キースはこの場を取り持とうとしただけなのに、ユキは却って理由を知りたがった。
 それが一番話せないことだから、キースは返事に困った。
「んーと、それは、トイラの気質さ。昔から気難しい奴なんだ。元々、誰も寄せ付けないような気ままさがあるくせに、大役を押し付けられてさ……」
「キース、黙れ」
 トイラの凄みに、キースは即、黙り込む。少ししゃべりすぎたかもしれない。
 ユキを見つめ、困った表情を向けた。
「ほら、すぐこれだ。ユキも気にしないで」
 キースは慣れっこだから軽くあしらえるかもしれないが、ユキは昨晩見た笑顔のトイラが忘れられなくて、このギャップの激しさに戸惑っていた。
 どっちが本当のトイラなのだろうか。
 黙々と用意された朝食を食べているトイラ。
 どうしても嫌いになれないものがあった。 
 
 学校の通学途中、トイラはひとりで前を行く。
 ユキとキースはある程度の距離を取ってトイラの背中を見つめ、肩を並べて歩いていた。
「トイラがあんな調子だけど、ユキは萎縮することないからね。いつもの調子で絡んだらいいから」
「もしかして、私は嫌われてるの?」
「まさか。その逆」
「えっ?」
 ユキはびっくりしてキースを見上げた。
「今はどうしようもないけど、そのうちユキもトイラの本当の気持ちがわかるんじゃないかな」
「本当の気持ち? そのうちっていつ分かるの?」
「それは、突然やってくるのかも……」
 キースは心配そうにユキを見つめた。
 そして思案しながら質問する。
「最近何か変わったことなかった?」
「変わったこと? 十分あるわよ。あなたたちが来たし、カラスやスズメが襲ってくるし」
「そうじゃなくて、ユキ自身の体の変化とか。例えば胸の辺りが、その大きく……」
「ちょっとまた、胸の話なの。どうせ私はないですよ」
 ユキの気に障り、キースは怒らせてしまった。
「違うって、そうじゃなくて」
 弁解しようとしたときには、ユキはスタスタと前を歩き、その勢いでトイラを抜かしていった。
 トイラは立ち止まりキースに振り返った。
 追いついたキースは「やっちまった」とトイラに自分の失敗を知らせ薄笑いした。
「何やったんだよ」
「その、胸に印が出てないか確かめようとしたんだけど、失敗したってこと」
「無理に確かめるなよ」
「何言ってるんだよ。仕掛けられたカラスとスズメのせいで、あれは確実に目覚めてしまったよ。あの印がでたらやばいことくらいトイラだって知ってるだろう」
 キースは正しい事をしていると主張する。
「分かってるけど」
「ここで奴が現れたら、ユキの胸の中のアレはどんどん目覚めてユキは……」
「やめてくれ」
 その先をトイラは聞きたくなかった。
「何を逃げてるんだよ。だからこそ、正確な大きさを知るべきなんだ。まだユキの記憶がないところをみると初期段階だろうけど、ユキは時々胸を押さえて苦しんでいる」
「分かってるよ」
「わかってないよ。僕がいいたいのは、今を大切にしろということだ。恐れて逃げることばかりじゃ、後悔するぞ」
 キースに言われ、トイラはぐっと腹に力を込めた。
「うるさい。俺とお前じゃ背負ってるものが違いすぎるんだ。そんな簡単に割り切れるか」
「おい、トイラ!」
 トイラはいたたまれなくなって、キースから離れていく。
 キースはトイラに腹を立てたくても、同情の方が強くて気持ちが失せた。
「どっちも聞く耳もたないんだから」
 キースは空を見上げる。晴れ渡っているのに、はっきりとしない薄い青さが広がっていた。優しい水色ではあるが、どこか物足りないものを感じていた。


 クラスの中では、ふたりは相変わらず日本語を話せないフリをしていた。
 わざとらしい外国人訛りの発音を聞く度に、ユキは身を怯ませる。
 トイラはまだ口数少なくひとりで過ごしているが、お調子者のキースは犬のように尻尾を振って愛嬌を振りまいていた。
 金髪碧眼のハンサム、そしてあの性格だから女子たちに好かれるのも無理はない。
 それとは対照的なトイラは見かけはキースに劣らないが、仏頂面の愛想のない雰囲気は人を寄せ付けない。
 一緒に生活しているユキですら、その態度に苦労している。
 そんなトイラに中々近づこうとするものはいなかった。
 それはユキにも影響し、鼻つまみ者の馬鹿にされていたユキだったが、トイラが傍にいることで虐めが和らいだように思えた。
 キースに好かれようとする女子たちも、ユキを邪険にする事がなくなった。
 わかりやすいぐらいに、ユキに媚びてくる。
 それがまんざら悪くもなく、逆に面白くて、ユキは客観的に様子を見ていた。この時までは。
「ねぇ、春日さん」
 小柄で大人しく気の弱そうな女の子が、突然ユキの座っている席にやってきた。
 しゃべったことはないが、名前は知っていた。
 五十嵐ミカ。目が大きい色白のかわいらしい女の子だ。
 うるうるとした瞳をユキにむけている。
 まるでその姿はチワワのようだ。
 隣にいるトイラを気にしてチラッと横目にしながら、もじもじとして話し出した。
「私に英会話教えてくれない?」
「えっ」
「突然ごめん。私、春日さんと友達になりたかったんだけど、矢鍋さんの睨みが怖くて近づけなかったの。でも最近そういうの感じなくなったっていうのか……  ごめんね、今まで無視しちゃって。許してくれる?」
 甘ったるい舌足らずな声。かわい子ぶっている。
 恥ずかしさを隠すためにわざとそんな態度になったのかもしれない。
 友達――。
 ユキには不思議な響きに聞こえた。
「うん、いいよ?」
 自分でもどのように答えていいのかわからない。だけどこの雰囲気を壊せなかった。ユキは突然のことに戸惑うも、微笑んであいまいに受け入れてしまう。
「良かった」
 ミカは素直に喜び、その勢いでトイラに話し掛けた。
「ハーイ、トイラ」
「ハーイ」
 意外にもトイラは素直に返事する。
 ミカはたどたどしい英語を交えてトイラとしゃべり出した。
 トイラはミカを見つめ、首を動かし相槌をうって相手をしている。
 先ほどまでほんわかしていたユキだったが、急に冷えた空気を感じ心の温度も下がっていた。
 自分が出汁にされたように思えた。
「春日さん」
 ミカがユキの手を取った。表情が暗くなっていたユキは慌てて取り繕った笑顔を浮かべた。
「すごいわ」
 ミカが感心している。
「えっ?」
「料理が上手いんですってね。トイラが言ってた」
「まあ、作るのは好きだから」
 ふたりが何を話しているのかまでユキは訊いていなかった。
 自分がこの時トイラに近づく女性にもやもやしていたなんて――。
 ユキは意味もなく焦ってしまう。
 自分でもこの気持ちがなんなのか、よくわかっていなかった。

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