「うぉ! 自分で書いてて、なんか痺れる。俺、才能あるんじゃないだろうか」
 コンピューターの前で館山レオはせっせと自作の小説を書いていた。
 大学受験を控えた高校三年生だが、不意に浮かんだ話を言葉に表したくなった。
 頭にイメージが膨らむと、すらすらと言葉になってキーボードを叩く指の動きが早くなった。
 明日授業があるというのに夜更かしは止まらず、一度火がついた情熱は真夜中を疾うに過ぎても冷めやらなかった。
 自分でも分からない感情に囚われ、この話を書きたいとやる気が起こった。
「さて、この後はどうまとめようか」
 そう思ってからだった。
 急に手の動きが止まった。
 考えても考えても次をどうすれば良いのか、すぐに浮かんでこない。
 ここまでは頭に浮かんでスラスラと書けたというのに、この先をどうしていいのかレオには迷うところがあった。
 はっきり言って、思いつきだけで、何も設定など用意してなかった。
 急に湧き上がったイメージがインスピレーションとなり、映像を見ているように動き出しただけだった。
 この人物のいる場所やどんな服を着ているのかも説明もできず、ただ不意にシチュエーションだけが浮かぶ。
 この男は女をどうしたいのか、女はなぜ殺されるのに笑っていられるのか。
 自分で話を書いていおいて、説明しろと言われたらできないことに気がついた。
 考えれば考えるほど言葉が出てこず、この話はこれで終わってしまった。
 こんな中途半端に、起承転結もなく、しかも短すぎる。
 先ほどまで才能があると思っていたレオの気持ちは急に萎え、そして大きなあくびがでてきた。
 コンピュータの右下に出ている時間に視線がいくと、思ったよりもかなり遅い時間を差していた。
 「やべー」と慌ててPCをシャットダウンする。
 そしてすぐにベッドに入れば、ぎしぎしとベッドの歪んだ音が暗闇に響いた。
 居心地いい姿勢が定まると、体は静かにベッドに沈んでいく。
 静寂した暗い部屋の中、暫く寝付くまでは、自分の作った物語の事を考え、この先どう話を進めていくのか考えていた。
 ゆっくり考えればいい。
 そのうちまた案がでて来るに違いない。
 一度に書ける訳もないし、いつ時までに仕上げないといけないというプレッシャーもない。
 気長に作っていけばいいだけだった。
 出だしは自分でも気に入っている。
 自分が作り上げたキャラクターの事を考えていると、次第にあの話の男は自分と重なっていった。
 もし自分だったらどうしたいのだろうかと考えているうちにやがて眠りに落ちてしまった。

 夜更かしをしたせいで、朝起きるのが辛く、何度も大きなあくびをしては目じりに涙が溜まっていく。
 それを指先でぬぐいながら、レオはだらけて自分の席についていた。
 レオの側には数人の男子生徒が好き好きに会話をしている。
 聞いているふりをして、適当にレオも愛想笑いを交えて相手していた。
 高校三年生が始まったばかりの新学期。
 春のうららかな日差しが心地よく、またクラス替えで新たな顔ぶれが少し新鮮でもあった。
 友達もつるむ程度に適当にいて、難なく、そつなく、このクラスに所属している。
 とりあえずはぼっちになることもなく、標準な高校生活は約束された。
 しかし、そこにいつもとは違うワクワクが加算されていたことは、高校生最後にラッキーだと思えた。
 それは、以前からかわいいと思っていた女の子、牧野沙耶が自分と同じクラスになったからだった。
 沙耶を始めてみたとき、ピピピと感じるものがあり、素直にいいなと憧れた。
 いわゆる一目ぼれだった。
 それからは淡い恋心を抱いては、時々見かける沙耶を見つめていた。
 色白で、陶器を思わせるなめらかな肌。
 仄かにピンク色のぷくっとした頬が桃を連想させ、甘く香ってくるような雰囲気さえする。
 凛として前を見ている瞳も清楚で、自分の意思をしっかりと持ってるように思えた。
 他の女子達と違って一歩下がって大人しく、そこがおしとやかでより一層かわいく見えた。
 守ってあげたい、か弱さがレオにはたまらない。
 沙耶が所属しているグループも、バカ騒ぎするような集団とは程遠く、普通と言われるような女の子たちが集まっていた。
 派手さがない分、手を伸ばせば自分のような男でもいけるんじゃないかなんて妄想してしまうが、彼女に声をかけることは全くできなかった。
 レオも見かけはそんなに悪くはない。
 背はそこそこあるし、まじめな雰囲気が堅実的で悪くない。
 目立つようなかっこよさはないけれど、キリッとした顔立ちは充分様になっている。
 ただ、女の子と話すことに慣れてなくて、自ら行動を起こすことは皆無だった。
 思春期の恥ずかしい気持ちが余計に邪魔をして、自分の感情を外に出せず、ひたすら片思いの毎日だから、話しかけるなんて絶対にできそうもなかった。
 同じクラスになっても、そして今、沙耶が自分の隣の席にいるというのに、それでも自ら声を掛ける事はレオにはできなかった。
 沙耶は、その時、黒板に近い前の席で、友達数人と固まっていた。
 何を話しているのかは全くわからないが、雰囲気は楽しそうだった。
 一人一人の話し声は集まれば雑音となり、クラスはうるさくざわついているが、レオはそれを心地よく感じていた。
 一番ほっとする朝の効果音。
 そのざわめきは自分の存在を隠し、音に埋もれることで自分が何をしているのかはっきりと伝わらないように思えた。
 そんな雑音に隠れて、レオは沙耶を時々見ているのだった。
 沙耶のグループ内で笑い声が一層強くなっている。
 沙耶も少し前屈みになって、体を震わせて笑っている様子は、かなり壷に入ってそうだった。
 それを見ているとこっちまで楽しくなるように、レオは知らずと微笑んでいた。
「お前、何一人でにやついてんだよ」
 突然、側に居た友達に突っ込まれてしまった。
 しかし、レオは慌ず、視線だけをずらしてさらに笑顔を見せた。
「ちょっとな。今小説作っててさ、そのことを考えてただけさ」
 沙耶を盗み見ていたとは正直にいえないが、沙耶を自分が創った物語のヒロインとして考えれば的外れな答えではない。
 レオがあの物語の男として登場すれば、自然と相手は沙耶しか考えられないし、堂々と沙耶の事を考えてたと言えるのも爽快だった。
 それにあの物語を書くきっかけになったのも、沙耶が関係しているとも言える。
「へぇ、レオが小説をね。どうせくだらないものなんだろう」
 レオは少し不快感を覚え、腹に力が入ったが、そこはぐっと我慢する。
 相手はあくまでもからかうことを第一に何事も話をふってくる。
 むきになって言い返すより、受け入れた方が楽だった。
 それに、話自体、実際は中々思うように書けないし、小説と言えるほどのものでもないのは自分が一番分かっていた。
 これ以上突っ込まれたくなかったので、ここはただ苦笑いだけで済ませた。
 相手も基本は悪い奴じゃない。
「まあ、出来上がったら読んでやってもいいぞ」
 気を遣うのも忘れなかった。
 自分でも急に話を創りたいなんて思ったのも、やはりどこかで沙耶を意識して恋物語を創作してみたいと思っただけかもしれない。
 前日に沙耶が消しゴムを落とさなかったら、そんな気持ちも湧かなかっただろう。
 たまたま発生した些細な事が、日常に刺激を持たらした。
 授業中、沙耶が使っていた消しゴムが、不意に机から転がり落ちて、それが机の下のレオの足元に転がった。
 沙耶が手を伸ばすのを戸惑っているとき、レオは足元を見た。
 消しゴムがすぐ側に落ちているのを確認すると、椅子を後ろにずらして体を屈めてそれを取ってやった。
 沙耶は黙ってそれを見ては、消しゴムが自分に渡される瞬間まで緊張した面持ちだった。
 消しゴムを沙耶の前に差し出せば、沙耶は恐る恐る手を近づけてそっとそれを掴んだ。
「ありがとう」
 小さく声が聞こえたが、レオは軽く首を振っただけで、声を出すことはなかった。
 これもまた、恥ずかしいという気持ちが邪魔をして、沙耶と目を合わせることすらできなかった。
 しかし、沙耶の声はか細くともしっかりと自分の耳に届き、役に立った満足感が心の中を占めて気分がよかった。
 初めてお互いの存在を強く示したようでもあり、レオにとって、自分がどこかで印象に残ってくれることを願ったが、その後は非常に距離が近くとも、全くの見知らぬ赤の他人のようにお互いの存在を消してしまう。
 レオの心はドキドキと熱くなってるというのに、沙耶は知る由もなかった。
 でも、沙耶はちらりと視線だけ動かしてレオを覗き見する。
 そしてその時、消しゴムを指先で弄んでいた。
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