第一章

10
 あともう少しで家につきそうだと言うときに、ぽつぽつと降り出したかと思うと、あっという間に大粒の雨となって地面を叩きつけた。
 家の軒下に滑り込んだときは髪と肩がすでに濡れて、ユキのブラウスはブラジャーが薄っすら透けて見えていた。
「入って」
 離れた方がいいと話し合ったそのすぐ後だが、この雨では追い返すわけにも行かず、ユキは仁を招き入れようとした。
 その力ない声に仁は遠慮する。
「ここでいいよ。雨が止んだらすぐに帰るから」
「でも、折角来てくれたんだから」
 ユキはそれ以上言わず、玄関の戸を開けたまま奥へとさっさと進んでいった。
 仁はそれならばと、家の中へ入っていく。
「適当に座ってて、着替えてくるから」
 エアコンがつけっ放しの居間はひんやりとしすぎて、少し濡れた服では鳥肌が立つ。
 エアコンのリモコンを見つけようとその辺りを探すと、センターテーブルの上にメモ用紙があるのに気がついた。
 それには『ジン』とカタカナで名前が記され、さらに『ハナシガシタイ』とそれもカタカナで書かれていた。
「これって僕へのメッセージなのか?」
 そのメモ用紙を手に取り、仁は暫くそれを眺めていた。
「待たせてごめん。なんか飲む?」
 Tシャツにジーンズとラフな格好でユキが現れた。
「別に何も入らない。ちょっと寒いからエアコン消してくれない?」
 ユキはすぐにリモコンを見つけボタンを押すと電子音が静かな部屋で響いた。
「あのさ、僕に何か話したい事ある?」
 手に持っていたメモを見せたつもりだったが、ユキはそれに見向きもしなかった。
 というより、そのメモに気がついてない様子で安楽椅子にどさっと腰を下ろした。
「そうね、話したい事って言えば、あの葉っぱに触れてから、なんか変なんだ。急に無意識に行動を起こしてしまうの」
 仁もソファに座り自分の意見を口にする。
「もしかしたら、自分で暗示をかけているのかも。トイラのことを思い出してしまったばかりに、それがストレスを起こす引き金となって、一時的にどこかで意識が混乱するんじゃないのかな。強いストレスは体を壊す原因になりやすいから」
「でも、何かに引っ張られるというのか、特にトイラを思う気持ちが一段と強くなって自分で制御できないの。仁にだってきついこと平気で言っちゃうし、歯止めがきかないの」
「だからそれも、押さえ込んでいた思いが爆発しただけだろ。ユキは前を向こうと努力しすぎて結局は過去のことを無理やり閉じ込めていたのかもしれない」
 ユキはこの一年頑張ってきた事を仁はいつも見ていた。
「仮に仁の言う通りだったとしても、あの巫女はどういう説明がつくの? あの人はっきりと私の中で大きな黒い猫を感じたって言ったの。それにあの巫女もなんか様子が変で……」
「巫女って言ったら神社で神に仕える身分だろ。そんな人たちってなんか霊感に強そうだし、そういう類でユキから何かを感じるものがあったんだよ。霊能者っ て言葉もよく聞くからね。でも漠然的に大きな黒い猫って言っただけで、トイラのことは知らなさそうだったし。それよりもニシナ様が誘拐されたとか、あの人 も変なこと言ってたけど、ちょっと頭おかしい感じだったね。本当に誘拐されてたら、警察に行ってると思うんだけど」
 仁は腕を組んで考え込んだ。
「だけどあの人よ、校舎の裏の林で姿を見せずに私に声を掛けた人は。あの葉っぱもあの人が用意したのかもしれない」
「いや、それにしてはユキのことあまり知らなさそうだったし、たまたま巫女だっただけに、ユキが無理やりこじつけたいだけじゃないのかな」
 仁はとことんユキを否定する。ただ、仁は安易に決め付けるのがいやだっただけに過ぎない。
 しかし、ユキは納得いかなかった。トイラに会えるチャンスがあるのなら、例え悪魔に魂を売ってでもその力を借りたい。
 窓の外を見れば雨はすっかり止んでいた。
 青い空が広がって白い入道雲が浮きあがり、木々の緑の葉っぱの雨のしずくが玉となりきらりと光って清々しかった。
 だがユキの心はまだ夕立のような雨が降り続いている。
「雨も止んだし、僕、そろそろ帰るよ」
 立ち上がろうとしたとき、ユキがとっさに止めた。
「ダメだ、もう少しここにいろ」
 それはあまりにもぶっきらぼうでユキらしくなく、仁は目を大きく見開いて驚いていた。
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