Brilliant Emerald

第七章

6 

 半日の授業が全て終わると、トイラは猫がするように、まっすぐ机に突っ伏して伸びをしていた。
「腹減った」
 あまりの空腹から、五十嵐ミカから貰ったクッキーを袋から取り出して食べようとする。
 それをみたユキは、思わず取り上げた。
「ちょっと待って、トイラ」
「どうした、たかがクッキーだろ。大丈夫だよ」
 ユキはどうしても何かひっかかり、クッキーをまじまじ見ていた。
 形は丸く、普通に焼き上げられた、どこにでもある手作りクッキー。
 匂いをかいで見ると、微かにシナモンの匂いがした。
 ユキは思い切って食べてみた。

「あっ、ユキ!」
 トイラは驚き、ユキの反応を気にしている。
 慎重に噛み砕けば、サクサクとしていて歯ごたえよく、意外と上手に焼けて味もいい。
「あっ、美味しい」
 素直にぽろっと言葉が出ていた。
「だろ、やっぱり普通のクッキーだって」
「だけど、どうして急に焼いてもってきたんだろう」
 ミカは数人の女子たちと一緒に笑っておしゃべりをしている。そこにクッキーを手にしてみんなに配っていた。
 近くに居た男子にも勧め、みんなからおいしいと絶賛されていた。
 その様子を見れば、特にトイラとユキのために作ったというものには見えなかった。
 今日は半日の土曜日。
 お弁当がない分、軽く何かを食べられるように作ったのかもしれない。
 ユキは悪口を言われていることは知ってるけど、ミカはまだばれてないと思っていれば、クッキーをお裾分けしてもおかしくはない。
 表面だけは一応友達なのだから。
「気持ちの持ちようか」
 ユキは自分の分を取り出し、もう一つ口に入れた。
 ユキがもらったクッキーにはチョコチップが入って、トイラが貰ったシナモン味と同じくらい美味しかった。
「ユキ、何食べてるんだ」
 キースが覗き込む。
 クッキーを差し出そうとすると、それを拒んだ。
「僕、今から図書室にいってくる。ふたりで土曜の午後を楽しんでね」
 ウインクしてさっさと去っていった。
「あいつ、俺たちを気遣ってやがるぜ」
 トイラは笑っていた。
 そして目の前のクッキーを手に取り、パクッと食べていた。
「シナモン味か……」
 考え事するようにトイラは呟いていた。
「あっ、そうだ。トイラ、ちょっと待ってて。私、矢鍋さんにノート返してくる。きっと部活で体育館にいると思う。すぐに戻ってくるね」
 ユキは走って教室を出て行った。
 次々と生徒は教室を出て行き、ミカも友達と一緒に並んで去っていった。
 トイラだけが一人教室に残り、ユキが戻ってくるのを待っていた。
 じっとしていると、眠たくなりまぶたが重く感じる。
 お腹も空いて体がだるくて力がでない。
 トイラは疲れのせいだと、その時はあまり気にしてなかった。
「なんか眠たいな」
 大きな欠伸をしているときに、誰かが教室に入ってきて近づいてきた。ユキにしては小柄だった。
 眠たくて目が霞み、はっきりとその人物が見えない。
 近くまで来たとき、それがミカたということにやっと気がついた。
「トイラ、ちょっといい?」
「ナニカ ヨウカ?」
 異様に眠く、それを振り払いトイラはミカと向き合う。何を言われるのか注意をすれば、ミカはにこっと微笑んだ。
「クッキー美味しかった?」
「アア、オイシカッタ。サンキュー」
 素直にトイラは答えていた。
「よかった。ねぇ、ちょっと私に付き合ってよ」
 その声は低く、頼みごとをしているのに、命令口調のようにきつかった。
 しかしトイラはそれに従った。
 体が勝手にミカの後をついて行く。
(俺、どうしちまった。なんか体が言うこときかない)
 ミカとトイラが学校の裏の雑木林へ歩いていくのを、偶然、仁が廊下の窓からみかけた。ユキがいないことをいいことに、他の女と歩いているトイラを見たからには、思わずユキに告げ口したくなる。
 これで喧嘩でもして別れてくれたらいいのにと、意地悪な気持ちになっていた。


 ミカは、人が来ない学校の裏の林へと足を向けていた。
 町の中心から離れた高校の裏手は山になっていて、竹やぶや林が学校の裏から飲み込みそうに茂っていた。
 時折、イタチや狸が顔を出すこともあり、普段はめったに人が入らない区域だった。
 ふたりは落ち葉をかさかさ踏み、時折り小枝を踏みつけパキッと折れた音を立てた。緩やかな坂道をミカが登れば、トイラもそのように歩いていく。
 自分の意思ではなく、体が言う事を聞かず、ミカに操られて歩いている。
 一体どういうことだ。
「ミカ、ドコヘ イク?」
「ん? とってもいいところよ」
 奥深くまで来たとき、ミカが振り向いた。その目はつり上がり、トイラに挑戦するような睨みを押し付けていた。
「ナ、ナンダヨ」
「トイラ、覚悟して」
 突然ミカが落ちていた太い木の枝を手にし、トイラ目掛けて襲い掛かった。
 かなり重そうであるのに、ミカはそれを軽々しく持って振り上げた。
 トイラは紙一重に咄嗟によけ、よたつく。
「ミカ、どうしたんだ」
「黙れ、ごちゃごちゃ言うな。コケにされた恨み晴らしてくれる」
 その声はミカのかわいい声ではなかった。ジークそのものだった。
 いつジークに取り憑かれたんだ。
 トイラは自分の浅はかさを嘆いた。
 ミカは容赦なく木の枝を振り上げどんどん攻撃をしかけてくる。
 トイラはそれを避けるだけで精一杯だった。
 それになんといっても、ミカは自分の敵ではない。
 攻撃などできるわけがなかった。
 普段のトイラなら逃げ切ることができるのに、体が鉛のように重く、いつものように動けない。
 気を許せばミカにやられてしまいそうだ。
 トイラはやっと気がついた。
 シナモン味のクッキー。
 あれには体の動きを鈍らせる、魔物の実が入っていた。
 魔物の実──。
 それはどんぐりほどの大きさで丸く、固い殻で覆われた木の実だ。
 人間が食べてもなんともないが、トイラのような森の守り駒が食べると筋肉の動きを鈍くする。
 匂いはシナモンと似ていて、摩り下ろして粉にすればスパイスと判別がつかないものだった。
 まさかミカが魔物の実の存在を知ってるとは思わなかったので、シナモンの香りに気がついてもトイラは疑わなかった。
 迂闊だった。
 トイラはミカ相手に焦っていた。
 その様子を太陽の玉に映してジークは見ていた。
「愉快だ。実に愉快だ」
 笑いが止まらない。わくわくが止まらない。楽しくて仕方がない。
 自分の出る幕が来るまで娯楽番組を観るように高見の見物をしていた。


 ユキが教室に戻ると、トイラが消えていた。
 慌てて探しに向かい辺りを探せば、仁と出くわした。
「ユキ、トイラを探しているのかい」
 含みを帯びた笑い。仁は自分が嫌な奴だと分かっている。でも正直に言わずにはいられない。
「うん、どこに行ったんだろう」
「かわいい女の子と歩いて、どっか行ったよ」
 ユキの驚いた顔が、仁の思う壺だった。
「かわいい女の子って、もしかして背が小さくて、チワワのようなイメージな子?」
「そういえばそんな感じだったかな」
 ユキははっとした。
 やはりミカがトイラに何か復讐をしようとしている。
「仁、二人はどっちへ行ったの?」
「学校の裏に向かって歩いてたよ」
「お願い、仁、図書室にキースが居るの。トイラに危険が迫ってるって言って裏手にすぐにつれてきて。早く!」
 ユキは血相を変えて走って行った。
「ユキ、どうしたんだよ」
 仁は首をかしげて、渋々と図書館にキースを探しに向かった。

 ──胸騒ぎがする。
 ユキは一目散に走った。
 躓きそうになりながらも、必死でトイラを探した。
 裏山に入った直後、また胸が疼き出した。
 ジークが近くに居る。
 しかしトイラが心配で、自ら危険の場所に足を踏み入れていく。
 胸の痣の疼きはどんどん大きくなり、痛みが増してきたとき、前方にトイラの姿を捉えた。
 トイラは地面に倒れこんで赤く染まった肩を抑えている。
「トイラ!」
 ミカは動けないトイラに木を振り上げ叩きのめそうとしている。
「止めて、五十嵐さん」
 ユキは思いっきりミカに体当たりすると、二人は勢いで転んで地面に横たわった。
 トイラは激しく息をしてそれを見ていた。
「ユキ、来るな、逃げろ。そいつはジークに操られている。早く逃げるんだ」
「嫌よ、トイラを放って逃げられる訳がない」
 ミカはユキが押し倒した衝撃でどこかで頭を打ったのか、気を失っていた。
 そのときだった、不気味な笑い声が聞こえ、さっとジークがユキの側に現れた。
 ジークの左目は前回トイラに引っかかれた傷がそのまま残っていた。
「やっと、私の出番がきたようだ」
「ジーク!なんて汚い奴。関係のない人間を巻き込むなんて」
 トイラが吼えた。
「関係がないだと、この子はお前を私のように憎んでたようだが。全てはこの子が自分でしたことさ。まあ多少協力してやったけどね」
「くそっ!」
 怒りがトイラの体から湧き出るが、動けない事がより一層悔しくてたまらない。
 ユキの傍に行くことすら困難だった。
 一方でユキはジークの出現で、胸の痛みが一気に強まり、うずくまって苦しんでいる。
 そこを容赦なくジークが近づいた。
「さて、ユキ、一緒に来て貰おうか」
 ジークがユキの制服のブレザーの襟を両手で掴み持ち上げた。
「あっ、あああー」
 ユキは激しく悲鳴を上げる。
「ユキから離れろ」
 懇親の力を込めて必死に立ち上がり、トイラはよたついた足取りで立ち向かうが、もう体が限界で立つことすら苦しい。
 ジークの足元で突然ばたっと倒れてしまった。
「あっははははは。愉快だ。トイラが立てない」
 ジークは足でトイラの頭を踏みにじった。
 トイラの顔は半分地面に埋もれていく。
 悔しい気持ちが顔中に現れ、歯をむき出しにし、必死に抵抗しようとするが、それ以上動くことすらできなかった。
「ジーク、やめて!」
 ユキは苦しみの中声を絞り出して叫んでいた。
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