第一章 妨げられた眠り


 高校生活最後の夏。
 体育館で一通りの終業式を終えた後、春日ユキが教室に戻ろうと沢山の生徒の中に混じって歩いているときだった。
「春日先輩!」
 後ろから自分の名前を呼ぶ声がする。
 ユキが振り返れば、見知らぬ下級生の女の子が挑むような目を向けていた。
 小柄で目がパッチリとしたかわいい女の子なのに殺気立った睨み。ユキはたじろいだ。
 大勢の生徒が大移動してる廊下でふたりが立ち止まったままでいると、周りは邪魔だと言わんばかりに冷たい視線を向けて流れていく。
 ここに突っ立ったままでいたら迷惑だ。
「あ、あの、何か御用?」
 ユキがその女の子に近づく。
 さっきよりも彼女の目つきが鋭くなったような気がした。
 ユキと面と向かって対峙すれば、怒りを抑え込むのが我慢できない感情で彼女の体が震えている。
「話があります。今日、全てが終わったら校舎の裏の林に来て下さい。私そこで待ってますので」
 今にも爆発しそうな怒りを抑え、それでいて精一杯の強気を備えて一気に話した。
 まるで喧嘩の果たし状だ。
 あっけに取られたユキを放っておいて、その女の子は言いたいことを言うと大勢の人の流れに加わり、流されていくようにさっさと去っていく。
 一体自分はあの子に何をしたのだろうか。
 首を傾げたあと、教室に戻るために人の流れに加わった。
 
 クラスに戻れば、担任が来るまで騒がしく、皆この夏休みをどうするか好き勝手に話している。
 高校三年の夏休みといえば殆どが受験勉強で忙しくなる時期だ。
 旅行に行くような話よりも夏期講習や塾の強化合宿のようなプランに参加する話しが聞こえてくる。
 ユキは進路のことについて迷っているために、どこか聞きたくないような話に思えてならなかった。
「ユキ、何ぼーっとしてるの? 明日から夏休みだよ。今からボケてどうするの」
 高校二年からまた同じクラスになった矢鍋マリが、喝を入れるように側に寄って来た。
 最初は嫌われていたけど、前年トイラとキースがこの学校へやってきて一騒動があってからをきっかけに打ち解けた。
 その一騒動だが、この学校で起こったことなのにユキと新田仁を除いて誰もその事件を覚えていない。
 あんなに派手にトイラが黒豹、キースが狼になって暴れても、何も起こらなかったことになってしまった。
 あの忘れられない、そしてユキにとってとても大切な出来事なのに、ユキもまた皆と合わしてそれを思い出さないように日々を過ごしてきた。
 そんなときにマリと心を許す仲になれたことは、残りの高校生活を過ごすのにとても救われた。
 あれ以来お互い一番の親友として二人は仲がいい。
 マリは見かけはきついかもしれないが、いい風に言えば姉御肌でリーダーシップにすぐれていた。
 ずけずけと何でも言うところもあるが、それは信念を持った裏表のない真っ直ぐな性格。元々心はとても澄んでさっぱりとした人だった。
 マリはマリなりにユキが気になり、結局はおせっかいにも心配していた。
 ユキと心を通わせようと彼女も歩みより、ユキはそれに気がついて堅い殻を破って自ら飛び込んだ。
 一度打ち解ければ、お互い理解し合える仲になるのには時間がかからなかった。
「ボケてるわけじゃないけど、なんだかぼーっとしちゃって」
「ユキは時々そうなるよね。以前から抱え込むような暗いところはあったけど、一度あんたを理解したらそこは繊細なユキのかわいいところなんだって思うようにしてる」
「何よそれ、まるで子供扱いね」
「あら、何言ってるの、まだまだ子供の癖に。それとも新田君とはあれから進展したの? もしかしていくとこまで行ったとか?」
 ユキははっきりと言うマリの言葉に赤面してしまう。
「ちょ、ちょっとなんでそんな話になるのよ。マリには関係ないでしょ」
「あー、ムキになるところが怪しい」
 わざとらしく目を細くしてマリはユキをからかう。
 もちろん冗談だと分かっているが、公の場でこういう話をするのは恥ずかしい。周りを見渡せば聞いてないようで好奇心丸出しに耳をすませている輩が何人かいた。
「マリ、勘弁してよ。私達はそんなんじゃないの」
「だけどさ、新田君はユキにぞっこんでしょ。ユキがそんなんじゃ蛇の生殺しじゃん。新田君の気持ち知ってて、ただ仲良くするなんてそっちの方がありえない。そろそろはっきりしてあげたら?」
 ユキはお説教をされてるようで気が重くなっていった。
 マリははっきり言わないと気がすまない性格上、まだ色々と言ってくる。
「あれじゃ見ててかわいそうだよ。新田君って結構かわいいから目を付けてる女の子一杯いるんだよ。ユキがはっきりしないからそういう女の子達はすごくヤキ モキしてるだろうし、ユキだってそういう子たちから色々言われるの嫌でしょ。言われるだけならまだしも、嫌がらせに発展ってことにもなりかねないよ」
「でも、私達は、その……」
 その時通知表を抱えて担任が入って来た。
 マリはさっさと自分の席に戻っていって、クラスは急に静かになった。
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