第五章


 仁が八十鳩家に乗り込んで行った後、一方でユキは心細くなって闇の中でもじもじとしていた。
「祠を調べろと言われても、そんなの抵抗あってできないよ。もう、仁たら」
 暫くはその場から動けず、躊躇していたが、急に戸惑いなくユキの足が祠に素早く向かった。
 辺りには日本庭園らしく、灯篭や低木が見栄えよく配置され、暗い分いざとなればその陰に身を隠すことができそうだった。
 ユキは忍びこむのが慣れてるように軽々と音もなく祠に近づいていく。
 まるで猫のようなしなやかさがあった。それはトイラの意識がそうさせていた。
 トイラが躊躇するユキの変わりに調べようと自ら出てきたのだった。
 家から漏れる光だけでは充分に詳しく観察できそうもなかったが、少しでも変わった特徴はないかと顔を近づけ、そして祠の扉に手を掛けた。
 祠は古いために噛みあわせが悪く、ガタガタと何度も震うが中々開かない。
「このままでは俺、壊しちまいそうだ」
 半ばそうしてやろうかと思ったとき、やっと扉が開いてトイラはドキッとした。
 そっと中を覗けば、御幣と供物台が添えられている。
 その供物台の上に布で包まれたものが置かれていた。
 トイラはそっとそれを手にして、ゆっくりと布を取り除く。
 薄暗くてはっきりとした色が分からなかったが、何度も角度を変え目を凝らすと、それが赤い石であることに気がついた。
「まさか、これは」
 だがその時、何かの気配を感じ、トイラは素早く布にくるんで元の位置に戻し、祠の扉を閉めた。
 そして慌てて低木の茂みの中へと身を隠した。
 門の辺りで人影が中の様子を探るように動いているのが見える。
 だがその人影は何もせず、すぐにその場から立ち去った。
 トイラは誰が居たのか確かめようと、注意を払ってその人影を追いかけた。
 門を出ると、山の麓に向かって人が歩いているのが見えたが、暗すぎて判別できない。
 周りに身を隠してくれるものもないので近づくこともできなかったが、運良く電灯の真下を通ったことでシルエットが一瞬見えた。
 前屈みに腰を曲げたその姿はどこかで見たような覚えがあった。
「まさか、あれはセキ爺?」
 そう思ったとき、突然人の影は小さくなり丸みを帯びた動物の姿となって山へと素早く突進するように掛けて行った。
「イノシシ……やはりセキ爺か。しかし、なぜこんなところに」
 トイラは自転車を取りに行き、自分がユキの体であることも忘れて、セキ爺が向かった方向へと追いかけた。

 同じ頃、八十鳩家では「うわぁっ!」と仁の悲鳴が部屋中に轟いた。
 体制を整えようとするが、足が痺れて上手く体を動かせず、瞳を押し倒したままパニックになっていた。
 周りも仁が倒れこんだことでびっくりして、あたふたとしている。
「ご、ごめんなさい!」
 やっと体を瞳から離し、息をはあはあと吐き出して自分の失態に仁は慌てふためいていた。
「新田さん、大丈夫ですか?」
 祖父に手を引っ張られてなんとか立ち上がった。
「瞳ちゃん、ほんとにごめんね。足が痺れてバランスを崩したんだ。大丈夫?」
 瞳は突然のアクシデントにびっくりするよりも、ぽわーんとして余韻を楽しんでいた。
「はい、大丈夫です〜」
 仁と大接近して瞳は夢見心地で答えていた。
 祖父母はもちろんだったが、徳一郎もこのハプニングを笑っていた。だが、花梨だけは感情を出さずに立っているだけだった。
 仁は恥ずかしくて、何度も頭を下げ、まだ痺れが残りながらもよたよたとしながら玄関に向かう。
 皆は見送ろうと一緒についていった。
「新田さん、もう遅いですし、車でお送りしましょうか」
 花梨が申し出たが、仁は自転車があると断った。
 瞳が三和土に降りてきて、靴を履いてついてきそうな気配だったので、見送りはここでいいと仁は言った。
「本当に色々とすみませんでした。却ってご迷惑かけたみたいで」
「いやいや、そんなことはないですよ。これからもちょくちょく遊びに来て下さい」
 徳一郎が言うと祖父母が同じ気持ちだと頷いていた。
 仁は深く頭を下げ、玄関から出て行く。誰も追いかけてこないように、振り返って礼をしたその後、さっさと玄関のドアをスライドさせ閉めていた。
 山神様のことを聞くどころか、醜態を見せて恥をかきにきただけだったと臍を噛む。
 祠を横目に、ユキはちゃんと調べられただろうかとその場を去って門を潜った。
 もう一度八十鳩家を振り返ると、ちょうと玄関の明かりが消えたとこだった。
 ため息が自然に漏れ、そして気を取り直してユキを探す。
「ユキ、どこに居るんだ?」
 辺りを見ても人の気配などなかった。
 自転車を置いている場所に戻って、そこに自分のものしか置いてないことに仁は非常に驚いた。
「ユキ、先に帰ったのか? いや、そんなことはないだろう。まさか、何かあったのか?」
 仁は心配になり、自転車を押しながら辺りを探し出した。
 何度も「ユキ、ユキ」と名前を呼ぶ。
 携帯を持ってないことを非常に悔やみ、途方もなく暗い田舎の夜道で立ち往生していた。
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