Brilliant Emerald

第八章

4 

 柴山が車を走らせていると、目の前に細身で長身の男が、与太ついて歩いているのが目に入った。
 普通に追い越したが、バックミラーで再度その男をみれば、地面に倒れこんでいる。思わず車のブレーキを踏んだ。
 車を降り、心配して駆け寄って体を起こしてやる。
「おい、しっかりしろ。大丈夫か? あらま、また外国人」
 それはジークだった。
 柴山はジークを抱えながらニヤリとしてしまう。
(顔も体も傷だらけだ。さっきのトイラといい、これは何かあるぞ)
 迷わず、その男を抱きかかえて、車に乗せた。

 仁は動物病院で、良子の話し相手となっていた。
 柴山が現れて、良子は昔のことが蘇ったのか、愚痴をツラツラと吐き出していた。
 仁は同じことばかり何度も聞いたのか、うんざり気味だった。
 しかし、友達を手当てしてもらった恩があるので、我慢して付き合うしかなかった。
「それでね、仁、あいつほんと勝手な奴で、必ず立派なカメラマンになるからとかいいながら、結局挫折して三流止まり。私が先に夢を叶えたから、劣等感抱いちゃって、最後は喧嘩別れってな感じよ。どうして男ってプライドが高いのか」
「良子さんは、結局はまだ柴山さんのことが、どこか忘れられないんじゃないの。だって甥の僕から見ても、良子さんってきれいだしさ、もてると思うのに、その年で未だに結婚しないっておかしいよ」
「やだ、仁、あんたもそんな生意気な口をいうようになったのね。このぉ」
 良子は仁のほっぺをつねっていた。
 仁は痛がっていたが、これも我慢だと耐えていた。
 そのときまたドアが開いて柴山が戻ってきた。
 ジークを肩で担いでクリニックの中へと入ってくる。
「良子、悪いんだけど、また怪我してる外国人、みつけちゃったよ。ちょっと診てやってよ」
「えっ、また、人間? だから私は獣医だっていうの!」
 柴山の担いできたジークを見るや否や仁は驚愕する。
「ああ!」
「どうしたんだ、仁。なんか変だぞ、お前」
 仁を見る柴山の目が鋭さを増していた。
「えっ、別になんでも」
(どうしよう。こんなことって。だけどこいつをやっつけるチャンスかもしれない)
 仁は、急に鼻息が荒くなって、何かをやる気になっていた。


 ジークは診察室で、椅子に座らされ、良子が傷口を消毒していた。
「この傷は、獣に襲われた感じよね。もしかして、今噂になってる、狼と豹にひっかかれたとか?」
 良子が半分冗談交じりでそういうと、柴山の好奇心の血が騒いだ。
 傍らで仁はジークを睨みながら、注意深く観察していた。
 ジークは視線に気がついたのか、仁と目を合わせた。
 その挑むような睨みで、すぐにトイラの仲間だと気がついたが、仁をみてにこっと微笑む。
 ジークは微笑むと優男にみえ、凶暴さが消えていた。
 その笑顔に仁は意表をつかれ、さっきまでの意気込みが突然弱くなってしまった。
「倒れたところを助けていただいた上に、傷の手当てまでして下さって、ありがとうございます」
 ジークは丁寧にお礼を述べた。
「あら、あなたも日本語が上手いのね。だけど、こんな傷だらけになって、一体何をしたの」
 良子はトイラの怪我といい、ジークの怪我といい、二度も外国人の手当てをして狐につままれたような気分になっていた。
「ちょっと猫の尻尾を踏んでしまいまして、引っ掻かれたという訳で、お恥ずかしい限りです」
 ジークは情けないといわんばかりに、苦笑いを浮かべていた。
 良子はどこか納得いかない顔になりながら、首を傾げていた。
 だがジークは嘘を言ってないと仁は思った。
「あんた、トイラって少年を知ってるか」
 柴山が、突然、単刀直入に訊いた。
「いえ、知りません。それが何か」
 ジークは穏やかに嘘をついた。
 そのとき仁は、『嘘つき』といいたくなるも、それをここで声に出して言えないことにぐっとこらえた。
「いや、トイラっていう外国人も傷を受けて、ここでさっき手当てしてたんだよ。仁の、ああ、こいつのことだけど、友達なんだ。あとユキちゃんっていうトイラの彼女も一緒だったんだ」
「えっ、ユキちゃんは仁の彼女じゃないの?」
 姉の話から良子は仁とユキが恋人同士だと思い込んでいた。
「良子は鈍感だな。仁は片思いさ」
 柴山が仁の顔を見て確認しろと、指を差していた。
 仁はむすっとして、この件には触れて欲しくなく目線が逸れた。
 ジークはそのやり取りをじっとみていた。
 口元はニヤリと笑っている。
 そのとき、柴山の携帯が鳴り、建物の外へ彼は出て行った。
 同じように受付に人が来たのか、良子も対応でその場を去った。
 診察室で仁とジークが二人きりになってしまい、仁は緊張していた。
「何も緊張することないさ、私は君に危害を加えない。君の知り合いに助けてもらって感謝してるぐらいだ」
「お前は僕の敵にはかわりない。ユキをこれ以上苦しめるな。トイラに太陽の玉を返せ」
 拳を力強く握り、背筋を伸ばして精一杯挑むように睨んでいた。
「ユキのことが好きなのか」
「そんなことお前には関係ない」
「どうだ、助けてくれたお礼もあることだし、私と取引をしないか」
 ジークは目線を上目遣いに、子供がおねだりをする目で、仁に笑みを浮かべていた。
「取引ってなんだよ」
「私がユキを助けられる方法を知ってるといったら、君はどうする?」
「嘘だ! お前はすぐ人を騙すそうじゃないか。誰が信じるか」
 そういわれることがわかっていたのか、ジークは、ふっと笑いを漏らした。
「トイラはユキを助ける術を知らない。私がユキに近づけばユキは確実に命を落とす。だったら私がユキに近づかなければいいことになる。どうせ人間の寿命は 100年もないだろう。その間ユキが太陽の玉から離れて、月の玉を持ってればそのまま生きていられる。私の命は君達より遥かに長い。たった100年く らい待てるよ」
「いや、信じるもんか。それに逃げても、トイラは必ずお前を探し出して、太陽の玉を取り返すはずだ」
「わかってないな、君は。ユキが好きなんだろ。このままトイラにユキの心を奪われた状態でいいのか。ユキは人間だ。人間は人間同士だろ。トイラが居る限り、ユキの心はずっとトイラに向いたままだ。君には絶対振り向かない」
「何がいいたい?」
 仁は苛々していた。
「だから取引だっていってるんだ。君がトイラとキースをこの町から追い出す。そうすることで、私はユキに無理やり近づかないと約束しよう。さらに私の力 で、ユキからトイラの記憶を消してあげるよ。そして私はただユキの寿命が燃え尽きるのを待つだけだ。そうすれば君はユキを助けたことになる」
「そんなことできる訳がない」
「それは、君が実行できる訳がないと言ってるのかい? それとも私が約束できる訳がないと言ってるのかい?」
「どっちもだ」
「なるほど。じゃあ、ユキをトイラに取られたままでいいのか。そして、もしトイラがユキを助ける方法がわからなかった場合はどうだ? ユキは永遠に君の前から消える」
 最後の言葉だけ声を低くして、意地悪くジークは言う。
 仁は、それに反応してはっとしていた。
「どうだい、これでも、私と取引しないのかい? ユキは本当にこの世界に未練はないんだろうか。今ユキを助けられるのは君しかいないよ」
「ユキを助けられるのは、僕だけ……」
 仁は、ユキを救いたい気持ちで心揺れ動く。
 心の微妙な変化を、ジークは仁の睨みが緩んだ目から感じ取った。
(フフフ、迷っている)
「方法だが、簡単なことだよ。君がトイラとキースの秘密を公に漏らせば、興味のある人間が食いついてくるだろ。それに、豹や狼の姿のままで捕らえられたら、 奴らはすぐに動物園か、どこかの研究所送りさ。秘密がバレたら、もうここには居られないし、そして誰かが捕まえるか、または危険な存在だと判断して撃ち殺してくれるだろう」
 仁は、この時自分の置かれている立場を一瞬見失ってしまった。
 すぐに理性を取り戻し頭を左右に激しく振って払いのけ、はっきりといった。
「友達を裏切るようなことはできない。そんなの絶対嫌だ!」
「まあ、いいでしょ。一週間待ちましょ。私も今は体が弱りきっている。少し安静にして、体力を蓄えておきます。そして君がこの一週間以内に、何も行動に移さなかった場合は、仲間を連れてユキを奪いに行く」
 突然、豹変するかのように、容赦しない態度を仁に見せ付けた。
 仁の心臓は、急に激しく動いたのか、息苦しくなった。
 ジークはおもむろに立ち上がり、診察室を出て行った。
 仁はすぐに後を追う。
 待合室の受付で良子がお客と犬のケアについて対応していたが、ジークがポケットから何かを取り出して、粉のようなものを良子の方向に向けて振り掛けてい た。
 それはキラキラと銀の細かい砂のようで、ゆっくりとその姿を消していく。
 柴山もまた待合室にちょうど入ってくると、同じようにジークは粉を振り掛けていた。
 何もなかったようにジークは堂々とドアから去っていった。
 心臓の高まりが暫くドキドキと高鳴りながら仁はその場で立ちすくんでいた。
「ねぇ、柴山さん。さっきの男だけど……」
 仁がそう言いかけたとき、柴山は不思議な顔をしていた。
「さっきの男? 誰かいたの? もしかして、良子の男か? おい、良子、ここに男が来てるのか?」
 慌てて接客中の良子に聞いていた。
「今、仕事中。そんな男、あんたしかきてないわよ。ごめんなさいね、ちょっとうるさいのがきちゃったもんで」
 良子は目の前のお客に気を遣いながら、答えていた。
(えっ、ジークのこと、二人は覚えてない。奴は記憶を本当に消してしまった)
 仁はジークの言っていた言葉を、このときになって深く考え出した。
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