『二番線に電車が参ります。危険ですから白線の内側までお下がり下さい』
 放送が流れて、体がホームから線路側に倒れ掛かったとき、私の腕を彼が咄嗟に掴んで引っ張ったのだった。
「君、危ないよ」
 あの時、私は頭が真っ白だった。
 彼に引っ張られるまま私は足を動かした。ホームの後ろ、人の邪魔にならないところまで来ると、顔を上げ彼と向き合う。
 朝の忙しい通勤、通学ラッシュ。ほとんどの人が無関心に私たちの側を通り過ぎていくなか、一人の女子高生だけがおもむろに私をじろじろ見ていた。一瞬目が合ったけど見ないふりをすると、彼女はこれ見よがしに背筋を伸ばし何事もないように行くべきところへと去っていった。
 私は落ち着くまで黙っていた。彼自身もどう対処していいのか思案していたのだろう。不思議そうに私を見つめ、口元を少し上向けに薄く微笑んだあと、抑揚のない囁く声で私に言った。
「死にたい気持ち、わからないでもない。でも君は贅沢だ。このまま安易に死ぬなんて……」
 責めている訳でも、叱っている訳でもなかった。ただ彼の瞳はどこかやるせないように悲哀に満ちていた。
「落ち着いた所でお茶でも飲みながら少し話をしようか」
 それが当たり前であるかのように違和感なく彼に誘われた。多分放っておけなかったのだろうが、私も何も深く考えられないまま、彼についてきてしまった。
 どうせ死のうとしたのだから、この先何があろうと、見知らぬ人についていくのは怖くなかった。
 もう一つ理由をつけるなら、彼は整った顔をしていて一瞬でかっこいいと思えたからこのまま一緒にいたいと思ってしまった。命を投げ出そうとして、咄嗟に イケメンに助けられる。少しだけ運命的なものを感じていたのも事実だった。成り行きに任せてみよう。そんな風に思えるほど、彼は魅力的な風貌をしていた。
 この店のマスターが私たちを干渉しないようにさりげなく注文を取りに来て、彼は私のハーブティと自分のコーヒーを告げる。
「かしこまりました」
 マスターはカウンターの奥に引っ込みゆったりとした動作で作業しだした。
 彼がそれを横目に見た後、話し出そうと息を整えてから声を出した。
「まだお互いの名前も知らないね。僕はリュウゴ。君の名は?」
 リュウゴ。どんな字を書くのだろう。でも漢字を訊く余裕はなかった。
「麻弥」
 小さく自分の名前を呟けば、確かめるようにリュウゴが繰り返した。「マヤ?」
 軽く首を振って頷くと、リュウゴは「マヤ文明を思い出すね」とまるでよく知っているかのようにしみじみ呟いた。
「えっ? ち、違います。麻の『マ』に弥生の『ヤ』です。マヤ文明ではないです。高宮麻弥といいます。」
 必死に私が漢字を説明し、きっちりと名乗るとリュウゴは「ごめん、ごめん」と笑っていた。
「からかうつもりはなかったんだけど、つい」
 もしかしたら、言葉を引き出そうとしてわざとふざけたのだろうか。そうだとしたら、策略に嵌ってしまった私は彼の思うつぼだ。思わずムキになっていたこ とに気づいたあとは、自分がこっけいに思えた。固くなっていた私の頬の筋肉がほぐれ、リュウゴの笑いにつられて微笑んだ。
「そっか、麻弥ちゃんか」
 私の笑みを見て安心したのか、リュウゴの顔が一際和らいだ。その表情が本当にかっこよくて、私は魅入ってしまう。
「それで、なんで自殺しようとしたの?」
 単刀直入に訊かれ、私は思わず周りの様子を窺った。
 私が気にするほど、周りはどうでもいいことのようにそれぞれの時間を過ごしていた。それに安心すると私は口を開いていた。
「なんか嫌になったから……」
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