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ミカが近づいてきて、ユキは嬉しいのか嫌なのかはっきりしない。
ミカはユキと仲良くなることで、トイラと話し出し、トイラは当たり障りなく普通に受け答えしている。
トイラの態度が自分に接する時と違っているように感じた。まるでミカはトイラに受けいれらたようだ。
それを認めるのが悔しく、ユキは否定する。気まぐれなトイラだからと自分に言い聞かせた。
放課後、トイラに向き合う。
「トイラ、買い物したいんだけど付き合ってくれるよね」
本当は昨日済ませたので当分買い物の必要はなかった。
昨日からギクシャクしているトイラとの関係を修復したくてユキは口実を作っていた。
「ごめん、キースと寄り道したいところがある」
がたっと席を立ち、キースの傍に行くと、何かを話し合ってユキを置いて教室を去っていった。
ユキはショックを受けていたが、それを認めるのも辛かった。
別に喧嘩しているわけではないのに、こちらが歩み寄っても何も変わらないトイラの冷たさに段々腹が立ってきた。
「何よ」
でも怒れば自分が虚しいだけだった。
気持ちが落ち着くまで静かに席についていたが、買い物に行くとトイラに知らせた以上、何も買わないで帰れなくなった。
仕方なく、ユキは気だるく立ち上がり、まばらに残っている人たちを尻目に教室を出て行った。
もやもやを抱え、普段買い物に行くのとは違う大型スーパーに、ユキは向かっていた。
駅前の賑やかなこの町の中心地。マンションや雑居ビルが連なっているところを、車の通りが激しい道路が通っている。
人も行き交い、そこだけ集中して人口が集まっていた。
便利なところではあるが、ユキの家からは遠く、歩いて買い物するには不便だった。
特別何を買おうと目的はなかったが、品物の値段を見ているうちに、安いと感じて次々かごに入れてしまう。気がつけば結構な量を買ってしまっていた。
重い荷物を下げて店から出たとき、歩いて帰らなければならないことを後悔していた。
両手にずしりとするスーパーの袋を抱え、ため息つきながらもたもたと歩いていると後ろから声を掛けられた。
「春日さん?」
ユキが振り返れば、自転車にまたがった同じ制服を着た男の子がはにかんでユキを見ていた。
ユキが驚いている間、その男の子は自転車から下りて、それを押しながらユキに近づく。
「えっと、僕、隣のクラスの新田仁って言うんだけど、知らないかな?」
「新田……仁?」
顔は見たことあるが、ユキは名前まで知らなかった。
もじもじと恥ずかしそうに仁は微笑んでいた。
反応が鈍く、ただ突っ立って愛想笑いもないユキに仁は焦ってへらへらしてしまう。
「突然、声かけてごめん。なんか荷物重そうだったから、手伝おうかなって思って」
ユキが両手で持っていたパンパンに詰め込まれていたスーパーの袋に、仁は視線を向けた。
「えっ?」
話した事がない人から突然声を掛けられて、ユキは戸惑い、どうしていいかわからない。
「ほら、ひとつもってあげる。貸して」
仁がユキの荷物に手を伸ばしてくるから、断れずにユキはそれをあっさりと渡してしまった。
仁は自転車のハンドルに引っ掛けるようにしてそれを持った。
「少しは楽になった?」
「あっ、ありがとう。でも私の家、ここから遠いよ」
「僕、自転車だから全然問題ない。それより、こうやって話ができることの方が嬉しいかな」
「はぁ……」
ユキはどう答えてよいのかわからず、息が漏れたような曖昧な返事をしていた。
ふたりは歩道を並んで歩き出す。
夕方に近いこの時間帯は、日差しも柔らかく暮れかけていた。
仁はユキをちらちらみながら、上手く話せなくてモジモジしている。
「なんか僕、突然声かけて迷惑だった?」
「ううん、そんなことない。荷物運び手伝ってくれてるし、こうやって声を掛けてくれて嬉しかった。ほら私ってクラスで嫌われてるから」
ユキも落ちつかず間が持たなくて余計な事を口走った。
「えっ、そんなことない。春日さん、帰国子女でしょ。英語も話せてかっこいいじゃん」
仁が微笑んでいる。面と向かって言われるとユキは面映かった。
「だから、それが偉そうにしてるとか、いい気になってるとか言われる原因になってるみたい」
「それって、同じ人種なのに習慣が違って意見が合わないから、カチンってきちゃうのかも。もし春日さんが外国人だったら素直に受け入れられてると思う。君のところに居るあのふたりがそうだろ。違う環境で育っているのが羨ましいのかも」
「羨ましい?」
ユキは目を瞬く。
「人って自分が得られないものを相手が持ってると、認められないときがあるんだよ。コンプレックスをつつかれたり、自分の立場が脅かされると、攻撃しちゃうんだよね」
「そんな」
「でも、好意的にとった場合は違うよ。仲良くなりたいなって思う人もいるから。僕みたいに」
「えっ?」
「いやいや、例えばの話だけどさ」
仁はごまかして笑っていた。その笑顔が人懐こい。
次第に車の量も減り、町の喧騒から離れていく。やがて辺りは田んぼや畑が広がってのどかな風景となっていった。
途中何度か猫を見かけ、そのたびに仁は大げさに避けていた。
「もしかして、猫が嫌いなの?」
「違うんだ。僕、猫アレルギーで、猫が近くにいると鼻づまりになったり、くしゃみがでたりするんだ。不思議とさっきからなんか猫をたくさん見ない?」
「そういえば、そうかな。結構この辺りにはいるのかも」
自分の家にたくさん集まってくる猫をユキは想起していた。
「僕の叔母が、獣医でね。猫アレルギーなのに、時々預かってる犬や猫の世話を手伝わされる事があるんだ。動物は好きなんだけど、こういう体質だから辛くてさ、それでつい猫を見ると距離を大げさにとってしまうんだ」
「大変だね」
仁はとりとめもなく、口を動かしていた。ユキが質問すれば丁寧に答えが返ってくるし、はにかんだ笑顔がかわいい。
まだ少年らしいあどけなさがあるけど、真面目に見えるところはかしこそうで品がある。
背丈も結構あって、すっとした感じが悪くない。
話が途切れると落ち着かなさそうに笑ってごまかすが、それが愛嬌あって好感もてた。
「春日さんのところに、この間転校してきた留学生が二人住んでいるんでしょ。もしかしてご飯の支度は春日さんがやってるの?」
「うん、そうだけど」
「へぇ、すごい。料理得意なんだ」
「結構ね」
ユキはこういうときは謙遜しない。
できることはできるとはっきり言う。仁は素直に尊敬のまなざしを向けていた。
これがマリや自分を嫌っている人ならば、生意気さを感じるのかもしれない。
仁が意味していたのはこういうことなのかもとユキは思っていた。
ゆっくりと歩いているうちに、辺りは薄暗さが増してきた。空には星がポツポツ見え始めていた。
「こんなところに神社があるんだね」
仁が興味深く見ていた。
小さな神社の鳥居がぼやけるように物悲しく目に入ってくる。
ユキの家もこの神社を通り過ぎて角を曲がって坂道を上がればすぐそこだった。
「もう、ここでいいよ。家はすぐその上にあるんだ。かなり迷惑かけちゃったね。でもすごく助かったわ。ありがとう」
「折角だから家まで送るよ。いいんだよ、これぐらい。僕も春日さんと話が出来てすごく楽しかった。あのさ、春日さん……」
仁はこのチャンスを逃したくなくて、真剣な面持ちでユキの目を見つめた。
「実は僕、ずっと前から春日さんのことが気になっていてね、それで……」
そのときだった。トイラとキースが神社の林の暗闇からすっと現れた。
ユキも仁もドキッとして驚いていた。
「コイツ ダレ?」
仁に向かって、トイラが睨みを利かせる。
「この人は隣のクラスの新田君」
ユキが紹介するが、トイラは仁に近づいて、匂いを嗅ぎながら因縁つけている。
「ナンノ ヨウ ダ」
「ちょっとトイラ、何してるの。失礼でしょ。新田君は荷物を運ぶのを手伝ってくれたの。一緒に買い物行こうって頼んでもトイラはどこかに行ったくせに」
「ヨウジ ガ アッタ。シカタナカッタ」
トイラの前でユキはなんだか素直になれず、すねていると仁が派手にくしゃみをしだした。
「ハックシュン! ハックシュン! あっ、ごめん、なんか急にくしゃみが出ちゃって。あっ、また…… ハックシュン!」
仁はくしゃみを連発すると、恥ずかしそうに指で鼻の下をこすっていた。
辺りをキョロキョロと見回している。
「きっとこの辺りに猫がいるんだと思う」
「多分そうかもしれない」
ユキも心当たりがあるからそう思ってしまう。トイラは面白くなさそうに仁を睨んでいた。
「それじゃ僕はこれで」
持っていたスーパーの袋を近くにいたトイラに差し出した。
トイラはそれをぎこちなく受け取っていた。
「新田君、ありがとうね」
ユキがお礼を言うと、自転車に跨った仁は、くしゃっと笑う。そして大きなくしゃみをして去っていった。
ユキはクスッと笑って、暮れなずむ空の下、小さくなっていく仁を見送っていた。
トイラは気に食わなさそうに、チェッと舌打ちした。
「なんか、いい雰囲気だったよね」
トイラを尻目に、キースは冷やかした。
「えっ、何言ってるのよ。そんなことないって」
ユキがありえないと手をひらひらと振って否定した。
「ただの荷物もちだろ」
トイラは腹いせに呟く。
「何よ、まるで私が利用したみたいじゃない」
トイラはユキが持っていたもうひとつの袋を取り上げた。
「ちょっとトイラ」
二つの袋を持って先を歩いて言く。
キースが肩を竦め、呆れた表情を作ってユキに見せた。
「アイツも荷物もちになりたかったのさ」
ユキは黙ってトイラの背中を見つめ逡巡する。そして小走りでトイラを追った。
「お腹空いた?」
「まあな」
そっけないトイラの態度。
でも傍にいるとユキはほっとした。