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お弁当を食べ終わったユキは片付けるや否や、すぐさま席を立った。
「ユキ、ドコヘ イク?」
キースが尋ねる。
「ちょっとね」
「オレ モ ツイテイク」
トイラが言った。
「なんでトイラがついて来るのよ。関係ないでしょ」
ユキはさっさと教室から出て行った。
そのすぐ後、ミカが得意げに英語を話す。
知ってる言葉を丸覚えしただけの簡単なフレーズ。
「Let's go to Karaoke after school」(放課後カラオケ行きましょう)
トイラは虚を突かれ戸惑っていると、他の女子生徒が集まってきた。
「五十嵐さん、英語話してる。何を言ってるの?」
「放課後カラオケに行こうって、誘ってたの」
五十嵐ミカがそういうと、周りの女子生徒が『私も行く』とのってきた。
あっという間にトイラとキースの周りは女生徒に囲まれた。
ユキが突然席を立ったのも、二人にはわかっていた。
ミカにあんな風に言われて平然としていられる訳がない。
ここは我慢すべきだと二人は目を見て合図していた。
離れることだけを考えて、ユキは行き場を失い仕方なく、非常階段の踊り場に立っていた。
爽やかな風が心地よく吹いて、髪をさらっとなびかせる。
風が慰めてくれているように思え、幾分気持ちが紛れた。
次の授業までまだ時間がある。それまで手すりにつかまりながら空を仰ぐ。
人に疎まれるのは今に始まったわけじゃない。
どこに居ても気に入らないことは常に付きまとう。
父の仕事の都合でアメリカに渡った小学生の頃。
英語なんて何にもわからなかった。
あの頃も疎外感一杯に、みんなの輪の中へ入っていけなかった。怖かったのだ。
言葉が思うように話せなくて馬鹿にされ、特別釣り目でもないのに、アジア人を見れば目を吊り上げてからかわれた。
特に気の強い目立とうとする子供たちは、面白がってそういうところを集中的に弄る。
どこに居ても、人というものは受け入れがたいものが現れたとき、異物として拒否反応を引き起こしがちだ。
取り入れて仲良くしようなんて思うのは、よほどできた人間か、それとも好奇心旺盛の物好きなタイプだろう。
自分の気持ちに正直で、感情をコントロールできない子供は意地悪さが先に優先され、そこに習慣や文化の違いが入ると摩擦が起きやすい。
衝突しながら子供は学んでいくのだろうが、言葉の壁があると怖じ気ついて逃げてばかりだ。
受け入れてもらえないと思えば思うほど、自分は人とは違うのだからと殻に閉じこもってしまっていた。
他の人と違って何が悪いんだろう。
ユキは環境の変化で、自分のアイデンティティの確立が上手くいかなかった。
自分には何かが欠けている。外国であれ、日本であれ、どこにも属さない、中途半端な存在。
自分の居場所を見つけられなくて、いつも排除される――と思ったとき、ふと違和感を覚えた。
ユキは自分の居場所を見つけた事がある。
ずっと探していたものを見つけ、そしてそれは自分を包み込んでくれた。
孤独だったユキの心を埋めたもの。
それはなんだったのだろうか。
それがあったから、強くなれたのに、それがすっぽり消えているように思えてならない。
何か大切な事を忘れている……様な気がする。
思い出そうとしたとき、無意識に痣のある胸を押さえ込んでいた。
休み時間が終わり、ユキが教室に戻ってくると、トイラもキースもクラスのみんなに囲まれて、和気藹々としていた。
あのトイラですら、面倒ながらも話の輪に参加しているように見えてしまう。
横にミカもべっとりとくっついていた。
ユキだけがそこに入れない。また逃げたくなるほどに怖くて自分の席に戻るのを躊躇った。
ゆっくりと進み、みんなの輪に近づいたら何でもないことのように平常心を振る舞う。
ユキが戻ってきても、そこに居た女子生徒は話しかけなかった。ミカですら――。
ユキをこの輪から排除したいように思える。
「ユキ、オカエリ。ホウカゴ、カラオケ ダッテ。ユキ モ イコウ」
キースが誘ったが、周りの女子たちはそれぞれ見合わせ歓迎してない。ユキは黙って首を横に振った。
すぐさまトイラも同じように意思表示する。
「オレ モ イカナイ」
「ええ、トイラ行こうよ」
ミカが強く誘う。
「トイラもキースも日本の文化を楽しんできて。たまにはクラスのみんなと遊んでおいでよ」
精一杯笑うユキ。作り笑顔が虚しい。
ミカが『そうよ、そうよ』と同意している。
本心はまるでユキがいつも一緒で邪魔だと言っているように聞こえた。
今にも咆哮しそうにトイラはミカを見ていて苛立っていた。
キースが目配せし、落ち着けと知らせている。
トイラはあてつけに何も言わず黙っていた。
それをミカは勝手にいいように解釈し、肯定の意味にする。
「やった! トイラも行くって」
ミカはあたかもユキに勝ったといわんばかりだった。