第二章

10
「なあ、トイラ、本当の気持ちを教えてくれ。人間になりたいとは思わないのか?」
「ああ、もちろんそうなったら嬉しいさ。でも、本来俺は消える運命にあったものだ。そんなことしたらこの世のルールを変えてしまいそうで怖いんだ」
 トイラの気が急に弱くなった。
「消える運命って……そんな。あの時太陽の玉が割れて、ジークが吸い込まれそうになったけど、トイラがもしあれに吸い込まれていたらどうなってたんだ? あれはブラックホールみたいなものなのか?」
「吸い込まれた事がないからどう考えてもわからない」
「森の守り主になるために全てを犠牲にして、森を守るためだけの主となる。そのためには過去の記憶はいらない。だから太陽の玉はトイラの人の部分を吸い上げようとした。でもさ、そうしたら、歴代の森の守り主も同じ事をしてきたってことだろ」
 仁は可能性として筋道立ててみた。
「まあ、そういうことになるな」
「あんな小さな玉の中に、それを蓄えておけるものなんだろうか。それともあの中は四次元空間にでもなっていて宇宙のような広さがあるんだろうか?」
「一体何がいいたいんだ?」
 ユキの顔でトイラは不思議に思う目を向けた。
「カジビは意識を鏡に閉じ込めて、それを割ることで取り込んだものを抹消するらしいんだ。鏡は一回につき一個しか意識を閉じ込められない。だけど、太陽の 玉は歴代の分を吸い込み、その玉は壊れることなく受け継がれる。それって、あの太陽の玉の中には永遠に意識が存在していることにならないか?」
「はぁ?」
 仁の意味する事がトイラにはわからない。
「だから、トイラの意識は消える運命じゃないってことなんじゃないかな」
「太陽の玉の中で溶けて消滅してるかもしれないじゃないか。または太陽の玉の栄養分になってるのかもしれない」
「なんでそこだけそうネガティブなんだよ。僕がいいたいのは、トイラは消える運命じゃなかったってことなんだ。人間になっても世界は変わらないし、トイラはユキと結ばれる運命だったってことさ」
 仁はトイラとユキの関係を強調する。
「おい、お前自分でも何を言ってるのかわかってるのか? 一応言っとくけど、俺はお前の恋敵だぞ」
「もういいんだ。僕はユキが幸せになってくれさえしたらそれでいい。この状況から解放させてあげられるのなら、なんだって喜んでするよ」
 仁は薄く笑う。
「仁、なんか投げやりになってないか?」
「僕は僕なりに一生懸命考えたんだ。そんな風に言うなよ」
 仁はテーブルの上に頭を持たせかけた。ゴツンとテーブルの表面が響く。トイラはそれを黙ってみていた。
 仁の迷いを感じ、そこに含まれた意味をトイラは思案する。
「トイラはユキと一緒になる運命なんだ。僕は二人が幸せになるのならどんなことでもするよ。どんなことでも」
 仁の優しさとヤケクソさが一緒になった声だった。
 トイラには答えようがなかった。
 静けさが暫く続き、仁が顔を上げたとき、目の前に動揺しているユキの顔があった。
 それがトイラとしてなのか、ユキとしてなのか、仁は判断しかねた。
 
 その時、呼び鈴がなりユキが立ち上がった。
 仁もその後をついていくと、藍色の作務衣を着た傷だらけの年老いた男がキイトと並んで立っていた。
「なんかの役に立つかと思って、長老のセキ爺を連れてきたんだけど、迷惑じゃないか?」
 キイトが遠慮がちに紹介した。
「どうぞおあがり下さい」
 ユキが喜んで招き入れると、二人は言われるままに家に上がる。
「ほぉ、立派なお宅じゃのう」
 老成された貫禄を持つセキ爺は、礼儀正しく振舞う。
「ちょうどよかった。クッキー焼いたの。キイトが来てくれて嬉しい」
 それはユキの意識だった。
 トイラはいつの間に引っ込んだのだろうと、仁はユキを見つめていた。

 訪問者を家に上げ、居間のソファーに案内した後、ユキはキイトの前に入れ物に入った沢山のクッキーを差し出した。
「私のために作ってくれたの?」
 キイトの問いにユキがはにかんで頷く。
 キイトはユキの好意に笑顔を見せ、セキ爺にとても美味しいお菓子だと説明した。
 ソファに座り、二人は早速ほお張っていた。
「ほんとじゃ、この甘みが美味しいのう」
「お口に合って嬉しいです。今お茶お入れしますね」
 ユキが台所に戻ると、今度は仁が相手をし出した。
「セキ爺……さん?」
「セキ爺でかまわんよ。本名は長いのでそう呼ばれている。君は仁だね。キイトから色々と聞かせてもらった。ニシナ様を探すのを手伝ってくれる、事情を理解した人間だとか」
 仁はなんだか緊張した。緩和するためにヘラヘラととりあえず笑顔で応対する。
「それじゃセキ爺、その傷なんですけど、一体どうされたんですか?」
 セキ爺のあちこちに傷があった。
「これか、これはニシナ様が連れ去られた後、襲われたんじゃ。ワシはニシナ様に一番近くでお仕えする年老いた猪でのう、年が年なだけにお守りできなくて」
「誰に襲われたんですか?」
「それがはっきりと分かっていたらいいんだが、あっと言う間のできごとでな、不意をつかれて後ろから何者かが飛び掛ってきて、あちこちを引っかかれ噛まれたんじゃ。 中は薄暗いし、足場は悪いし、咄嗟のことでバランスを崩して倒れこんでしまった。猪になって応戦しようとしたんじゃが、すばしこいやつで後ろから襲われると老人には勝ち目はなかった」
「それは大変お気の毒です」
「わしなんかよりも、消えたニシナ様がどうされたのが気になって」
「犯人に全く心当たりはないんでしょうか。何か気がついたこととかありませんか?」
 セキ爺は目を閉じて少し考え込んだ。
 その時、ユキがお茶を運んできて、セキ爺とキイトの前に置いた。
 キイトはすぐさまそれを手に取り、息をふうふうかけて飲み始めた。
 その横でセキ爺は考えて、やっと声にだした。
「これは断定できないんじゃが、もしかしたらカジビが戻ってきたんじゃないかと思えてのう」
 その言葉にキイトの動きが止まった。じっとセキ爺の言葉に耳を傾ける。
「カジビは以前も赤石を奪おうとしたこともあったし、その後失敗して姿をくらましたけど、チャンスを窺っていたのかもしれない」
「セキ爺、ほんとにそれはカジビの仕業だと思う?」
 キイトが小さな声で問いかける。
「これはわしがそう思うだけで、そうとは決まったわけじゃない。それともキイトは他に誰か疑わしき者がいると思うのか?」
「はっきりとしないのなら、この山にいる皆、怪しくなってしまう」
 キイトの声が少し震えていた。
「そりゃそうじゃが、カジビには前科があるだけに、このことを知ればカジビだと思うのは多いはずじゃ」
「私ははっきりするまでカジビの仕業だと決め付けたらいけないと思う……」
 ぼそっと言ったキイトの声にセキ爺は飲もうとしていた紅茶のカップを口元で止めた。
「キイトが庇いたい気持ちもわからんではない。お前はカジビとは仲がよかったからのう。それにカジビが赤石を狙ったとき、お前は離れた山で休養していたから何も知らんだけに無理もない。だがもしカジビが犯人でないのなら、堂々と姿を現してもいいと思うのじゃが」
「いや、疑われると思ってるから、ただ名乗れないのじゃないか」
 ユキが腕を組んで壁にもたれていた。
 それはトイラの意識だった。
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