第三章

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 自ら誘ったとはいえ、仁は上手く会話ができず、気まずくて次第に瞳との歩調がずれてくるようだった。
 さらに自分が帰る方向とは全くの逆で、意味もなく一緒にいると、何をしてるんだろうと自分でも訳がわからなくなってくる。
 時々、楓太が後ろを振り返るが、それが様子を探られているようで、余計に落ち着かない。
 しかし、とうとうヤケクソになり、何かを聞きだしたいがために無理をして質問することにした。
 まずえへん喉をならして、その後は勢いをつけて話した。
「あのさ、楓太っていい犬だけど、なんでそんなに怪我したんだろう」
 恐る恐る瞳の様子をさぐると、瞳は対照的に生き生きとした目を向けている。
「楓太は時々変わった行動をするんですよ。楓太にしてみれば、主を守るような責任感の強いところなんでしょうけど、私の目からみたら他の犬に縄張りを荒らされるのがいやで先手必勝の宣戦布告をしているように思えます。自分が強いんだって誇示したいんでしょうね」
 それを聞いて仁はふとトイラのことを考えた。
 トイラも体中に傷を沢山負っていた。その理由としては森を守るために戦ってきたことだったが、楓太も同じようにそういう使命をニシナ様に与えられているのだろう。
「楓太も大変だね」
 楓太は振り返ることもなく、話の意味など分かっていないとでも言いたげに、そっけない態度で歩いていた。
 他にもっと楓太のことを聞こうとしたが、瞳が勝手に話題を変えてしまい、仁の方が質問攻めとなってしまった。

 住宅が密集する場所から離れると、急に目の前にのどかな田園風景が広がる。このまま歩いていけば、山の麓へどんどん近づいていく。
 何かを聞き出したくて、瞳についてきてしまったが、何も成果が得られなかった。このまま一緒に歩くとただついてきているのがバレバレだ。
 瞳はそれを自分に気があるのかもと言う風に、いいように捉えてしまうから注意が必要だった。
 仁は腕を力いっぱい上にあげて伸びをした。
「ああ、いい運動になったよ。健康のためにいつも歩いてるんだけど、今日はこれで十分だ。それじゃ僕はここで……」
 これなら不自然じゃないだろうと仁はその場を去ろうとした。
「あ、あの、よかったらうちに来ませんか。もうそこなんです。折角だから冷たい飲み物でも」
 瞳はまだ仁と一緒に過ごしたいようだ。
 家に招かれるとは思わなかったが、仁も楓太の事が気になっている。楓太が住む場所に何かヒントがあるかもしれないと思うと、仁は素直にその申し出を受けることにした。
 自分でも少しずうずうしいような気持ちになったが、「いい選択だ」といわんばかりに楓太が振り返る。
 仁も謎解きをする探偵にでもなった気分でいい感じに事が動いていると感じていた。
 
 瞳の家は代々受け継がれてきたようなどっしりと存在感のある大きな日本屋敷だった。
 山をバックに田畑に囲まれてはいるが、田舎の金持ちと呼ぶに相応しく、でんと構えて瓦が黒々と光っている。
 瞳は楓太を解放し、好きにさせた。
 日陰を求めて去っていく楓太を仁は呼び止めたくなったが、瞳に「どうぞ」と家に案内されて、なすがままに後をついていった。
 家の門を潜ると、白い小石が張り詰められ、低木や松ノ木が見栄えよく植えられ、灯篭もあってミニ日本庭園のようにきれいに整備されていた。端の方に小さな祠が祭られていたのがちらりと見えた。まるで小さな神社のようだった。
 瞳が玄関のドアをスライドさせ「ただいま」と声を掛けると、中から年老いた夫婦が揃って玄関にやってきた。
「お客さん連れてきた。学校の先輩の新田仁さん」
 瞳が後ろに居た仁を紹介すると、老夫婦は目を見開き慌てて挨拶をする。
「こ、これはようこそいらっしゃいました。どうぞおあがり下さい。さあさ、遠慮なさらずに」
 年老いた男性が広々とした三和土にぴょんと降りて履物を履き、仁の側まで行って迎える。
 熱烈な歓迎振りに仁は戸惑っていた。
「私の祖父と祖母なんです」
 仁は「初めまして」と頭を下げて挨拶すると、同じように祖父も深々と頭を下げた。
「先輩、遠慮なくあがって下さい」
 瞳に言われるままに、仁は靴を脱ぎ、成り行きとはいえ、とんでもない展開に少々腰が引けた。
 前屈みになりながら、恐る恐る廊下を歩くと草木を植えた風情ある中庭があり、家の広さがますます窺えた。
 瞳に通された部屋は、数奇屋風で和の落ち着きが感じられる。
 テーブルの横に大きな紫の座布団を用意され、仁はかしこまってそこに座った。
「先輩、楽にして下さい」
「いや、でも、その、やっぱり、なんか、その」
 楓太に言われて瞳を探るような気分で来てしまったが、今頃になって自分の無謀さに後悔してしまった。
 落ち着かないままに、そわそわとしてると瞳はくすっと笑う。
「まさか先輩がうちに来てくれるなんて思わなかったです。私すごく嬉しいです。どうかゆっくりして下さい。うちの家族も先輩のことは良く知ってますから。何も緊張されることないですから」
「えっ、どうして僕のことを瞳ちゃんの家族が知ってるの?」
「だって、先輩は良子先生の甥っ子さんでしょ。それに、私、学校のことよく話すから、先輩のこともいっぱい言ってるんです。好きで憧れてるとか、なんて」
 瞳は物怖じせずに素直に自分の気持ちを伝えてくる。仁の方が敵地に迷い込んで怯えて、何も言えずに瞳の思う壺にどんどん嵌っていく気分になった。
「ぼ、僕は……」
 誤解のないように、自分には好きな人がいるとはっきりいいたかったが、その時瞳の祖母が冷たい飲み物をお盆に載せてやってきた。
「良子先生の甥ごさんでしたよね。これはこれはようこそいらっしゃいました。お噂はよく伺っております」
 目の前に琥珀色した液体が入ったグラスを置かれ、仁はその場に合わすように頭を下げた。
「さあさ、どうぞ冷たいうちにお飲み下さい」
 どうすることもできずに、場をつなぐため飲み物に口をつけた。
 麦茶だと思ったその飲み物はすっきりとした甘さがあり仄かに生姜の味がした。
 仁がその味に驚いた顔をしていると瞳が説明しだした。
「それうちに代々伝わる秘伝の冷やし飴なんです。おいしいでしょ」
「ああ、美味しい」
 仁はもう一口飲んだ。
 瞳と祖母は顔を見合わせて笑っていた。
 仁は甘い飲み物を飲んだお陰なのか、急に体がリラックスしてきた気分になった。
 瞳が楓太の世話を仁がやったと祖母に言うと、祖母は大層に何度もお礼を言って頭を下げた。
 仁はほんの少しだと何度も言っても、祖母は大げさに有難く受け取る。元々話し好きなのか、その後は祖母が中心となって話が進んでいった。
 孫である瞳の話をするのはいいのだが、全てを理解して欲しいように生年月日から始まる個人情報をたっぷりと盛り込んで、まるでセールスの商品を薦められているような話し方だった。
 仁はただ首を振って聞いては、時々冷やし飴を喉に流した。
「おばあちゃん、もういいよ。先輩困ってるよ」
 瞳は止めようとしたが、祖母は話したりないとばかりに少し寂しげな表情をしていた。
 そこに今度は祖父が現れた。
「新田さん、是非是非お昼を食べてって下さい。今、蕎麦を打ってるとこなんです」
 仁はどんどんエスカレートしていく接待に恐れをなしていく。
「あの、その、いえ……」
 断るよりも前に、瞳が思いっきり喜んで声を上げた。
「お祖父ちゃんの手打ち蕎麦は美味しいですよ。これ食べないと絶対後悔しますから、是非食べて下さい。だけどもしかして蕎麦アレルギーじゃないですよね」
「いや、アレルギーはないけど、でも」
「だったら決まりですよね」
 瞳と祖父母に笑顔で見つめられると仁は断れなくなってしまった。
 もって行きようのないない気持ちを静めるために、仁は残っていた冷やし飴を一気に飲んだ。
 グラスをテーブルに置いて、目の前で瞳たちがニコニコしている様子が目に入ると、体の血が騒ぎ立てるようにカッカしてくるようだった。
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