Brilliant Emerald

第九章

3 

「ジーク、またお前か」
 トイラは黒豹の姿となり、まだ体は充分に動けないが、ユキを守ろうと必死の攻撃態勢だった。
 キースも側で狼になり、牙をむき出して唸っていた。
「ちょっと待って、おかしい」
 そういったのはユキだった。
 そして黒いワードローブをまとった男は、黒豹のトイラと、狼のキースを見るや否や、急いで走って逃げていった。
 キースが後を追いかけようとしたが、ユキが止めた。
「待って! キース」
「どうしたんだユキ」
 トイラが人の姿に戻りユキの側に寄った。
 キースも人の姿になり腑に落ちない顔をしていた。
「あれはジークじゃなかった。全然胸が痛くならなかったし、背もジークより低かった。あれは……」
 ユキが言いかけたが、その後声に出さなかった。
(あれは、仁)
 いくら黒っぽいワードローブを身にまとって顔を隠していても、靴ですぐにわかった。
 咄嗟に逃げたのもトイラの近くでくしゃみしないためだ。
 自分の匂いに警戒して香水までつけて、キースの嗅覚をごまかそうとしてまで何がしたかったのか。
 ユキはこの時まだ仁の行動が読めなかった。
 ただ仁が何かをしようとしているのだけは、胸騒ぎとともに感じていた。
「とにかく家の中に入りましょ」
 三人は、すっきりしない表情で家に入っていった。
 ユキはドアを閉める前に釈然としない面持ちで、もう一度後ろを振り返った。
 辺りの暗闇がぬかるみを帯びた嫌 な気配を漂わせているように見えた。


 ハアハアと息を切らせて、後ろから誰も来ないことを確かめると、フードを頭からはずす。
 仁の顔がそこにあった。
 その後から白いミニバンが仁の元へやって来ると、それに素早く乗った。
 運転席では信じられないという強張った顔で、柴山が車のハンドルを握っていた。
「仁の言ったことは本当だったんだ」
「写真ちゃんと撮った?」
「ああ」
 柴山圭太はユキの家の庭に入り込み、隠れてトイラとキースの写真を撮っていた。
 まだ自分が見たものが信じられないのか、仁の顔を見て再度確認する。
「柴山さん、スクープでしょ。これなら文句なしに注目を集めるよ」
「仁、これはすごいよ。こんなこと目の前で見た俺でも、ぶったまげたよ。だけど、どうして俺にこんなこと教えるんだ」
「そ、それは、あれだよ、良子さんのためだよ」
 仁はユキの胸にある月の玉の秘密と、ジークとの取引きのことまでは話せなかった。
 咄嗟に嘘をつく。
「良子のため?」
「良子さんはまだ柴山さんのこと忘れられないんだよ。柴山さんが有名なカメラマンになったら、迎えに来て貰えるって未だに信じてるんだ。良子さんももう若くないしさ、ついほっとけなくて」
「仁! お前、そんな理由で俺に手柄を立てさせようとしてるのか。わかったよ。お前の期待に応える様に頑張るよ」
 なんとかいい方向にいったのか、仁はほっとしていた。
 しかしこの後が正念場だった。
 仁はこれから上手く事が運ぶことを願った。
 全てはユキのため、ユキを救うためと心を鬼にした。


 その晩ユキは何度となく仁の携帯に電話を掛けようとしていた。
 あれが仁だったのか本人の口から確かめたかった。
 だけどキスのことを思い出すと、どうしても掛けられなかった。
 ユキはダイニングルームのカップボードの棚に置かれた電話機の前で、何度も受話器を取っては置いたり、数字を押してはまた切ったりと、そればかり繰り返 していた。
 風呂から出てきたトイラが、スウェットスーツ姿で現れ、タオルで頭を拭きながらユキの行動を見ていた。
「ユキ、何してんだ?」
「えっ、別に何も」
「誰に電話しようとしてたんだ? 仁か?」
「ううん、違うの、電話壊れているんじゃないかなって思って調べてたの」
 目を逸らしているその態度は誰が見ても嘘だとわかった。
「ユキは嘘をつくのがへたくそだ。ほら、正直に言え。今日、仁と一体何があった」
 トイラに両肩をつかまれ、じっと覗き込まれるように見つめられると、胸の引き出しがスーッと開いたように我慢していたものが飛び出した。
 うっうっと締め付けられるような泣き声を立てて、トイラにしがみついた。
「おいおい、その調子じゃ、仁にキスでもされたか」
 ぴったりと理由をあてられて、ユキの泣き声が一段と激しくなった。
「やっぱりそっか。ユキ、泣くな。そんなこと俺気にしないから。それよりも俺が忘れさせてやるよ」
 抱きつくユキを体から離して、体をかがめ、ユキの口に優しくキスをしてやった。
 ユキはほんとにぴたっと泣き止んでいた。
「もっと、忘れさせてやる。さあ、こっちこい」
 トイラは手を引っ張って階段を上り、ユキを自分の部屋に連れて行く。
「えっ、トイラ、ちょっと、な、何するつもり」
 ユキの心臓がドキドキしだした。

 トイラが部屋のドアを閉めて、ユキをみつめた。
 真剣な表情そのものだった。
「俺に任せろ。絶対気持ちがよくなるから」
「えっ? 何が……」
 段々とゆっくりトイラが近づいてくる。
 ユキは思わず目を瞑ってしまった。
 暫くずっとそのまま立っていたが何も起こらない。
「おい、いつまで目を瞑ってそこで立ってるんだ。早く座れよ」
 ユキが恐る恐る目を開けて前を見ると、トイラは床に座り込んでいた。
 目の前に小石が数個おいてあった。
 ユキが呆然としていると、トイラはユキの手を引っ張って、 無理やり座らせた。
「ほら、今から説明するから。いいか、この小石を全部積み上げるんだ」
 ユキの目が点になっている。
「トイラ、これ何?」
「これは俺達、森の守り駒の秘伝だ。まあおまじないというのか、縁起担ぎというのか、とにかく、心を軽くしてくれるものなんだ。こうやって石を全部積んでいくんだ。これがなかなか難しいんだぜ。やってみろ」
 ユキは訳がわからないまま、そこにあった形が様々な小石を積んでいった。だが平らじゃなくてなかなか上に積めない。
「ユキ、よく考えなくっちゃ。それぞれの石の形をよくみて。ただ積もうとするだけじゃ、絶対できないよ」
 何度も何度も積み上げてもすぐに倒れる。
「ほらよく見て、これとこれをこうやってこうするんだ」
 トイラがやると、簡単に積み上げていった。

「でもこれ何? なんのためにこんなことするの?」
「集中力が高まって、できたときの達成感が気持ちいいんだよ。やるとはまるぜ。森では悩みがあるとみんなこれをして、忘れようとするんだ。考え事をしていたら絶対にできない作業だからね。ユキももう一回やってごらん」
 言われるままに、ユキは神経を集中してやってみた。途中トイラのアドバイスもあり、今度は奇跡的になんとか全部積み上げられた。
「あっ、できた。ほんとだ、できるんだ。すごい」
「なっ、気分いいだろ」
 ほんのちょっとの数秒積み上げられたままだったが、その後ぐらついてあっという間に崩れてしまった。
 ユキはその石を見てると急に笑い出した。
 石の積み上げごときに真剣になれる事がおかしい。
 トイラも一緒につられて笑っていた。
 トイラが立ちあがって、ユキに手を伸ば した。
 ユキはその手を掴んで立ち上がると、トイラは引き寄せて抱きしめた。
 柔らかいと思ったそのとき、目の前には黒豹が立っていた。
「やだ、トイラいつのまに変身してたのよ」
「もふもふしてて、こっちも悪くないだろう。」
 黒豹のトイラもユキはもちろん大好きだ。
「ねぇ、トイラは人間の姿と黒豹とどっちが本当のトイラなの?」
「えっ? どっちっていわれても、どっちも俺さ。どうしてそんなこと聞く?」
「どっちの姿のときに私と一緒に寝たいのかなって思って」
「えっ? なっ、なんだよ、露骨に」
 トイラはユキからそんな質問がでるとも思わず、面食らっていた。
「なんてね。アハハハ、おかしい。トイラが焦ってる」
 トイラは黒豹の姿のままユキのホッペをペロリと舐めた。
「お前、食っちまうぞ」
「いいよ」
 真剣な顔をしてユキは答えた。
「ば、馬鹿、そっちの意味じゃなくて」
 慌てるトイラを見て、ユキはまた笑っていた。
 二回もトイラをからかうことができて愉快だった。
 トイラはまた人の姿に戻り、突然ユキを抱きかかえた。
 そしてベッドの上に寝かせて、その上に自分ものっかった。
 二人は暫く見つめ合う。
 全く怖がらないユキに、トイラはふっと笑いをもらした。
「あーあ、完全に俺の負けだ。ユキの勝ち」
 トイラはベッドの端に寝転がった。
「別にいいんだよ、トイラ。私の体がまだあるうちに、命の玉を取る前に ……」
 トイラの顔が急に強張った。
「止めろ、ユキ。そんな理由のためだけに俺はお前を抱けない」
 ユキは悲しみをひそめた目をして、トイラの方に顔を向けた。
「ユキ、絶対お前を救う。だからそんな顔するな。頼む」
 トイラはユキを優しく抱き寄せた。だがトイラの体全体が嘆くように震えていた。
「ごめん、トイラ。私そういうつもりで言ったわけじゃなくて。あの……」
「わかってるって。お前の傍にいるだけで俺は ……」
 その後、言葉は要らなかった。
 二人はそのまま抱き合って一緒に眠りについた。
 お互いの温もりが心地よかった。

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