Brilliant Emerald

第六章

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 悲しいうつろな目で、ユキはソファーに座り、キースがユキの膝の怪我の手当てをしている。
「痛っ」
 ユキの体がびくっとなった。
「あっ、ごめん、しみた?」
「ねぇ、なんで私、鳥に襲われたの? 前もスズメに襲われたことがあったし、私、鳥に嫌われてるのかな。いろんな人に嫌われて、私ってほんとそういう体質なんだ」
「何言ってるんだ。ユキはいい子だよ。嫌いになる奴がおかしいんだ」
 キースはユキのひざに絆創膏を貼ってやった。
「じゃあ、なぜトイラは私のことを嫌うの」
「ユキは誤解しているだけだ。トイラは ……」
 キースがそこまでいいかけて、顔を逸らして黙り込む。
「どうしたの、キース。何が言いたいの?」
「ううん、僕が言う問題じゃない。ユキが自分で見つけないといけないんだ。そのうちわかるよ」
「キース、お願い、教えて。私に何がわかるっていうの」
 キースは手当てを終えると、立ち上がった。
「僕、ちょっとトイラを探してくるよ。あいつこのままだと、自分から帰ってきそうにもなさそうだ」
 キースは悲しい笑みを浮かべて、自分は何もできないんだと目で訴えていた。
 そして、トイラを探しに出て行ってしまった。

 ユキはため息を何度もついていた。
 悲しみのこもった部屋の空気を入れ替えようと、庭に面している縁側の吐き出し窓を引いた。
 暫く夕暮れ時の空を見ていたが、ため息が止まらない。
 ユキは暫く気力がなく何もする気になれなかった。
 縁側に座って足をばたつかせる。
 キースが言っていた『自分で答えを見つけろ』という意味がわからない。
 縁側に座っていると、夕暮れ時の一日の終わりが切なく感じる。
 いつまでも座っているわけにはいかない。
 夕食の準備をしなければならなかった。
 立ち上がろうとしたその時、自分の名前が呼ばれたような気がした。
 それと同時に胸が痛み出し苦しくなる。
 胸を押さえ込みユキは顔をしかめていた。
 息苦しい。
 体を屈めていたとき、足元に人の影が落ちていた。
 喘ぎながら顔をあげれば、男が立っていた。
 黒いワードローブをまとい、フードをすっぽりと被っていた。




 その頃トイラは、近所の鳥居のある神社に居た。神秘的な空間。そこが一番自分の森に近い気がしていた。
 人の目を避け、裏手の木の麓に腰掛け目を瞑る。
 ユキに出会ってから、トイラは沢山の感情を抱いたことに気づく。
 愛、心の安らぎ、楽しさ、幸せ、温かい満たされた気持ち。
 それと同時に、恐れ、嫉妬、苦しさ、情けなさ、虚無感
 誰かを好きになるということは、これほどに感情が渦巻く。
 ユキと出会った事は後悔してない。
 出会えたからこそ、色々なことをユキから学んだ。
 だったら、この苦しみも喜んで受けてたとう。
 それもユキを愛するが上、必要といわれるならば。
 やっとそこまで結論付けたとき、誰かの気配を感じた。
「おい、邪魔をしないでくれ」
 トイラが目を開ければ、目の前にキースが立っていた。
「何を邪魔するってんだよ。僕が迎えに来なければ帰りにくいくせに」
「もう大丈夫さ」
 トイラは立ち上がった。
「よくいうよ。あれだけ派手に逃げといて」
 キースの言葉にトイラは「コホン」と咳払いする。
「だけど僕には羨ましいよ。それほどに誰かを好きになれるんだから。僕もこの世界に来て、正直なところ楽しいんだ。僕たちは森の守 り駒として生きてきた。いわゆる、戦士だよね。いつも戦っては、体は傷だらけ。それを何百年と繰り返してきた。ほんと森の事しか知らなかった。でもこっちの世界を知ってしまうと、ちょっと憧れちゃうね」
 ふたりは顔を見合わせ、軽く笑みをこぼす。
 しかし、それも束の間、緊張が走った。
 急に辺りがざわめきだし、不穏な空気がながれてくる。
 キースの鋭い嗅覚が敵の襲来を察知した。
「気をつけろトイラ。何かがやってくる」
 緊迫した空気。真っ黒い影が空を覆った。
 よくみれば、それは鳥の大群だった。
「来やがったぜ」
 トイラは黒豹に変身した。
 キースも合わせて狼の姿に変わった。
 鳥の群れは容赦なく二人の体をつつきまくる。
 牙を見せ、かみつき、足で抑え込みながらトイラもキースも抵抗する。
 暫くすると、鳥達が急にすーっと幕を引くように空に消えていく。
 不気味に静まり返り、トイラとキースは神経を高ぶらせていた。
「そこだ!」
 キースが側にあった小石を蹴ると、黒い影が空中に姿を現した。
「なかなかやるな。だが武器を持たないお前達には、所詮そこまでしか戦えない」
 ジークがとうとう現れた。
 だが、ゆらゆらと不安定に、その黒い影は時々歪みをみせる。
「ジーク。いい加減にしろ。太陽の玉を返せ。お前には使いこなせない代物だ。それこそ、猫に小判、コウモリに太陽の玉だ」
 トイラが叫んだ。
「いや、そんなことはない。私が森の支配者となり、そして全ての上に立つ。馬鹿にしてきた奴らを見返してやるのさ。太陽の玉を見せたら、掌返すやつがいっぱいいたよ」
 ジークがせせら笑っている。
「お前たちも私に従った方がいい。今一度チャンスをやろう」
「誰が、お前のような卑劣な奴に従うもんか」
 トイラは飛び掛った。
 あっさりとジークを地面に叩きつけて、その上にのっかかる。
 それはあまりにも簡単すぎて、キースの顔が怪訝になる。
「トイラ、何かがおかしい。そいつはジークじゃない」
 キースがそういったとたんに、トイラが押さえつけていたジークの体がカラスの姿になっていた。
「影武者だ」
 キースが叫んだ。
「しまった、カムフラージュだ。ユキが危ない」
 トイラもキースも獣の姿のまま、我を忘れて一目散に走っていった。
 このときユキは危険の真っ只中にいた。


「誰?」
 ユキは息を喘ぎながらその男をみた。
 不気味な笑みを口元に乗せて、いやらしく微笑んでいる。ジークだった。
 ジークはユキの胸倉目掛けて鋭い爪で引掻く、ユキのシャツが引き裂かれユキの胸元が露になる。
 ユキは殺されると思い、戦慄する。
「さあ、満月になるんだ」
 ユキの胸のアザがゆっくりと大きくなっていく。三日月だった形から、徐々に半円に近づいてきた。
「痛っ、く、苦しい。助けて」
 月の痣が大きくなればなるほど、恐ろしい激痛がユキを襲う。
「ほうら、どんどん月が大きくなるよ。もう少しだよ。もう少し我慢すれば、君は楽になる」
「わけの分からないこといわないでよ」
 苦しくてもユキは抵抗し、ジークに体当たし突き飛ばす。
「ユキ、無駄な抵抗は止めた方がいい。それで一度死んでるだろ」
 ジークは、ユキの頬を思いっきりぶった。
「ほうら、それ以上痛い思いしたくないでしょ。大人しくするんだ。人間の分際で生意気な。それにしてもトイラもなんでこんな人間に惚れたのか。ほんと趣味が悪い」
「一度死んでる? 人間の分際? 何、何を言ってるの」
 朦朧とする意識の中、ユキは正気を保とうと踏ん張った。
「おや、まだ記憶が戻ってないんだ。そっか、トイラが人間じゃないことも忘れているんだ」
「トイラが人間じゃない? なんのこと」
「おっ、やっと半月になった」
「あああああ」
 ユキは激痛に絶叫した。
「ユキ!」
 そのときだった。黒豹のトイラが弾丸のごとく現れ、ジークに襲い掛かり鋭い爪で背中を引き裂く。
 そしてキースも刃物のような牙でジークの足にかぶりつく。
 ジークは悲鳴をあげ、ふたりを追い払いながら与太ついた。
 ユキは胸を押さえながら、体を起こし、目の前の光景を見て驚いていた。
「大きな黒猫、銀の犬……」
 胸の痛みで、ユキは思うように呼吸ができず、肺に空気が入ってこない。
 めまいがしてあたりがぐるぐると回りだし、立っていられなくなった。
 そのままバサッと地面に倒れ込む。
「ユキ!」
 トイラが叫び、怒りに満ちて再びジークに飛び掛る。
 トイラがジークと戦っている隙にキースがユキを助けようと狼の姿で駆け寄った。
 それを見ながら、ユキの意識は遠のいていった。
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