甘い一時はいつまでも続かなかった。
 全てを捨てて逃げてきた二人の幸せを阻む輩が訪れてしまう。
 川は海へと続き、見知らぬ大地に向かう希望に感じていたが、水があるというだけで人を寄せ付ける場所でもあった。
 男の国の者達には幸い見つからなかったが、ここでは女の国の民が潜んでいた。
 つい油断をしてしまった。
 自分の国の輩ばかりに気を取られ、ある程度の作戦がわかっていただけに、裏を掻い潜ってきた。
 他に敵国に追いやられて、仲間とはぐれて逃げている輩がいる可能性を男は甘くみていた。
 敵国と分かる軍服を着ているだけに、そっちの方が自分にとって最も危険だというのに。
 そんな軍服を着た人間を見て、敵の民は挨拶するだけで済ませられるとは思わない。
 軍服を着た男が一人だと尚更チャンスだと捉え、鬱憤が溜まった感情を向け、殺してやりたいと憤る。
 この時、二人の男達は対峙していた。
「お願い、落ち着いて。この人は敵ではないわ」
 女が懇願して、この状況を和らげようとしていた。
 女はこの男を知っていた。
 この男が一人でここに居るということは、はぐれた自分を探しに来ていたということだった。
 折角この男から逃げたというのに、それが仇になってしまった。
 女が必死に説明しようとするも、追われたのは敵国のせい、そしてこの敵国の男のせいとなり、これから妻となる美しい女性まで取られては許すはずがなかった。
 女は男を守ろうと、必死になだめようとするが、憤った同じ国の男は聞く耳持たずだった。
 ライフルを向けてじりじりと男に近づいて追い詰めていく。
 男も女も距離を保ちながら後ろに下がっていた。
「ここは私が引き止めるから、あなただけでも逃げて」
 女は男を逃がそうとするが、男は女から離れない。
「だめだ、逃げる時は一緒だ」
 男は腰の銃を取り、女を庇いながら応戦しようと構える。
 ここは無駄な血を流さなければ助かりそうもなかった。
 かといって、目の前の怒り狂った男のライフルの弾をかわせる保障はなかった。
 一触即発。
 やるか、やられるか。
 折角ここまで無事にやってきたというのに、男は非常に悔しがった。
「そこに居る女を渡せ」
「ダメだ、彼女は渡せない」
「なんだと!? お前も、早くその男から離れるんだ」
「嫌よ、離れない。私はこの人と一緒にいたいの」
 女と同じ国の男は、敵国の男を守る女が理解できなかった。
「そいつは敵だぞ。何を血迷ってる。俺はお前を助けようとしているというのに」
「助けなんて必要ありません。私はこの人と他の国へ行くことを決めたのです。お願いです。どうか私達をお見逃し下さい」
 これには同じ国の男は呆れてしまった。
 自分の妻となる女が敵国の男と一緒になろうとしている。
 裏切り者という言葉が頭に浮かんだと同時に、敵国の男を選んだ女が腹立たしい。
「ならば、一緒にその男と死んでもいいのか」
「はい、一度は捨てた命。今更死など怖くはありません」 
 女は力強く叫んだ。
 同じ国の男は怒りが頂点に達してしまった。
 益々敵国の男が憎らしくてたまらない。
 ライフルを構えると、緊迫感が走った。
 女と一緒に逃げてきた男も、応戦できる体制をとる。
「お願いやめて」
 必死に叫ぶ女の言葉は虚しく森の中で響くだけだった。
 その直後に荒々しい耳を劈くような音が鳴り響いた。
 はっとした時、男は地面に突き倒されており、代わりに女が男の前に立ちふさがっていた。
 女が渾身の力を振り絞り、男を突き飛ばしていた。
 そして女は自分の国の民が放った弾を胸に受けてしまった。
 赤いバラでもついてるかと見間違うくらい、胸に花が咲いているように見えた。
 それは次第に広がっていくと同時に女は地面に崩れ落ちた。
 女を撃ってしまったことで動揺し、それが一瞬の隙となり、ライフルをもった男は二度目を撃つのが遅れた。
 その間に、女を撃たれて我を忘れた男は感情任せに、迷わず目の前のライフルをもった輩を撃った。
 それは頭をぶち抜き、ライフルの男は大木が倒れるごとく、地面にころがった。
 男は女を抱きかかえ、涙を浮かべる。
「なぜ、君が撃たれないといけないんだ」
 胸の赤い沁みはおびただしいほどに溢れだしている。
 何とかしたいが、男にはなす術がなかった。
「あなただけでも助かってよかった。私はこうなる運命だったんです」
「だが君は私と笑顔で語り合う姿を見たといったではないか」
「はい、確かに見ました。あなたははにかみ、私を見る目がとても優しかった。そして私もクスクスと側で笑っていた。そこは本当に平和な世界でした」
「だったら、なぜ」
 男は消え行く命をただ呆然と見つめることしかできなかった。
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