第三章


「おい、ユキ、一体どうしたんだ」
 喜びの再会になるはずが、様子がおかしい。
 心配して仁が走って側に寄ると、ユキはすがるような目を向けて助けを求めた。
「仁、助けて、お願い。トイラは私から出て行こうとしてるの。私がやめてって言ったら、喧嘩になって、そしてトイラは怒ってしまった。どうして、どうしてこうなるの」
「ユキ、どうして喧嘩になるんだよ。トイラはユキから出て行けば、人間になれる方法があるんだぞ」
「えっ? それはどういうこと? トイラはそんなこと言ってなかった。知らなかったってことなの?」
「ううん、僕はちゃんとトイラに伝えたよ。トイラは知ってるはずだ。なぜ、その方法があるのに、トイラは拒むんだ」
「仁はその方法を知ってるの?」
「ああ、知ってる。カジビを探せば、それは可能なんだ。キイトが教えてくれた。それに僕だってトイラが人間になるためにできる限り協力するつもりだ」
 言葉ではきっぱりと言えても、仁の心は複雑だった。
「じゃあ、どうしてトイラは人間になるのを嫌がるの。やっぱり私のことほんとに嫌いになってたんだ。だから自由にしてほしいとか、解放して欲しいとか言うんだ」
「トイラがユキを嫌いになるはずがないだろ。いつだってユキのこと考えて、ユキのためを思っているのに。トイラはどこか恐れてるだけだ」
 取り乱すユキを落ち着かせようと仁は理由をこじつける。
「恐れてる? 一体何を?」
「だから、自分が自然界のルールを変えてしまうことさ。本来ならトイラは森の守り主になって、人の部分は消えていたから、それが残ってさらに人間になってしまうと、何かが狂うんじゃないかって心配してるだけさ」
「そんな……でも、ほんとにそれだけが理由なの? ねぇ、トイラ本当のこと話して。今すぐ出てきて、私に話せなかったら仁に本当のこと話してよ」
 ユキは自分の中にいるトイラに呼びかけてみた。
 だが、いつまでもトイラの意識は出てこなかった。
「あ、あの、取り込み中すまんが、何か不都合なことでもあったかのう?」
 セキ爺が不安げな表情で恐々と声を掛けてきた。
「いえ、なんでもないんです。セキ爺、トイラに会わせて下さってありがとうございました」
 ユキは急いで涙を拭きながら、セキ爺に頭を下げた。
「いや、それは別にどうってことないが、遠くから見てたら、なんかいがみ合ってたようじゃったから、何かあったのかと思ってのう。込み入った話中だったなら、もう一度トイラを映し出してあげようか」
 ユキは一瞬躊躇った。トイラが人間になれると知っているのに、嘘をつかれた状態ではどうしても冷静に話し合うことができないのを感じていた。
 仁もユキの逡巡する様子をみて、どうしたらいいのかわからない。
「セキ爺も、傷がまだ治ってないしあまり無理をしない方がいい。また今度でいいんじゃない? その道具を使えばある程度の体力も消耗してしまうでしょ」
 キイトが傍から声をかけ、それがユキをハッとさせた。
「あの、お言葉は嬉しいですが、これで充分です。またこの次お願いします」
 ユキもこの時は少し冷静になる時間が必要だった。
「遠慮しなくていいんじゃぞ。わしはまだこれぐらいでへこたれんって」
「セキ爺、いいからいいから。それにいつまでも結界張っておくわけにもいかないでしょ。ここ誰も入ってこれないよ」
 キイトが指摘する。
「ああ、そうじゃった」
 セキ爺はゆっくりと鳥居に向かっていった。
「仁、悪いけど、この石どっか片付けてきて。こんなところに置いてたら不自然で、誰かが蹴躓くかもしれない」
「ああ、わかった」
 仁は石を持ち上げようとしたが、意外に重くてよろめいた。かっこ悪いところを見せられないと、かろうじて力を込めて持ち上げ、よたよたと邪魔にならないところへとのっそりと運んでいった。
「さてと、ユキ。さっきの様子だと、トイラと意見が合わなかったみたいだね。トイラも何を意固地になってんのやら。あんた達まずは早く仲直りしないと。折角会えたんだろ。もっとそのときを大切にしないと」
 キイトは半ば呆れた目を向けていた。
「ねぇ、キイトは誰かを本気で好きになったことがある?」
「えっ、急になんだよ」
「キイトなら、私の立場になったらどう感じるか聞いてみたいの」
「あんたの立場にねぇ、そうだな。そりゃ好きな人とは一緒にいたいけど、でも好きな人がこうして欲しいって言ったら言うことを聞いてるかもしれない」
 ユキはてっきり賛同してくれると思ってたので、否定されて少し眉根を顰めた。
「だって、その好きな人も相手のために必死になってるんだろ。命を張ってくれたのなら私は無駄にはできない。その人の望みを叶えてあげたいって思う。それが例え辛くても、心を鬼にして、私はその人をまず第一に尊重する」
 キイトの真剣な眼差しがユキの心臓を鷲づかみにした。
 次第にキイトの瞳は遠くを見つめるように何かを回顧していた。
 仁が戻ってきたことで、キイトは我に返り、取り繕うようににこっとユキに微笑んだが、ユキは笑えず視線をそらしてしまった。
 油蝉の鳴く声が急に耳についてしまい、心がざわざわとしてユキは落ち着きを無くした。
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