第一章


 ユキはため息を何度も吐きながら、家路に向かう。
 田舎の田園が広がり、辺りは緑で溢れていた。雑草が茂ったあぜ道を通りながらボーっとしているとき、自分の意思とは関係なく、いきなり身が軽くなって横にずれてジャンプをしていた。
「えっ?」
 それと同時に石がすーっと真横を過ぎ去り、目の前でそれは落下して跳ねていた。あのまま歩いていれば背中に当たっていたかもしれない。
 ユキは咄嗟に後ろを振り返るが、誰もおらず目をぱちくりする。
「一体なんだったの?」
 何も考えてなかったから、無意識に飛び跳ねたのかもしれない。
 訳がわからないまま首を傾げてユキは再び歩き出した。
 田んぼの青々とした苗に隠れ、その様子を見ていたものがいた。
「一体あの子何者よ。あの石をよけるなんて。後ろにも目があるの?」
 狐が身を縮めて隠れていた。キイトだった。
 ユキがどんどん離れていくと、辺りを確認してから再び巫女の姿になった。
 遠くを歩くユキの後姿を訝しげに見つめていた。

「ただいま」
 鍵を開け、誰も待っていない家でもユキは癖で声を掛けていた。
 父親は研究のため仕事が忙しく、度々重なる出張で家をよく留守にしていた。
 夏休みは特に自分の研究に没頭できると、長期間すでに海外へ出かけていた。
 ユキは一人暮らしにすっかり慣れてしまい、不平どころか、父親が居ない方が家事の仕事も減って楽だった。
 大学に進めば、どうせ父親とまた離れて暮らすことを思えば、この方が却ってせいせいする。
 鞄をその辺に放り投げ、ユキはキッチンに入って冷蔵庫の扉を開けた。
「夕飯は残り物でいいか」
 ここでもため息を一つ吐く。
 その後は冷房を利かせた居間でソファーに寝転がった。
 暫くそのままでいると、急激に眠気が襲い、そのままうとうととして意識が遠のいていく。
 また目が覚めると、先ほど寝ていたときとなんだか向きが違うように思えた。
「あれ、私あっちに頭を向けてたと思ったんだけど、こっち向きに寝てたっけ」
 なんだかわからないまま、自分でも頭がぼけていると感じていた。この日の出来事が衝撃過ぎてまた心に穴が開いた気分だった。
 仁に言った言葉が失礼なものだと充分わかっていたが、あの時トイラを思う気持ちが強く表面に現れて抑える事ができなかった。
 そうなったのも、瞳に『本気で人を好きになったことないんでしょ』と言われた事に腹が立ったからだった。
「あるわよ。命を賭けてでも本気で好きになった人がいるわよ」
 誰も居ない部屋で大きな声で叫んだ。
 どうしてもまた涙が溢れてしまう。
 そしてこの思いは決して消えぬまま、さらに膨れ上がりいつも以上にトイラを恋しく思う。
「一体どうしちゃったんだろう。やっぱりあの葉っぱのせいなのかな。あれに触れたとき、トイラの姿を見たのがいけなかった。あんなにはっきりとまるでそこにいるかのようなリアルな光景だったから」
 ふと胸がざわめき、ユキは無意識に玄関へと向かって靴もはかないまま外の様子を窺った。
「あれ、なんで私、外を見てるの?」
 不思議だと首をかしげながらも、引き返そうとするが、三和土(たたき)で靴を履き、そのまま外に出かけてしまった。
「私、今何しようとしたんだっけ? あれ?」
 何かをしなければいけないのに、度忘れをして立ち往生して困惑するも、なぜか歩いた方がいいような気がして、そのまま外へ出向いた。
 蝉の声がうるさく響いている。
 夏の日差しが強く、汗ばみながらも、家の近所をユキはただ歩く。
 近くにある神社の境内へと足を向けていた。
 その時、後ろから誰かが付けているような気配を感じた。
「まさか痴漢じゃないよね。こんな明るいうちから」
 振り返ると、子供が数人網や虫かごを持って元気よく走り回っているだけだった。
 その無邪気な光景に、つい微笑んでしまった。
「夏休みか。夏休みだもんね」
 ぶつくさと呟き、気が付けば、神社の鳥居の前に来ていた。
 そのまま神社の境内へ進んでいく。
 その後ろを巫女の姿をしたキイトがつけていた。
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