Brilliant Emerald

第五章

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 時を刻んだ樹齢何千年とも言われるごつごつとした立派な大木。
 森の重鎮として存在している。
 歪で曲がりくねった幹はさらなる枝幹がいくつもに分かれて張り出し、その姿はまるで恐ろしい生き物のようだ。
 森の歴史を知り尽くし、見るものを畏怖させて誰も容易に近づけさせない威厳があふれていた。
 神として祭られるように、この森の動物たちには神聖の場だった。
 恐れ多くて気軽に近づけない雰囲気があった。
 だがトイラだけは違う。
 自らそこへ背中をもたれてどっしりと腰を据えていた。
 トイラにはその神秘的な威厳溢れる木こそ、自分に相応しいと、好んでいつもそこに座っていた。
 その木にはトイラに しか分からない魅力がまだ色々とあるからだった。

 ユキがトイラを探すときは、決まってその木の下へ行く。
 冬の寒い日というのに、風吹く中、落ち葉をクッションにして、その日もトイラは座っていた。
 ユキはよつんばになってそっと自分の顔を近づけた。
 じっとトイラを見つめて、ぽつりと言った。
「トイラは、いつまで経っても、その姿なのね。年を取らない。私はやっとあなたに追いついたけど、これからは追い越しちゃうんだ」
「俺は森の守り駒。動物と人間のどちらの姿も持つことを許されている。そして遅く流れる時の中でゆっくりと過ごす。人間の時間とは異なる世界」
「そっか、じゃあ、いずれ私の方が早く死んじゃうんだ。変な言い方になっちゃったけど、トイラは人間じゃないもんね」
 ユキは寂しく言った。
 その言葉はトイラに衝撃を与えた。
 命の長さが違う。生きる世界が違う。
 ユキはいずれいなくなってしまう。
 失うものなどなかったトイラにとって、大切なものが自分から消えてしまうことが、どんなに怖いことか、このとき初めて恐怖が芽生えた。

「ユキ、俺はお前が好きだ。誰かを好きになるなんて考えたことなんてなかった。ユキは俺の心を温かくしてくれた。俺は何百年と生きてきて、こんなに心を満たされたことなどなかった」
「えっ! 何百年も生きてるの?」
 ユキは告白よりもそっちの方がびっくりだった。
「おいっ、告白してるのに、なんだそのリアクションは」
「だって、そんなに生きてるなんて、ちょっと驚いたのよ」
「だからこそ、俺はユキに出会うまで、ずっと孤独だったんだ」
「私だって、トイラに出会うまでずっと孤独だったわ。自分の居場所を探して、森で道に迷ったあのとき、私は、強く望んだの。もし私を必要としてくれる人が いるのなら、今すぐ私の側に来て下さいって。だからあなたを見たとき怖くなかったし、私の願いが届いたと思ったの。私だってトイラが大好き」
 ユキも思いをぶつけた。
 二人はじっと見つめ合っていた。
 このまま二人でずっと一緒にいたい。
 そう思っていたとき、トイラの耳がピクリと動いた。
「誰だ、そこにいるのは」
 トイラががばっと立ち上がり、ユキは辺りをきょろきょろ見回していた。

「やあ、邪魔するつもりはなかったんですが、つい見ちゃいまして、目が離せなくなりました」
 気まずそうに、木の陰から、黒マントをなびかせてひょろひょろとした細面の男が現れた。
「ジーク。お前この森に戻ってたのか」
「一時は虐められて出て行ってしまいましたが、心を入れなおして戻ってきましたよ」
 立ち直ったところを見せようと、背筋を伸ばして胸を張っていた。

「誰?この人。トイラと同じ仲間?」
「申し遅れました、人間のお嬢さん。私はジークといいます。コウモリです」
 礼儀正しくお辞儀して、気弱な笑顔を見せていた。
「コウモリ?」
 ユキがそういうと、ジークはぱっとコウモリに変身して羽をパタパタさせ宙を飛び、またすぐに人の姿に戻った。
「トイラが人間に恋をしている噂は本当だったんですね。遠い森でも耳に入ってきましたよ。ちょっとした笑いものになってますけど」
「うるさい! そんなことを言うために戻ってきたのか」
 トイラが牙をむき出して飛び掛りそうになると、ジークは怖がって後ずさりした。

「相変わらず、血の気が多いんだから。ほらほら、怖い顔しないで下さい。違いますよ。私はトイラの味方です。わかってるでしょ、他のものから違う目で見られるのが どんなに辛いことか。私も経験しましたからね。まあ私の場合、飛ぶことができても鳥の仲間でもなく、ねずみに似てると言われてもねずみの仲間でもない、ほんと中途半端でからかわれてましたからね」
「何がいいたい」
「だから、方法があるんですって」
 ジークはちらりと横目でユキを見た。
 ユキは二人の会話に入り込めずに圧倒されていた。

「何の方法だ?」
 トイラがギロリと睨む。
「種族を超えて、トイラがそのお嬢さんと幸せになる方法が」
 ジークがニタっと、ヤニがついたような黄色い歯を見せて笑う。
「そんなこと余計なお世話だ。もう向こうに行ってくれないか」
 トイラは呆れて、ジークの話など耳を傾けようとしなかった。
 ユキを連れてその場を去ろうとジークに背中を向けたときだった。
「森の守り主の太陽の玉を手に入れれば、トイラの思うままに世界は操れる。そのお嬢さんを我々の森の住民と迎えることも可能」
 ジークは目を光らせ、声を落として言った。
 動きが一瞬止まるトイラ。だがありえないと鼻で笑った。
「そんなことできる訳がない。それに森の守り主の怒りを買う」
「馬鹿だな、トイラは。なんで自分の目が緑色なのか、考えたことがないんですか。それは森の神に与えられた特権じゃないですか」
「なんの話だ」
「ここまで無知だとは私も思いませんでした。あなたは、森の守り主の候補なんですよ。昔から森の守り主は必ず緑の目をしています。早い話が、緑の目を持つものが森の守り主になる力を持ってるということです」
「俺はそんなものになる気はない」
「今の森の守り主の寿命が短くてもですか。もう数百年は守ってきたでしょう。そろそろ世代交代です。森の守り主も次の後継者を探してます。緑の目を持つものはトイラ、この森ではあなたしかいない。あなたは、たくさんの森の守り駒の中から、選ばれた存在なんですよ」
「そんな話信じるもんか」
 トイラはプイと首を振った。
「それじゃ、いつかそのお嬢さんは、あなたの前からいなくなってもいいんですね。そしてあなたはまた何百年と孤独に過ごす。それが怖いことと今思ってませんか」
 トイラはユキを見つめた。
 ユキはこの話の流れが良く飲み込めない。
 キーワードを拾うだけで精一杯だった。

「まあ、いいです、よく考えてみて下さい。いずれは自分のおかれている立場がわかることでしょう。もし何かあったら、私も喜んでお手伝いさせて頂きますから。そのときは気軽に声をかけて下さい。それじゃまた」
 ジークはコウモリに変身してパタパタと羽をばたつかせて去っていった。
「ねぇ、森の守り主って何?」
 ユキが聞いた。
「この森を支配する大きな力を持つ主さ。この森の秩序を守ってるんだ。ここが安らぎを感じるのも、今の守り主が守ってるお陰さ」
「ふーん。それじゃいつかトイラもその森の守り主になるの?」
「俺はそんな器じゃないよ」
 トイラはそんなものになれる訳がないと鼻でせせら笑った。
「その守り主ってどこにいるの? ねぇ、見ることができるものなの?」
 ユキは見てみたいと思った。
「さあ、知らない。俺には興味ない」
「だけど、トイラが、もし森の守り主になったら、私をこの森の住人として向かえてくれる? そしてずっと側に置いてくれる?」
「えっ?」
「ちょっと聞いてみただけ。でもトイラとずっと一緒に暮らすことができるのも楽しいだろうな」
 ユキは想像もできない世界にクスクスと笑っていた。
 突然のジークの話はトイラの心を惑わせていた。
 ユキがずっと自分の側にいる。
 それはまさに自分の望むことだった。
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