Brilliant Emerald

第七章

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 辺りは薄暗い洞窟の中、目を凝らせば、かすかに周りがぼやっと見える。
 ゴツゴツとした表面に、所々ぬるっと艶を帯びたねっとりしたものがこびりついていた。
 地下水を含んでいるのか、時折上から水滴が滴り落ちる。
 ピチャっと地面で跳ねる音が遠くまで良く響き、辺りは静粛しきっていた。
 その洞窟の中で、ジークが左目を押さえ、傷ついた体を丸めてうずくまっていた。
 悔しいのか、寒いのか、体が小刻みに震えている。
 殺伐とした、寂しい空間は、ジークの孤独の心を映し出しているようにも見えた。
 トイラに引っかかれた背中と左目が、キリキリと痛み熱を帯びている。
 体が衰弱し回復まで時間を要した。
 しかし、目の前の大きなものを早く手に入れたいがために、心は待ちきれない。
 すぐにでも、ユキに近づいて、痣を満月にしたいが、このままで はトイラとキースにやられるのが目に見えていた。
 黄金に光る太陽の玉が、ジークのもう片方の手のひらの上で、弱い光を放ちながら浮いている。
 大蛇の森の守り主の前では、光り輝いていた太陽の玉も、 ジークの前では消えかけたランプの光のように、チロチロと不規則に強弱している。
「くそっ、早く月の玉が欲しい。これだけでは力は不自由分だ。折角あともう少しだったところを、トイラも、キースも邪魔しやがって。あいつらをユキから離さなくては」
 ご馳走を目の前にしながらありつけない。あともう少しだというのに。じれったい気持ちがジークを苛つかせる。
 ジークは太陽の玉の中を覗く。
 トイラを倒すために、あらゆる役に立ちそうな邪悪な力を探していた。
 そしてそこに映し出されたのは、五十嵐ミカの姿だった。
 教室で授業を受けているのか、ノートにシャーペンを走らせメモを取っている。
「誰だ、こいつは。しかしトイラに対して私と同じ思いを持つようだ。使えるかもしれない」
 ジークは、太陽の玉の中に映ったミカを見つめ、ニヤリと笑みを浮かべていた。
 焦る気持ちを抑え、夜になるのをじっとその洞窟で待つことにした。
 今度こそトイラをやっつけてやる。これは上手くいく。
 自分の計画に満足し、ニヤついてミカの様子を太陽の玉で暫く覗き込んでいた。

 不穏が迫っていることも知らず、授業をサボったユキとトイラは楽しむことしか考えられなかった。
「なんだ、ここは?」
 匂いに敏感なトイラは、辺りを嗅いで困惑し、警戒心を露にしている。
「トイラが気に入るかなと思って、ここにしてみたんだけど。一応私の理想のデートスポット、トップ5に入る」
 ユキが連れてきたところは動物園だった。
 何種類もの動物の匂いが漂っていたために、敵か味方か分からず、トイラは不安を抱きそわそわしていた。
 ユキは躊躇するトイラの手を引っ張って、ゲートを潜った。
 トイラが足を踏み入れたとたん、動物園が活気に溢れ、動物達の声が各地から騒がしく聞こえてきた。
 その声を聞くや否やトイラはほっとしたのか顔が晴れやかになっていた。
「俺、なんか歓迎されてるよ」
 照れくさそうに、辺りの様子をみながら、トイラは一つ豹の声で吼えてみた。
 すると益々動物園内は、動物達の声で賑わった。
 有名人にでもなった気分で、 ちやほやされることにいい気でいた。
「トイラ、やめてよ。皆見てるでしょ。ライオンキングじゃあるまいし」
 ユキは顔を赤らめる。
「ライオンキングってなんだよ。俺、ブラックパンサーだから」
 調子に乗ってるトイラの背中を押し、ユキはそそくさと群集から逃げていた。
 トイラは物珍しそうに魅入っている。
 トイラの森はどこかの森と繋がり、様々な動物との邂逅がある。あの森の空間は人間の世界とは滅多に交わらない異次元のようなものだ。
 カナディアンロッキーから来たとは言っているが、実際はそこに繋がるだけで正式な位置は誰にも分からない。
 ユキはそんな世界に紛れ込んでトイラと知り合った。
 他にも色んな動物が多々紛れ込んでくるが、未だに出会ったことのない動物もいた。
 トイラが象を目にしたとき、その大きさと鼻の長さに感銘を受けていた。 
 象もまた直感でトイラの特別な気を感じ寄って来る。
 『初めまして』とトイラは尊敬の念を持って一礼すれば、象もまた鼻を上げて下ろす動作をした。
 象なりにお辞儀をしているようだった。
 トイラは訳のわからない言葉、というより、不思議な音を出している。
 会話しているのか、象がそれに合わせて、鼻で相槌をとっているように見えた。
 ユキはその姿をみて微笑ましく思った。
「象と何を喋ってたの」
「他愛もない世間話ってところさ」
 動物との会話は、あまり人間には話してはいけないのか、トイラは内容を言いたがらなかった。
 教えてくれないトイラにむすっとしていると、トイラは『すまないな』とでもいっているのか、優しく笑ってユキの頭に軽く手を置いた。
 睨んでいた頃が嘘のように、トイラはユキに気を遣う。
 こっちが本当のトイラの姿だ。ユキは嬉しくて自分の手をトイラの腕に絡めてぎゅっと抱きついた。
 誰が見てもふたりは恋人同士に見えていた。

 トイラの行く先々で、動物の方から興味本位で近づいてくることが多かった。
 トイラに対して何か威厳を感じるのか、スターにでも会ってサインを求めてるようにも見えた。
「やはりトイラは森の守り主になるから、動物たちもわかってるんだ。偉大な力を持つもんね」
 ユキのその言葉は、トイラには重荷だった。
(偉大な力があるのなら、俺は一番最初にお前を救いたいのに)
 思うようにできない苛立ち、そして大蛇の森の守り主の言葉、『今のその気持ちではまだなれぬ』と言われたことが耳に残る。
 トイラはどういう気持ちになれば、森の守り主になれるのか考えていた。
 大蛇の森の守り主が死んでしまったこの時、後継者は自分しかいない。
 考えたこともなかった責任が、急に身に降り注ぐ。
 あまりにもそれは恐れ多く、自分では背負いきれない。
 不安がストレスを引き起こし、トイラは頭を掻きむしった。
「どうしたの、トイラ。まさか蚤?」
「馬鹿! なんでそうなるんだよ」
 トイラがムッとすれば、ユキは面白半分に笑っていた。
「人の気も知らないで」
 だが、何も知らないユキに八つ当たることではない。トイラはこの限られたひと時を大切にしたいと思う。
 必ずユキを助け出せる。
 そう信じようと、腹に力をこめていた。
「ねぇ、ここはトイラの専門よね」 
 ビッグ・キャッツ・ハウスと書かれた看板をユキは指差している。
 大型猫――トラ、ジャガー、ライオン、ピューマ――が一同にそこに集結していた。
 扇形のような建物の真正面のドアから入ると、目の前にはガラス越しに、それぞれ区分けされ大きな猫が一度に見渡せた。
「あっ、トイラの親戚がずらーり居る」
 ユキは友達のような気になってみていた。
「おっ、このジャガー美しいな」
 トイラが、ヒューと口笛を吹いた。
 ジャガーがトイラの方へやってくる。甘えた様子でガラス越しに頭をすりすりしている。聞こえないが、目を細めているところをみると、喉をごろごろ鳴らしているようだ。
「ヤダ!」
 ユキは思わず、トイラの腕に自分の手を回して、目の前のジャガーにふくれっ面をみせた。
 受けてたったのかジャガーはユキに向かって容赦なく威嚇する。
  シャーと牙を向けて唸っていた。
 ガラスがなければユキは襲われていたかもしれない。
「ユキ、止めろ。ジャガーと何争ってんだ」
「だって、トイラに気があるんだもん、このジャガー。トイラを取られるのヤダ」
「あのな、何考えてんだ。相手はジャガーだぞ。本気で張り合ってどうする」
 トイラは大型猫の施設からそそくさと離れた。頭を抱えて、ジャガーに本気になるユキに呆れていた。
「トイラ、待ってよ。だけどトイラ、あなたは人間の姿になれるけど、どうしてここの大きな猫たちはトイラみたいになれないの? 何が違うの?」
「俺達は特別さ、森の神に選ばれた森の守り駒だ。また違う種族なんだ」
 特別だからとそれで済ませたが、実はトイラにも良くわからなかった。
 なぜ自分は人の姿になれるのか。
 そして黒豹にもなれるのか。
 二つの存在が一つの体で表現できる。
 これの持つ意味はなんだろうと、トイラは真剣に考え出した。
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