15

「麻弥に初めて会った時言ったよね。僕には彼女がいるって。そして遠くへ行ってしまうから、僕は追いかけら れないって。それがおばあちゃんのことなんだ。おばあちゃんは僕の彼女だったんだ。僕の彼女の名前はニイノ。おばあちゃんはすっかり歳を取ってしまい、ま もなく寿命をまっとうして僕から去ろうとしている。僕を抱きしめてくれたこの身体ともお別れ。本当に今までありがとう」
 おばあちゃんは泣いていた。その涙をリュウゴは優しく拭ってやった。
 私は特に慌てることもなく、箱から一枚写真を選んでそれをおばあちゃんに見せてあげた。
「これ、リュウゴがおばあちゃんよりも年上だったときの写真。この時のおばあちゃんは私みたいに高校生だったね。この時からリュウゴは今と全く同じ姿。髪の毛は伸びたりするけど、リュウゴは本当に歳を取らない」
 おばあちゃんはその写真を見て動揺していた。もっと見たいだろうと思ったので、私は適当に他の写真を手にして、時系列に次々とおばあちゃんに見せてあげた。
 おばあちゃんは歳を取っていくけど、一緒に写るリュウゴは全く歳を取っていない。そしておばあちゃんは困惑して私を見つめた。
 だから私はおばあちゃんの名前を呼んであげた。
「麻弥ちゃん。そういう訳なんだ。リュウゴは不老不死なの」
 その時おばあちゃんは叫んだ。やっと口がスムーズに動くようになったみたいだ。
「返し……て、わた、しの……か、ら、だ」
 麻弥がリュウゴに助けられてこの家に初めて来たとき、私がおばあちゃんだった。麻弥を見れば、私はすぐに気に入った。
 今度はこの子になれるのね。
 未熟で完成しきってない風貌。中身が変わればこの先素敵に変われるようなダイヤモンドの原石みたいだった。私は麻弥に質問を浴びせ、必要な情報を引き出 した。麻弥になるためだ。麻弥もリュウゴに恋をしたことで私のリュウゴに対する思いと共鳴し、私は麻弥に乗り移れる準備が整った。麻弥の手を取り、私に備 わった特別な力でふたりの心を入れ替える。私が歳を取る度、何度と繰り返してきたことだった。
 そして私たちは入れ替わり、私はその日から麻弥の身体に入って生まれ変わった。その時、みんなが急に変わったと言い出したのも当たり前だ。すでに中身が 違っていたのだから。その後、私は自分の努力を怠らなかった。与えられたチャンスに感謝してやれるだけの事をやる。リュウゴのために素敵な女性になりたい 思いがそうさせた。
 外見は変わっても、リュウゴは必ず中身を見てくれる。分かっていたから、私は違った入れ物の中で精一杯自分を表現しなければならなかった。
 そんなときに愛美里が現れ、私からリュウゴを奪おうと策略を立てた。家に押しかけ、中身が麻弥のおばあちゃんと会い、そこで麻弥は愛美里に助けを求めた。必死に自分が同じクラスの麻弥だと伝え、私が偽物の麻弥だと知らせようとした。
 愛美里は助けようとするどころか、事情を知れば自分が乗っ取られるかもしれないと恐怖して、麻弥から掴まれた手を必死に振り払って一目散に逃げた。それから私を怖がりだした。
 麻弥がどんなに身に起こった事を説明して騒いでも、年だからボケたと言うだけでみんなが納得してしまう。
「返して、私の、からだ」
 麻弥がまた叫ぶ。でもその声は年老いて弱々しかった。
「ごめんね、麻弥。もう返せない。だけど私はあなたの体を大切に使わせてもらうわ。一生懸命勉強し、この先いい大学に入って、いいところに就職して、あなたの両親も喜ばせてあげる。安心してね」
「いや……」
 私はリュウゴと寄り添い、ベッドに横たわる年老いた老婆を悲哀の混じった目で感謝の気持ちを抱きながら見下ろした。
「これでもう何度目かしら」
 リュウゴを見上げ私は訊いた。
「時代の移り変わりを何回も見てきたし、世界のあちこちで過ごしてきた。あまりにもそれは長くて、僕はもう覚えてない。ただ、別れはやっぱり辛かった。君 の心が他の人に移っても、どの体にも愛着というのは湧くからね。そして、いい時代ばかりじゃなかったから、時には生きるのも疲れたこともあった」
「だから私が必要なの。私は新しい体がある限りあなたの傍にいられる。あなたは好きにその体を選べばいいだけ」
「外見は違っても、ニイノだからやっぱり僕は好きになる。僕はニイノしか愛せない。また新しい体で恋が始まるね」
 私たちがいちゃいちゃとしているのを、麻弥は涙目になって見ていた。
「麻弥、あなたが悪いのよ。安易に死のうなんて考えるから。こんなことになるなら、あの時、助けられずに飛び込めばよかったと思う? でもリュウゴに助けられてよかったって思ったのも事実でしょ」
 麻弥の息が弱々しくなっている。最後に麻弥は何を思っているのだろう。
 私はなんだかその答えが知りたくなった。
「ねぇ、教えて、麻弥。あなたが今思っていること」
 麻弥は私とリュウゴを見つめながら最後の力を振り絞って唇を振るわせた。そして麻弥は力尽き、深い眠りに落ちていった――。

 人で溢れかえったざわつくプラットホーム。音が割れたように流れる構内の案内放送。電車の出入りの音。それを知らせる駅メロディー。はっとしたとき、私はちょうど駅構内の階段を下りたところだった。
 朝の通勤、通学ラッシュ。その流れに私も身を任せプラットホームを歩いている。どういうことだろう。一体何が起こったのか。
 私は老婆になって死に掛けていたはずだった。自分の姿を確かめれば、制服を着ていた。
元に戻ってる。私は高校生の麻弥だ。
 一体何が起こったのだろう。
 訳のわからないまま、私は周りの人の波に流されている。
『二番線に電車が参ります。危険ですから白線の内側までお下がり下さい』
 このシチュエーション。私は確か……。
 その時後ろを振りむくと、見た事があるかっこいい男性が見えた。リュウゴだ。
 私は一体どうすればいい。
 このまま学校に行けば、嫌われ者の一人ぼっち。ホームに飛び込もうとすれば、リュウゴに助けられて私は恋に落ちる。でも体はニイノに取られてしまう。
 ならば、何もしないまま見送る。
 何もしないまま……
 その時、リュウゴの動きが早くなり、私を横切っていく。私がそれを目で追っていると、リュウゴはホームの先にいた女子高生の腕を掴んでいた。
「えっ?」
 リュウゴはその女子高生の腕を持ったまま、邪魔にならない奥へと引っ込んでいった。
 どこかで見た光景だ。あの時の私と全く同じだ。
 私は気になり、ふたりがいる前をわざとゆっくりと歩いて、その女の子をじろじろ見つめた。その女の子は私と目が合ったけど見なかったふりをして目を逸ら す。その様子は自信なさげに、見ていてもどかしい。あれは何もしてこなかった結果だ。衝動で死のうとする弱い人間の姿。私はそれがいやで違いを見せるため にわざと背筋を伸ばす。
『ねぇ、教えて、麻弥。あなたが今思っていること』
 ニイノの声が聞こえたように思えた。
 私が思っていること、それは……
あんなこと二度とごめんだ
 私は関わりたくないと、ふたりから離れて自分の行くべきところへとさっさと歩いていった。
 少し喉の渇きを覚える。なんだか無性にカモミールティが飲みたくなっていた。今は落ち着きたい。ゆっくりと見つめ直してみたい――そんな気に駆られる。
 カモミールティを飲めばこの悪夢も優しくなりそうな気がした。
 もしこれが現実の世界であるならばだけど……。
 そうであってほしいと私は願っていた。

(了)

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