Brilliant Emerald

第七章

3 

 勢いをつけて角を曲がって走って来た仁とキースがぶつかりそうに鉢合わせた。
「ジン、ドウシタ」
 キースが近寄ろうとすれば、仁は怯えて後ずさりする。
「キース、君もトイラと同じ仲間なのか」
「ナンノ コト?」
 そこへ、血相を変えたユキが同じように現れた。ハアハアと息が切れている。
「仁、待って」
 ユキが声を掛けると仁は戸惑いを隠せない。
 感情の赴くまま、苛立った気持ちをぶつけた。
「君はトイラが、あの姿だと知って、なんとも思わないのか。しかもあんなのにキスされて」
 全部見られていた。
 仁の失望した眼差しがユキを悲しませた。
「仁、聞いて。お願い、このことは誰にも言わないで。これには訳があるの」
「訳だと? 道理で僕はトイラの前にいると、くしゃみが出たわけだ。今になってやっとわかったよ。猫アレルギーだからね、僕は」
 ふたりのやり取りを訊いていたキースが間に入った。
「仁はトイラの黒豹の姿を見てしまったのか。しかもトイラとユキのキスまで……なんてこった」
 やれやれという顔をして肩を竦めた。
「キース、君、日本語が……」
 仁はまた困惑する。
「見られたのなら、隠しても仕方がない。ついでにこれも見て」
 投げやりにキースは狼の姿を披露する。
「これでわかっただろ」
 狼の姿で喋るキースに仁は後ずさって怯んでいた。
「一体、君達はなんなんだ。こいつらは化け物か。ユキ、君はとり憑かれているんだ」
「化け物って失礼な」
 キースはまた人の姿に戻っていた。
「仁、違うの。私、トイラとキースと向こうでもずっと友達だったの。でも訳があって、記憶がなくなってたの。やっと今朝、全てを思い出したの」
 断片的にあらすじを言われても、仁は理解できなかった。
「仁、もし君さえよければ、僕とトイラが説明するよ。このままじゃ、君も後味悪いだろう。それに今の君をこのまま帰してしまったら、僕たちが不安になる」
 キースが落ち着いて言った。
「僕をどうする気だ」
 落ち着きを完全になくしている仁。ユキはそばでおろおろと見ていた。
「本当のことを知って欲しいのさ、君ならきっと理解できる。ユキのこと好きなんだろ。そのユキがもうすぐ死ぬなんて聞いたら、君はどう思う?」
 不穏なキースの言葉は気持ちを乱していた仁の耳にストレートに届いた。
「ユキが死ぬ?」
 あまり口にしたくない言葉。その『死』という言葉の重さが仁に衝撃を与える。
 ユキの顔を見つめると、ユキはキースの言葉を認めるように悲しく頷いていた。

 キースが歩き出せば、仁は仕方なくついていく。時々ユキをちらりと見て、案内されるがままユキの家に上がっていた。
 側にトイラが寄ってくるとくしゃみを連発した。
「トイラ、悪いけど、離れてくれないか。クシュン!君が近くにいると、猫アレルギーでくしゃみが止まらないんだ。クシュン!それに僕、君が嫌いだ。ハック シュン!」
 仁は、ユキを取られた思いで、苛々していた。
「わかったよ」
 トイラは部屋の隅で、忘れ物をして廊下で立たされている子供のように立っていた。
 顔は面白くなさそうに、シャーと威嚇して仁を睨んでいる。
 重苦しい雰囲気の中、トイラ以外、みなソファーに腰掛ける。
 キースが中心になってこれまでの出来事を説明していた。
 全てを話し終えるのにかなりの時間を要していた。
 トイラはその間、腕を組み、隅で気だるそうに壁にもたれていた。
 ユキは成り行きをじっと見ている。
 その目は仁の協力が必要だと助けを求めていた。
 全ての事情を知っても、仁は何をどのように言っていいのかわからない。
 非現実的なことを聞いて、すぐに『はいそうですか』と納得いくような問題ではなかった。
 仁は顔を歪めどうすべきなのか必死に考えている。
 助けたいという気持ちの前に、わけも分からなく腹が立っている。それがトイラへの嫉妬であり、このありえない状況が嫌で対処できないことに苛立っていた。
「仁、ごめんね。あなたに甘えるだけ甘えて、ひどいことしちゃったね」
 ユキは自分に怒っていると思っていた。だがそれも仁の神経に障った。
「謝らないでくれ。君は何も悪いことはしてない。僕が勝手に思いをぶつけただけだ。ユキ、君の事情はわかった。だけどこのままじゃ君は、トイラに命の玉とというのを取られちまうんだろ。それは嫌だ。君は僕と同じ人間だ。君が住む世界はここなんだよ」
「わかってるわ。でも今はそれしか方法がないし、私それでもいいと思ってるの」
「ユキ、そんなにトイラが好きなのか」
「うん」
 迷わずに、はっきりと伝えるユキの顔に、仁は自分が入り込める余地がないと気がついてしまう。
 嫉妬を抑えきれず、勢いで立ち上がり感情のままトイラに怒りをぶつけていた。
「トイラ、本当はユキを助ける方法をすでに知ってるんじゃないのか。わざと知らないフリをして、ユキの命の玉を取ろうと思ってるんじゃないだろうな」
 これを聞いてトイラは怒り狂った。
 今にも噛みつかんばかりに歯を見せ、赤いペンキをかけたように激怒している。
 今にも飛び掛りそうに仁を睨みつけた。
「どれだけ、ユキを救いたいと俺が思っているか、お前にはわかるはずがない。知っていたら、今すぐ助けている!」
 凄みを利かせて、トイラは野生の本能のまま、仁に逆上していた。
 仁はそこに黒豹を重ねてみてしまう。一瞬でも恐れを抱いた。
 トイラは興奮しきって肩が上下に激しく揺れていた。
「まあまあ、二人とも、落ち着け。結局はどっちもユキが心配で、助けたいって必死なだけだ。とにかく、仁、頼む。僕たちに協力してく れ」
 一番冷静なキースはこの場をなんとか丸く収めようとしていた。
 仁は完全に納得できないでいる。
「僕は一体何をしたらいいんだ」
 ユキの事を考えたら他に選択はないように思えた。
「仁、ありがとう。トイラとキースのこと理解してくれるだけで、私は嬉しい」
 ユキが喜んでいる。
 その顔が見られないまま、仁はうつむいてじっとしていた。
 話が全て終わったときにはすっかり日がくれていた。
 心配するユキに見送られながら、仁は暗い夜道を物憂いに歩いて帰った。
 ユキを救いたいと思っても、あの話を聞く限り、人間である自分には到底かなわない。
 しかし、好きな人の命に関わる問題を、みすみす放っておける訳がない。
「一体僕に何ができる」
 トイラの顔を思い出すと、無性に腹が立って足元に落ちていた小石を思いっきり蹴り上げていた。


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